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和歌山県田辺市 闘鶏神社
Tokeijinja,Tanabe city, Wakayama

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田辺市東陽1-1 闘鶏神社 本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文元(1661) 桁行二間、梁間一間、一重、隅木入春日造、檜皮葺 棟札2枚:寛文元年六月、延宝九年三月 20170223
田辺市東陽1-1 闘鶏神社 西殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 元文2(1737) 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面庇付、銅板葺 棟札1枚:元文二年六月 20170223
田辺市東陽1-1 闘鶏神社 上殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 明暦4(1658)頃 桁行二間、梁間一間、一重、隅木入春日造、檜皮葺 20170223
田辺市東陽1-1 闘鶏神社 中殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享5(1748) 四間社流造、銅板葺 棟札1枚:延享五年六月 20170223
田辺市東陽1-1 闘鶏神社 下殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享5(1748) 四間社流造、銅板葺 棟札1枚:延享五年六月 20170223
田辺市東陽1-1 闘鶏神社 八百萬殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享5(1748) 一間社、隅木入春日造、銅板葺 棟札1枚:延享五年六月 20170223


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鬪鶏神社
※ 鶏は「溪のつくり」の右にふるとり

所在地 和歌山県田辺市東陽1-1

鬪鶏神社は,熊野参詣道の大辺路沿いに境内を占める神社で,元暦元年(1184)に紅白の鶏を闘わせて源平合戦を占った故事からかつては「鶏合権現」などと称された。
本殿をはじめとする社殿群は,6棟が一直線に並び建つ構成になり,その社殿形式や配置に熊野本宮の伝統形式をよく伝えている。
各社殿の建立年代が明らかで,軸部の技法的特徴や細部意匠に地方的特色を備えており,紀南地方における近世社寺建築の展開を理解する上で,高い価値を有している。
(文化庁広報資料より)

  

参道

    

拝殿

  

社殿6棟が重要文化財に指定されています。

           

右手から

八百萬殿(重要文化財)

延享5(1748)年の建築
一間社、隅木入春日造、銅板葺

                

下殿(重要文化財)

延享5(1748)年の建築
四間社流造、銅板葺

               

中殿(重要文化財)

延享5(1748)年の建築
四間社流造、銅板葺

                 

上殿(重要文化財)

明暦4(1658)年頃の建築
桁行二間、梁間一間、一重、隅木入春日造、檜皮葺

       

本殿(重要文化財)

寛文元(1661)年の建築
桁行二間、梁間一間、一重、隅木入春日造、檜皮葺

              

西殿(重要文化財)

元文2(1737)年の建築
桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面庇付、銅板葺

              


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南方曼陀羅の風景地(名勝)

                                                      


Dec.2016 酒井秀樹

和歌山県田辺市東陽1番1

闘鶏神社は、JR紀伊田辺駅の南方、熊野参詣道大辺路の南側に位置する。
創建については不詳だが、元暦元年(1184)に紅白の鶏を戦わせて源平合戦を占った故事から「鶏合権現」と呼ばれるようになったと伝わっている。明治初年現在の闘鶏神社と改称された。 
仮庵山の北麓に東西方向に6棟の社殿(西殿・本殿・上殿・中殿・下殿・八百萬殿)が1直線に北面して並ぶ。この配置及び社殿の形態は寛永7年(1630)の銘を持つ「新熊野権現宮図」と一致している。しかし、中世における境内の様相は判明していない。
明応5年(1494)に社殿再興、天正13年(1585)に兵火で焼失、元和5年(1619)に徳川頼宣が紀州藩主になって以降、田辺地方を領した安藤氏により境内再興が進められた。
6棟の社殿(西殿・本殿・上殿・中殿・下殿・八百萬殿)は熊野本宮大社の伝統形式をよく伝えており平成28年11月に文部科学大臣に重要文化財に答申されている。

本殿
     
棟札より寛文元年(1681)に安藤直清によって造営されたことが判明している。桁行2間、梁間1間、隅木入春日造、檜皮葺で、四周に擬宝珠高欄の切目縁をつけ脇障子を持たない。正面には6級の木階を付ける。

西殿
    
棟札より元文2年(1737)の再興とわかる。桁行3間、梁間2間、入母屋造、正面1間通り庇付、銅板葺で、四周に擬宝珠高欄の切目縁をつけ脇障子を持たない。正面両脇間に木階6級を付ける。内部構造とともに熊野本宮大社第一殿、第二殿に類似した形式を持つ。全体に素木を基本としているが、中備の蟇股には彩色の痕跡が認められ、枠部分には唐草文様が描かれていたと思われる。

上殿
    
社蔵文書より明暦4年(1658)の建立とみられる。桁行2間、梁間1間、隅木入春日造、檜皮葺で本殿と同型式である。しかし規模は若干小さい。中備の蟇股に彩色の痕跡が残っている。

中殿
    
棟札より延享5年(1748)の再建とわかる。4間社流造、銅板葺で、四周に擬宝珠高欄の切目縁、正面には6級の木階を付ける。庇は両端と中央のみに柱を立て虹梁で繋ぎ柱間を2間としている。中備は身舎正面小壁に牡丹の透彫板で飾り、庇柱間は蟇股で構成している。

下殿
   
中殿と同時の延享5年(1748)の再建。形式及び規模も同一であり、4間社流造、銅板葺で、四周に擬宝珠高欄の切目縁、正面には6級の木階を付ける。庇は両端と中央のみに柱を立て虹梁で繋ぎ柱間を2間としている。ただし、中備が異なり、身舎正面小壁に雲紋の透彫板で飾り、庇柱間は雲龍の彫刻で構成している。

八百萬殿
     
中殿、下殿と同様に延享5年(1748)の再建。1間社、隅木入春日造、銅板葺で、四周に擬宝珠高欄の切目縁、正面には6級の木階を付ける。


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