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和歌山県九度山町 慈尊院
Jisonin, Kudoyama town, Wakayama

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伊都郡九度山町慈尊院832 慈尊院弥勒堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 "天文9(1540)鎌倉前期(内陣)" 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、檜皮葺 石露盤宝珠1組、棟札17枚 19650529

Mar.27,2016 大野木康夫 movie

山門付近

       

多宝塔付近

     

本堂

                     

絵馬

  


May.2,2015 中山辰夫

和歌山県九度山町 慈尊院832

宗派:高野山真言宗 本尊:弥勒仏坐像(秘仏 国宝)

真田庵から県道131号線を西へある木、丹生橋をこえて10分ほど歩くと慈尊院に至る。この地葉、816(弘仁7)年の空海により高野山開創入り、高野山の正式な登山口として知られ、2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された。
この地は讃岐から空海を訪ねてきた母親が没した地として伝えられ、空海がその廟所に弥勒菩薩像を安置した所とされる。後世、女人禁制の高野山に対して、「女人荒野」と言われ、女性の参拝者を集めた。

慈尊院は空海が高野山開創の折り、山麓の拠点として開、以来、高野山の発展とともに整備され、高野山の「表玄関」として「高野政所」と呼ばれ、寺領支配の拠点であった。
位置図
 

アプローチ
    

境内図
 

北門と築地塀
和歌山県指定文化財
     
東・南・西の三方に合計115m余ある土塀は、文明年間の移築後に築造された。

記念碑
   

多宝塔
和歌山県指定文化財
          
1624(寛永元)年再建

弘法大師堂
   

拝堂(本堂)
      

弥勒堂
     
木造弥勒仏坐像(国宝)が安置されており、892(寛平4)年の銘が確認されている。
鎌倉時代後期の建築。桁行三間・梁間三間、一重、宝形造・檜皮葺[2]。2004年7月、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。

鐘楼
   

詞梨帝母神(鬼子母神)
   

高野山町石
世界遺産 国史跡

丹生官省府神社への石段の右手に最初の町石がある。もとは築地塀西側の築地塀の外に建っていたという。
町石には「文永九(1272)年」「百八十町 権僧正勝信」と読める。
  
九度山の慈尊院から高野山へ続く約20qの道程で、今も一町(109m)毎に町石と呼ばれる卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍を始め一般庶民が、現在に至る千余年の間、踏み固めてきた信仰の道、高野山表道である。
ここでお祈りをしながら高野山まで20数kmを登ってゆく。
町石は、高野山上の中心である赤い根本大塔を基点に慈尊院まで180基立つ。根本大塔に一番近い町石が1町石である。

慈尊院の180町石は、丹生官省府神社への石段の右手に立つ。もとは築地塀西側の築地塀の外に建っていたという。

町石の完成は、1285(弘安8)年とされる。今のこる町石の8割が鎌倉時代のものとされる。1番古いものは、奥之院側の23町石で1266(文永3)年である。
木製から石材に替わった町石は、花崗岩で、造立当初は神戸・御影の桃色花崗岩だったと言われる。
慈尊院付近の紀ノ川畔の嵯蛾浜で引き揚げられた原石は加工され町石となった。高さ約3m、幅30cまって、全部が五輪塔の卒塔婆形式になっており、文字はV字形の薬研彫りで刻まれている。町石の下からは多数の経石(きょういし)が出土した。
加工された町石の運搬も難作業であった。
 

参考資料≪パンフレット、和歌山県の歴史散歩、九度山町HP,ほか≫




July 2012 瀧山幸伸 HD video

A camera
                                                            

B camera
                                       



Nov.2010 撮影:大野木康夫

所在地 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832

平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。
当時の慈尊院は、今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、天文9年(1540年)紀の川の大洪水にて流失しました。
しかし、弥勒堂だけは天文6年(1474年)に今の場所に移してあったので、流失をまぬがれました。
「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。
しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。
(九度山町HPより)

九度山という地名は、弘法大師が慈尊院にいた母を月に九度訪れたことから名付けられたという言い伝えがあるそうです。
弘法大師の母が住んでいた慈尊院は、高野山の表玄関として、また、女人禁制の高野山に参詣できない女の人が参詣する女人高野として栄えたそうです。

現在の慈尊院は、高野山へのメインルートである国道370号線から少し外れたところにあるため、訪れる人も少なくなっていました。
しかし近年、世界遺産に登録されてからは、町石道をたどる人が訪れるようになり、活気を取り戻しつつあるようです。

 

築地塀・北門(和歌山県指定文化財)
室町時代の建築です。
北門脇の下乗石は九度山町指定文化財です。

         

境内風景
多宝塔(和歌山県指定文化財)は修理中でした。

       

女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れます。
(九度山町HPより)

   

弥勒堂(重要文化財)
天文9(1540)年の建築(内陣は鎌倉前期の建築)
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、檜皮葺

            





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