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山口県周南市 児玉神社・祐綏神社

Kodamajinja/Yuusuijinja,Shunan City,Yamaguchi

 

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Mar.23,2016 蒲池眞佐子

徳山藩は、元和3年(1617年)に毛利輝元の次男就隆が都濃・熊毛郡内の三万石余りを分知され、はじまりました。就隆は初め下松に居を構えましたが、慶安3年(1650年)に居館を野上に移し、野上を徳山と改称しました。第三代藩主・元次の代に、松の伐採をめぐって宗家と対立し、享保元年(1716年)幕府より本藩への非礼として改易されました(万役山事件)が、その後重臣の奈古屋里人らの奔走で、享保4年(1719年)に元次の子・元堯が三万石で再興しました。歴代藩主の墓は現在、大成寺のそばにあります。

(徳山の歴史探訪より)

児玉神社

大日本帝国陸軍の児玉源太郎大将を祭神とする神社で大正12年に旧邸跡に建立された。

児玉源太郎は第4代の台湾総督を勤め、第4次伊藤内閣では陸軍大臣、桂内閣では内務大臣・文部大臣を兼任、1903年に参謀本部次長、翌年の日露戦争では満州総参謀長として重任を果たした。

                        

徳山七士碑

幕末の徳山藩で尊王攘夷派として活躍した児玉次郎彦、江村彦之進、河田佳蔵、井上唯一、本城清、浅見安之丞、信田作太夫の7人は、徳山藩の政権を保守派が握ったことに伴い、次々と暗殺、処刑されたが、後に毛利元蕃は徳山七士の家を復興し、その遺族を優遇した。児玉神社には七士の顕彰碑が建っている。

   

台湾五葉松

児玉神社創設時に台湾から贈られた珍しい松の木、源太郎を末永く称えるようにそびえている。

   

児玉大将産湯の井戸

児玉家の井戸が残っている

       

祐綏神社

文化8年(1811年)に徳山藩初代藩主、毛利就隆を祭神として建立された。明治7年から祐綏神社と郷し、明治31年に郷社、大正4年に県社に列せられた。その後、昭和20年の徳山空襲により社殿を消失したが、昭和35年に旧徳山毛利邸内にあった祖霊社を移し、再建された。

                   

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