JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine May 2017

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■ 宇治城陽の史跡巡り 大野木康夫

大型連休中は色々用事があってなかなか撮影に行けなかったのですが、最終日の5月7日に少し時間ができたので、宇治市・城陽市の史跡をいくつか回りました。

隼上り瓦窯跡(宇治市)

7世紀前半頃の瓦窯跡で、蘇我氏が飛鳥に建立した豊浦寺で使われた瓦を作っていたそうです。

昭和57年、宅地開発中に発掘され、昭和61年に史跡に指定されました。

埋め戻されて公園として整備され、4本の窯跡の形をなぞってツツジが植えられています。

   

宇治川太閤堤跡(宇治市)

宇治川は、かつて宇治橋下流からすぐに巨椋池に流れ込んでいましたが、文禄3(1594)年、豊臣秀吉が伏見城を築城した際、琵琶湖からの水運を確保する目的で槙島堤を築いて北流するよう付け替えを行いました。

史跡は京阪宇治駅のすぐ北西に位置しており、平成19年に発掘され、平成21年に史跡指定されたものです。

発掘時の写真を表示したパネル

 

現在の様子

  

向かいにある莵道稚郎子陵墓

かつては円丘だったものを、明治22年に陵墓に定められたときに前方後円墳の形になったそうです。

  

久津川古墳群(城陽市)

5世紀ごろに順次築造された、南山城最大の古墳群ですが、宅地開発により多くが失われ、残ったもののうち4基が史跡に指定されています。

うち、久世小学校古墳は小学校の中庭にあるため、訪問しませんでした。

俯瞰するために鴻巣山運動公園に行きました。

連休最後の日で、多くの親子連れでにぎわっていました。

    

芭蕉塚古墳

平成28年に追加指定されました。

周囲がイズミヤ大久保店の駐車場になっています。

久津川古墳群中、車塚古墳と並んで規模が大きい前方後円墳で、首長の墓と考えられています。

  

墳丘の上

  

久津川車塚古墳

丸塚古墳と共に、昭和54年に史跡に指定された規模が大きい前方後円墳です。

JR奈良線が敷設された際に後円部の東側が削られています。

  

墳丘西側

  

前方部

  

後円部

中央部が大きくへこんでいます。

  

丸塚古墳

住宅地の中に取り残されるように残る帆立貝型古墳です。

規模が小さいため、首長ではなく配下の墓ではないかと言われています。

  

芝ヶ原古墳(城陽市)

久津川古墳群の支群である芝ヶ原古墳群のうち12号墳が平成元年に史跡に指定されたものです。

前方後方墳の出現期の古墳です。

  

正道官衙遺跡(城陽市)

宅地開発に伴い、昭和48年に発掘されました。

当初は大規模な寺院ではないかとされていましたが、規模、構造から、久世郡衙の中枢部分に比定されました。

現在では住宅地内の公園として利用されています。

  

平川廃寺跡(城陽市)

奈良時代後期の大規模寺院の跡です。

指定区域は、伽藍中枢部の塔及び金堂の基壇跡です。

  

史跡は地味ですが、訪問準備の位置の特定、実際の訪問時の周囲の環境の意外性など、興味深いのでまた折を見て回ってみたいです。