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和歌山県海南市 鈴木屋敷
(Suzuki Residence, Kainan City, Wakayama Pref.)

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 General
 
屋敷、曲水泉庭
 Nature
 
 
 Water
 
 
 Flower
 
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 


January 25, 2020  野崎順次 source movie

和歌山県海南市藤白108


鈴木屋敷は、平安末期ごろに熊野から藤白に移り住んできた熊野旧三家の一つ鈴木氏が、熊野信仰を広める拠点としていた場所です。"牛若丸"こと源義経も熊野詣の際には滞在し、敷地内には義経弓立の松の古木が残されていたり、平安時代の「曲水泉」といわれる貴重な庭園などの歴史的に貴重なものが残されていたりします。建物は老朽化していますが、2021年度の完成に向けて復元工事を行っています。
(鈴木屋敷復元の会ウェブサイトより)

パンフレットと現地説明板
   
 

書院など建物の再生・復元工事が進行中である。ほぼ解体が終了している。
        


鈴木三郎旧邸庭園 室町時代 池泉鑑賞式
今本庭を一覧すると、面積は二百八十五坪であり、書院の西庭となっているが、この庭は西部に築山を設け、東部に池庭がある。そしてこの池庭は一種の曲水式のものであって、かの秀隣寺庭園、北畠神社庭園、志度寺庭園などと同様に、細川市独自の曲水式地割をもつ庭園である。本庭は小庭ながら、やはりこの曲水式であるが、この地は細川氏の関係がなく、山名氏の関係であることも興味がある。
(中略)
この池庭を一覧すると、書院の南東部から北部にかけて曲水式の池を掘り、中央に中島一島があり、東部から大きく出島となっている関係で曲水が構成されている。現状では本庭の石組などが取り払われてりして、その北部石橋の付近に二三の旧庭石が残るのみとなっているが、したがって石組こそないが、地割をよく保存していることや、北西部の築山の形などもよく保存されていて、曲水式池庭として珍しいこの庭の保存されたことを大切にしなければならない。書院は「紀伊国名所図会」に図が掲載されていて、当時の書院も一部改作されながら保存されている。本庭は著者が昭和十六年一月四日に発見して以来、保存のことを要望してきたのであった。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」鈴木三郎旧邸庭園より)

池回りは草木の伐採が終わり、輪郭がよく分かる。また、庭石もかなり増えているようだ。書院の前から、右(北側)回りに見ていく。
        


東の築山あたりから見る。
              

西の中島あたり
           


個々の石組を見る。中島。
    


石橋
 


北側、築山下の石組
     


帰途、熊野古道
      

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