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山口県 萩市 大板山たたら製鉄遺跡
Oitayama tatara,Hagi city.,Yamaguchi pref.

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May 21,2016 瀧山幸伸 movie

大板山たたら製鉄遺跡は、江戸時代中期から後期にかけて断続的に操業した製鉄遺跡であり、山口県萩市中心部から東方の内陸部、大井川の支流山ノ口川の最上流域の標高約260mほどの平坦地に所在する。
中国山地では良質に産出される砂鉄を原料とした製鉄業が古くから行われ、江戸時代、天秤鞴(てんびんふいご)と呼ぶ大形の送風装置が発明され、永代鑪(えいたいたたら)、高殿鑪(たかどのたたら)と呼ぶ本格的な製鉄業が確立して全国屈指の鉄製産地となった。18世紀に入り、萩藩内では従来の長門系の比較的小規模な生産形態に代わり、石見系の鉄山師(てつざんし)による鉄の大量生産を可能とする永代鑪が展開し、長門系による経営も鑪作業は石見の技術者に担われるようになった。
大板山では3期の操業が知られる。第1期は宝暦(ほうれき)年間(1751〜1763)で、大板山で林業を営む阿川六郎兵衛により、津和野から技術者を迎え約8年操業した。第2期は文化・文政期の10年間(1812〜1822)で、津和野の原田勘四郎が石見西部の製鉄流派「石州鑪五ヵ所流」の鉄山(鑪場)として操業した。原料の砂鉄は、石見から廻船により奈古浦(なごうら)に搬送後、陸路大板山に駄送され、産鉄は奈古浦から下関に運ばれ、九州方面に販売されていたと考えられる。第3期は東石見の鉄山師・高原竹五郎が安政2年(1855)に操業開始したもので、終業時期は不明であるが、慶応元年(1867)頃まで操業していたことは確実である。この間、安政3年に萩藩が恵美須ヶ鼻(えびすがはな)造船所で萩藩最初の洋式軍艦丙辰丸(へいしんまる)を建造するに際して、船材の原料鉄を供給し、文久3年(1863)からは産鉄全てが萩藩により買い上げられた。製鉄に使用する燃料炭木は、各時期ともに、大板山周辺の藩有林から供給されていたと考えられる。
昭和56年度に山口県教育委員会が分布調査を実施し、平成2〜6年度に福栄村(現・萩市)教育委員会が発掘調査を実施した。その結果、製鉄炉を擁する高殿は南北17.7m、東西14.2mの規模と推定され、建物内部に本床、粘土壁、砂鉄置場、石敷等の遺構を確認した。また、鉄塊を冷却する鉄池、事務所である元小屋、砂鉄洗場、米蔵、小鍛冶場等の遺構を検出した。遺物として、磁器・陶器・土器等の食器類や、鉄釘や和鋏等の鉄製品等が多数見つかった。検出遺構は幕末期と考えられ、一部に重複する形で文化・文政期と見られる遺構を検出した。本遺跡は、山口県内のたたら製鉄遺跡中最大級の規模であり、石見地方の銑鉄製造の銑押(ずくお)し鑪の特徴をよく示し、18世紀以降に萩藩内に展開した石見系鑪場の典型例と評価できる。昭和63年に山口県指定史跡となり、平成5〜8年度に保存整備が実施された。
このように、大板山たたら製鉄遺跡は、江戸時代中期以降、萩藩内に展開した石見系鑪場の典型例として大規模なものであり、高殿遺構をはじめとする生産遺構が良好に遺存している。我が国近世の製鉄業の展開を理解するうえで重要なことから、史跡に指定して保護を図るものである。(文化庁)

                                                            

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