JAPAN GEOGRAPHIC

山口県周南市 大津島

Ozushima,Shunan city,Yamaguchi

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Apr. 2016 蒲池眞佐子

人間魚雷 回天

大津島(おおづしま)へのフェリー

1日7便(2016年4月現在)のフェリーが大津島まで出ている。

    

地獄の階段

当時訓練に使用された階段

  

回天記念館

回天記念館への道は細い坂道を登ったところにある。高台にあるため、美しい海を見ることができるが、悲劇の地の美しい海がより悲しさを増す。館内には、ほとんどが20歳前後で戦没した特攻隊戦没者の写真、軍服、最後の手紙などが展示されている。

太平洋戦争の末期、”天を回らし、戦局を逆転させる”という願いを込めて、人間魚雷「回天」は誕生した。これは魚雷に大量の爆薬を搭載し、隊員自らが操縦して敵艦に体当たりするという特攻兵器で、隊員の訓練基地が置かれたここ大津島には、全国から20歳前後の精鋭たちが集まり、毎日厳しい訓練を繰り返していた。そして、窮地に立つ祖国を守るため、多くの若者がここから出撃していったのである。

今を生きる私たちは、人間魚雷「回天」の史実をここに記し、祖国と愛する者たちのために自らの命をかけた彼らの後世への想いを、永く語り継いでゆかなければならない。(回天記念館パンフレットより)

                      

展望広場への道 

散歩道とされる道を登っていく。周りはうっそうとし、大きな猪と遭遇する。

 

トンネルをくぐり、回天訓練基地へ

大津島にある人間魚雷「回天」の訓練基地は全国に4か所あった基地のうち最初に開設され、かつ当時の施設が現在も残っている唯一のものです。

訓練基地の前身は1937(昭和12)年に開設された呉海軍工廠の魚雷発射試験施設で、当時日本海軍が世界に誇った高性能魚雷である九三式酸素魚雷の試験が行われていました。現在数多く残る遺跡の中でシンボル的存在となっているコンクリートの構造物は1939(昭和14)年に魚雷発射試験場として建設され、総工費は当時の金額で83万円といわれています。

 その後、九三式酸素魚雷を推進装置として使用した「回天」の誕生とともに、訓練基地が1944(昭和19)年9月1日に開設され、9月5日から訓練を開始し魚雷発射試験場を回天訓練施設として使用しました。なお、この回天訓練基地(魚雷発射試験場)跡は2006(平成18)年に土木学会中国支部から「土木遺産」として認定されました。現在、大津島小学校のグラウンドになっている場所には当時兵舎があり、出撃する隊員はその東側にあった桟橋から内火艇に乗り、沖合いに待機する「回天」を搭載した潜水艦に移乗して戦地に向かいました。(大津島パンフレットより)

                                 

モニュメントのある公園 

     

くろや大明神とそこからの対岸(徳山方面)の景色

             

徳山港の人間魚雷「回天」実物大模型 

      

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