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山梨県甲府市 善光寺
Zenkoji,Kofu city,Yamanashi

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甲府市善光寺3-36-1 善光寺山門 重文 近世以前/寺院 江戸後期 明和4(1767) 五間三戸楼門、入母屋造、銅板葺 棟札1枚 19550622
甲府市善光寺3-36-1 善光寺本堂 重文 近世以前/寺院 江戸後期 寛政元(1789) 桁行十一間、梁間七間、二重一階、撞木造、妻入、正面向拝三間、軒唐破風付、両側面向拝各一間、銅板葺、軒唐破風檜皮葺 厨子1基、棟札1枚、棟札1枚 19550622


Aug.8,2014 松田浩志

「信玄公によって創建された甲斐の名刹。信玄公は、長野善光寺が川中島の戦いで戦火に遭うのを心配して、本尊の阿弥陀如来をはじめ諸仏や寺宝類を甲府に移しました。武田氏の滅亡以後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。本堂と山門は国の重要文化財になっています。撞木(しゅもく)造りの本堂は、東西約38m、南北約23m、高さ約26mもある堂々としたもので、東日本最大級の木造建築物です。」
 甲府市ホームページより転載

                                                                                                                       


Sep.2011 野崎順次

山梨県甲府市善光寺3−36−1
定額山 善光寺

撮影日: 2011年9月19日

当山は、開基武田信玄公が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まる。ここ板垣の郷は、善光寺建立の大檀那本田善光公を葬送した地と伝えられ、信濃より大本願上人以下、一山ことごとくお迎えした。その後、武田氏滅亡により、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々としたが、慶長三年(1598)信濃に帰座された。甲府では新たに、前立仏を御本尊と定め、本坊三院十五庵を有する大寺院として浄土宗甲州触頭を勤め、徳川家の位牌所にもなっていた。

パンフレット

  

重文 山門一棟 附 棟札一枚
明和4年(1767)上棟供養が行なわれている。時期は不明であるものの、金堂よりは先に完成したと思われる。重層の楼門で、桁行16.88m、梁行6.75m、屋根幅22.9m、棟高15m。和様と唐様を折衷した本格的な大建造物である。

                         

お咳婆さんの石

  

県文 銅鐘:正和二年(1313年)鋳造
武田信玄により長野善光寺より本尊その他とともに移された。

         

霊牛碑
   

本堂前の石仏など

          

重文 本堂一棟 附 厨子一基 棟札二枚
寛政8年(1796)現在の本堂が竣工した。単層裳階付二重の撞木造で、正面梁行き23.6m、正面屋根幅30.8m、側面桁行38.0m、総奥行49.1m、総高27m、建坪310.8坪という、東日本最大級の木造建築として名高い。昭和32年より五年間に亙り大修理が行われ、今日の威容を見るに至った。正面厨子床下には、本尊善光寺如来と結縁するための戒壇廻りがあり、信徒の拝観が絶えない。

                                          

境内の庭園など

               

参考資料
甲斐善光寺HP
ウィキペディア「甲斐善光寺」

 


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