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山口県山口市 竜福寺 大内氏遺跡

Ryufukuji ouchi famiry ruin,Yamguchi city,Yamaguchi

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山口市大殿大路119 龍福寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、桟瓦葺 19540917


Jan.2018 蒲池眞佐子

撮影 Mar.1, 2017

                                      


June 29, 2014 野崎順次 source movie

山口県山口市大殿大路119

龍福寺

(Ryufukuji Temple, Yamaguchi City, Yamaguchi Pref.)龍福寺は、建永元年(1206年)大内満盛が創建した臨済宗の寺で、もともと白石の地にあって、宝珠山瑞雲寺と称していました。延元元年(1336年)大内弘直が再建して弘直の菩提寺となりました。のち、享徳3年(1454年)大内教弘が雪心和尚を迎え中興開山として曹洞宗に、寺号も瑞雲山龍福寺と改めました。その後大内義隆は後奈良天皇に奏請して勅願寺として官符を請うて重建しましたが、天文20年(1551年)の乱に兵火にかかり焼失してしまいました。その後弘治3年(1557年)4月毛利隆元は義隆の菩提寺として、龍福寺を大内館跡に再興しました。ところが、明治14年に火災にあい禅堂と山門を残して焼失しました。そこで再建に際し、元大内氏の氏寺であった興隆寺の本堂を移築したのが今の本堂です。(山口市観光情報サイト「西の京 やまぐち」より)本堂はかなりの改造がなされていたようで、学術調査が行われた。その結果、平成18年から約6年かけて室町当初の状態に復元する大修理工事が行われた。屋根も当初の檜皮葺に戻った。

大内館跡内の参道を進み、山門を抜ける。正面に本堂の檜皮葺の屋根が見えてくる。

          

国重文 龍福寺本堂 室町中期

桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、檜皮葺

                                 

境内には石仏、石塔、歌碑など石造物が多い。

                   

龍福寺資料館

   

大内館跡の北西部に発掘復元された枯山水庭園がある。

   

北西から大内館跡と龍福寺を展望する。

      

参考資料

国指定文化財等データベース

ウィキペディア


May 2010 瀧山幸伸 source movie

             

       

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