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和歌山県那智勝浦町 青岸渡寺、熊野那智大社、那智の滝

Seigantoji/Kumanonachitaisha/Nachinotaki,Nachikatsuura town,Wakayama

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東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社 第一殿(滝宮) 重文 近世以前/神社 江戸末期 嘉永4-7(1851-1854) 桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺 19951226

東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社 第二殿(証誠殿) 重文 近世以前/神社 江戸末期 嘉永4-7(1851-1854) 桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺 19951226

東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社 第三殿(中御前) 重文 近世以前/神社 江戸末期 嘉永4-7(1851-1854) 桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺 19951226

東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社 第四殿(西御前) 重文 近世以前/神社 江戸末期 嘉永4-7(1851-1854) 桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺 19951226

東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社 第五殿(若宮) 重文 近世以前/神社 江戸末期 嘉永4-7(1851-1854) 桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺 19951226

東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社 第六殿(八社殿) 重文 近世以前/神社 江戸末期 嘉永4-7(1851-1854) 八間社流造、檜皮葺 19951226

東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社 御県彦社 重文 近世以前/神社 江戸末期 慶応3(1867) 一間社流造、檜皮葺 19951226

東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社 鈴門及び瑞垣 重文 近世以前/神社 江戸末期 江戸末期 "鈴門(七所) 棟門、檜皮葺瑞垣 折曲り延長112.3m、檜皮葺" 19951226

東牟婁郡那智勝浦町那智山8 那智山青岸渡寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 元亨2(1322) 石造宝篋印塔、基壇付 元亨二壬戌三月日の刻銘がある 19530331

東牟婁郡那智勝浦町那智山8 那智山青岸渡寺本堂 重文 近世以前/寺院 桃山 天正18(1590) 桁行九間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺厨子1基 19040218


Feb.20,2021 瀧山幸伸

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車,飛行機,観光客の騒音がない癒しの音景

Noiseless Day without Cars,Planes,Travellers

 

熊野那智大社

                                                                                                                                                               

 

那智山青岸渡寺

                                                                                                         

那智の滝へ

                        

那智の滝

                                                  

 

   

大門坂

           

遠望

                 

 


January 5,2019 大野木康夫 source movie

参道

       

3月まで拝殿改修中(屋根の葺き替え)

   

御縣彦社、八社殿、八咫烏

     

第一殿(滝宮)、第二殿(証誠殿)、第三殿(中御前)、第四殿(西御前)、第五殿(若宮)

青岸渡寺境内から

        

梛の神木

 

青岸渡寺本堂

                    

青岸渡寺宝篋印塔

          

三重塔と那智の滝

     

別宮飛瀧神社(那智の滝)参道

      

那智の滝

                    

帰路

    


Aug.24,2016 瀧山幸伸 source movie

                 


May 5, 2016  野崎順次 source movie

和歌山県紀伊勝浦市

那智山(なちさん)

(Nachisan Area, Kiikatsuura City, Wakayama Pref.)

JR串本から紀伊勝浦へ

      

紀伊勝浦から那智山行のバスの時刻表と現地説明板

    

本参道の長い石段を上る。

                 

熊野那智大社

熊野那智大社は那智の滝を神とする自然崇拝からおこった社です。

社伝には、神武天皇が熊野灘から那智の海岸「にしきうら」に上陸されたとき、那智の山に光が輝くのを見て、この大滝をさぐり当てられ、神としておまつりになった、とあるそうですが、神武東征以前から熊野の原住民が神としてまつっていたと考えるのが自然でしょう。

熊野那智大社の社殿は現在、那智の滝から離れた高台にありますが、かつては大滝の近くあったらしく(「那智経塚」の近くにかつての社殿があったと考えられています)、仁徳天皇5年(317年)に現在地に遷されたと伝えられます。

(「み熊野ねっと」ウェブサイトより)

現地説明板と鳥居あたり

                    

国重文建造物

第一殿(滝宮) 江戸末期 嘉永4−7年 (1851-1854)

桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺

第二殿(証誠殿)江戸末期 嘉永4−7年 (1851-1854)

桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺

第三殿(中御前)江戸末期 嘉永4−7年 (1851-1854)

桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺

第四殿(西御前) 江戸末期 嘉永4−7年 (1851-1854)

桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺

第五殿(若宮) 江戸末期 嘉永4−7年 (1851-1854)

桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺

第六殿(八社殿) 江戸末期 嘉永4−7年 (1851-1854)

