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Monthly Web Magazine Mar. 2017

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■ おばちゃんカメラマンが行く @姫路城     事務局

今回は姫路城に行き撮影した。数回訪問したことがあったので、もう撮影する物もないだろうと思ったが、意外にもいろいろ新鮮でついついシャッターを切ってしまう。

先月、香川県小豆島町岩谷の大坂城石垣石切丁場跡に行き、城の石垣を調達するのは想像以上に大変なことだと知り、石垣好きでも歴女でもないのだが、ほんの少しだけ城の石垣に対する見方が変わってきた。

とそこに《なんじゃこれ〜》 「ほの門」近くにある「姥が石」だ。

(羽柴秀吉が姫路城を築くとき石集めに苦労していました。城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんが、そのことを聞いて、使っていた石臼を寄付しましたので、秀吉は喜んでこの石を使いました。この評判はすぐ町中にひろまり、国中からたくさんの石が寄付され、お城の建築は急速に進み、立派に完成したと語り伝えられています。)姥が石の説明より

このように姫路城も石垣の石の調達には苦労したようで、探すとあちこちに所謂転用石を見ることができる。石棺や燈篭や墓石まで転用されていたらしい。

姫路城はそもそも有力者の古墳が多く存在していた姫山という丘陵の地形を利用して作られ、石垣には大きさ的に都合の良い古墳の石棺なども積極的に利用されたようだ。

現在は中が空洞なので強度的に問題があり、レプリカがはめ込まれているものもあるようだが、いたるところで転用石ではないかと思われるものを見ることができる。

また石棺の本体や蓋、家形石棺の蓋などが無造作に保管されている。

備前門

ぬの門の渡櫓の前 手前の石棺の底板は葵門から、奥の二つの石棺は備前丸の石垣から移されたもの

石垣オタクの方にとっては常識なのだろうが、改めて探すと奥が深い。

古墳の埋葬者にとってはたいそう迷惑な話で、そのままになっていたら石棺一つで十分国の史跡として大切に扱われていただろうに、気の毒な事だ。