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山口県長門市 大寧寺
Taineiji,Nagato city,Yamaguchi

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Nov.20,2017 蒲池眞佐子

アクセス
     

無人駅のJR長門湯本駅駅から左折、T地路を右折、車では直進、徒歩では川の反対側に遊歩道がある。
駅より徒歩で15分程で大寧寺に着く。

本殿と梵鐘
                  

応永17年(1410)大内家の支族鷲頭弘忠公が、石屋真梁禅師を開山として迎え開創した。
石屋禅師は、18才で中国に渡り、修行を積むこと20年。活達磨と称賛され、帰国後、当時、南北朝にわかれて葛藤していた皇室を、後小松天皇の勅令により合一の働きを元中9年(1392)に成し遂げ、皇室に絶大な信頼を得た。
その学徳兼備の名声と遺勲として、6世紀になんなんとする寺史を有し、かつては全国に六百数十ケ寺に及ぶ末寺をもつ僧録寺として栄え、その壮麗美観は「西の高野」と称され、毛利家の香華院、また萩藩毛利家の上級家臣もこぞって境内に墓碑を建立した。(案内文より)

大内義隆公「姿見の池」と「かぶと掛けの岩」
     

盤石橋
     

境内
                                             

釈迦三尊および十六羅漢像
                    

稲荷禅宮
               

お人形堂

本尊「慈母観音」。人形や玩具などをねんごろに供養し、仏様のもとへお返しする。感謝の心と共に供養しお別れすることで、子供たちはもちろん、大人の感性をも豊にできればとの願いで建立された。(案内文より)
      

大内義隆主従の墓所

守護大名として武門の大内家にありながら大内義隆公はその名も高い文化人、厳島神社を保護し、フランシスコ・ザビエルと接見。
当時の都「京」に匹敵する大内文化を山口に絢爛と花開かせた。だがそれも戦国のあだ花。
天文20年(1551)重臣陶隆房(のちの晴賢)ゆかりの当時に逃れ、当寺に逃れ、当寺13世異雪和尚に末後の示戒を請い、公及び群臣等従容として自刃。公45才。
ここに連綿たる大内家計譜は31代にして大寧寺にて断絶す。(案内文より)
                 

上杉憲実公墓碑

上杉 憲実(うえすぎ のりざね)は、室町時代中期の武将・守護大名。関東管領、上野国・武蔵国・伊豆国守護。足利学校や金沢文庫を再興したことで知られる。(ウィキペディアより抜粋)

足利学校・鎌倉文庫の復興で名高い上杉憲実公は、幕府内の政争に疲れ、出家。諸国行脚の後、享徳1年(1452)当寺4世竹居和尚に参究し弟子となり、寺域に小庵を構え安居参禅し寛政7年(1466)入寂。その記録は鎌倉大草紙、防長寺社証文等につまびらかなり。
(案内文より)
 

萩藩重臣墓群
萩藩初期の財政再建に力を尽くした者たち、大組の上級藩士70余家、250余墓がある。
このような藩重臣層の墓が集中し所在する例は少ない。
整備はされているが、足元に墓の一部が覗いているものもあり、未だ山肌に埋まっていると思われる。
                      

山門跡
    



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