八間社流造、檜皮葺

御県彦社 江戸末期 嘉永4-7(1851-1854)

八間社流造、檜皮葺

鈴門及び瑞垣 江戸末期

鈴門(七所) 棟門、檜皮葺 瑞垣 折曲り延長112.3m、檜皮葺

(国指定文化財等データベース)

(篠原四郎「熊野大社」学生社より)

礼殿

        

御県神社と鈴門、および八神殿(いずれも国重文)

                

県文 天然記念物 大楠

       

右から左へ、第一殿、第二殿、第三殿、第四殿、第五殿とそれぞれの鈴門(いずれも国重文)

          

那智山 青岸渡寺

現在、熊野那智大社という神社と那智山青岸渡寺という寺院が軒を並べていますが、かつての那智は神社と仏寺とに分離できるようなものではありませんでした。神と仏は渾然一体とし、区別できませんでした。

那智山青岸渡寺は古くは如意輪堂と呼ばれ、那智権現は最盛期には7寺36坊を有し、熊野修験の一大本拠地となっていました。 

しかし、明治の神仏分離令は、もともと一体であった神仏習合の霊地に、神か仏かのどちらか片方を選択するように命じました。本宮も新宮も神を選び、仏を捨て、寺院は取り壊されました。那智でも、神を選び、廃仏毀釈を行いました。いくつもの仏寺や坊舎が取り壊されました。那智権現は明治4年(1871)に「熊野那智神社」と称し、仏教・修験道を排した神社となりました。

如意輪堂は、西国三十三所霊場の第一番札所でもあり、さすがに取り壊しはされませんでしたが、仏像仏具類は補陀洛山寺などに移され、空堂とされました。

しかし、その後、山内の人々の願により明治7年(1874)、神社側から独立。「青岸渡寺」と名付け、天台宗の一寺として再興されました。

(み熊野ねっと)

 

国重文 青岸渡寺本堂 桃山 天正18年(1590)

桁行九間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺

              

国重文 青岸渡寺宝篋印塔 鎌倉時代後期 元亨二年(1322)年、流紋岩、高さ 440Cm)

相輪は、下から伏鉢・請花・逓減する九輪・請花・宝珠。塔身四面に刻まれた梵字の薬研彫が美しい。和歌山県を代表する宝篋印塔

(河合哲雄「石仏と石塔!」ウェブサイトより)

      

鐘楼など

    

三重塔と那智大滝

                         

荒い石段を下る。

   

熊野那智大社別宮飛瀧(ひろう)神社

神社とはいっても本殿も拝殿もなく、滝を直接拝む形になります。社殿がないことからもはっきりとこの大滝が御神体であることをわからせてくれます。かつての熊野の自然崇拝の有り様を今に伝えている神社のひとつです。

(み熊ねっと)

現地説明板

   

鳥居から滝の前まで石段を下る。

                         

那智大滝

「日本の滝100選」のひとつ。「日本の音風景100選」にも選定されています。一般に「那智の滝」といわれ、「一の滝」ともいわれるこの滝は、 落差133mの日本一の直瀑です。滝の落ち口の岩盤に3つの切れ目があって、3本になって滝が落ちることから那智の滝は「三筋の滝」ともいわれます。滝の落ち口の幅は13m。滝の落ち口には注連縄が張られていますが、この注連縄は毎年2回、7月9日と12月27日に神職の手によって張り替えられます。

(み熊野ねっと)

                                         

その他境内

               

帰りの紀伊勝浦行きのバスから

      


Feb.17,2016 瀧山幸伸 

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大門坂

Daimonzaka

                                                   

                              

門前

            

熊野那智大社

Kumanonachitaisha

                                                  

青岸渡寺

Seigantoji

                                                                    

那智の滝

Nachinotaki

                                                                                                 

阿弥陀寺へ

Amidaji

              


July 28,2013 瀧山幸伸 source movie

A camera

                                                  

                                          

                   

B camera

                                                           

     

                                     

                    


July 2009 撮影/文 中山辰夫

厳かな石の道—熊野古道 紀伊路を往く和歌山・奈良・三重の三県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」が平成17年7月《道》をテ−マとした二番目の世界遺産に登録された。

熊野古道には二つのル−トがある。

京の都から上皇や貴族が紀伊半島を西周りに参詣したル−トが紀伊路。

もう一方は伊勢神宮参拝後、紀伊半島を東周りし、熊野三山や西国三十三カ所観音霊場を詣でるル−トの伊勢路だ。

どちらも平安時代に開けた険難な道だが、信仰者の心根しだいで、道中の厳しさは問題ではなかったようだ。

熊野古道紀伊路では見事な石段を歩いた。

ここで見た自然石ばかりの石段は、そこかしこから集めた大きな石を、ただ転がして置き固めただけと思えるほど粗野で荒々しい。

が、素朴なままに並べた石と立ち並ぶ大杉とがつくる陰影。それと石段の趣とが重なってできる光景に魅せられ、しばし興奮状態が続いた。 神倉神社(かんくらじんじゃ 新宮市)

凄みさえ感じる石の道が蜿蜒と続く=神倉山への石畳

その中で神倉(かんくら)神社の石段は、熊野速玉大社から南へ約2キロメ−トル離れた神倉山への山頂につながる。

山裾では急峻だが上がるにつれてしだいに穏やかとなる鎌倉積みの石段(約538段)を登り詰めると、巨大な巌(いわお)の上にどっかり坐るゴトビキ岩に出くわす。

その傍らには神倉神社の社殿が建つ。ここからは新宮の町や熊野灘が一望できる。

石段は源頼朝の寄進ともいわれ、岩に近い大きな石が並びそそり立っている。豪放磊落ともいうべきか、粗っぽくてゴツイ。

自然石を集め、ただ置いただけのようだが組合せは緻密で、なおかつ頑丈でビクともしない。

頂上に坐る巨大なゴトビキ岩とこの猛々しい石段の重みが原始信仰の厳しい修行を具現しているようだ。

    

      お燈まつり

      大門坂

重厚な杉並木と端然とした石畳のハーモニー

那智山大門坂は、熊野詣での往時と寸分違わない様相を残すとされる旧那智参詣道。全長約600メ−トル。

267段の石段と石畳の道が真っ直ぐに延び、終点の大門跡まで続く。この坂道も鎌倉時代からのものだとか。

      登り口には樹齢800年の夫婦杉が立つ。重厚さを感じさせる杉並木は県指定天然記念物。

今あるのは南方熊楠(みなみかた・くまぐす)のお蔭と、手を合わせたくなる。

ここからの石畳にはまるで森閑としたトンネルを思わせるような、約170本の杉並木が両脇に聳え立つ。

  

この石畳や石段は、詳細な設計図に合わせて造られたようにも思えるほど端正で神々しく、熊野大社の入口門として気品ある雰囲気を醸し出し、行く人を痺れさせているようだ。

      静寂さと冷気が包む厳粛な雰囲気を身に感じながらの約30分だった。大門坂を登りきると熊野那智大社へと続く参道に出る。

  

熊野那智大社

聖地・熊野三山一寺は滝・川・そして巨岩などへの自然崇拝が起源

                  

青岸渡寺

      

 

三重塔

         

瀧見の道

遥拝所に至る石段もこの場で出た石を使用

熊野那智大社と青岸渡寺を経て三重塔を通り、下って来る途中に広場がある。

ここは毎年7月14日に熊野那智大社の例大祭(那智の火祭り)に扇立て神事を行なう聖地で、さらに那智御瀧の遥拝所でもある。

       

ここから下る石段の道が「瀧見の道」。鎌倉積みの原形をそのまま残しているといわれ、大きな石が粗く詰まれた野性味たっぷりの石段は古道の香りで一杯。

この石段を下ると杉の大木と「飛瀧神社」の鳥居が見える。飛龍神社

     

飛龍大瀧(那智の瀧)

熊野那智大社のご神体が那智の大瀧

幅広い、ゆったりとした余裕を感じる石段の参道。勿論自然石仕上げで段数は135段。

ザ−ザ−という瀧の水音を耳にしながら進むと、高さ133メ−トルを誇る瀧が忽然と姿を現す。

       

            

       

那智原生林の水を集め一気に落下する那智の大瀧。瀧そのものが御神体。千年以上の昔から人々の信仰の対象だった。

荒々しい岩山のてっぺんから真っ白な水が轟々と落下する姿に自然への畏敬の念がこみあげてきた。


Dec.2008 川村由幸

大門坂

   

熊野那智大社

     

青岸渡寺

   


May 2004 撮影:瀧山幸伸 source movie

SOUND SCAPE Nachi fall mp3

      

      

      


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