JAPAN GEOGRAPHIC
Monthly Web Magazine June 2017
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■■■■■ Topics by Reporters
■映画「寅さん」と「釣りバカ」の舞台、伊根の舟屋は水上のリゾート 瀧山幸伸
今回はより詳しく伊根の舟屋の街並を調べたかったので、大型遊覧船と小型船それぞれに乗ってみた。
小型船は、舟屋の近くを静かにゆっくりと進み、解説も細やかで、しかも船主の舟屋にも立ち寄ってくれるのでおすすめだ。
伊根は映画「寅さん」と「釣りバカ」の舞台となっている。「あの浜辺で寅さんが」「この家で釣りバカの」などと、船主が臨場感たっぷりに解説してくださる。
後日、その映画と今回撮影した映像とをじっくり比較鑑賞した。
映画に登場する伊根はほんの数シーンで、街並や人々の生活を活写できていないが、時間やストーリーに制約がある映画ではやむを得ない。
Japan Geographicの映像はフィクション映画ではなくドキュメンタリー映画だから、上映時間やストーリーの制約がない。
小型船クルーズの全行程をほぼノーカットで公開している。
ドキュメンタリー映画は映画館上映やテレビで流すには大変厳しので、派手なシーンを厳選し、BGMやナレーションを付加して視聴者を飽きさせないようにしている。
Japan Geographicの映像は、ありのままの映像やサウンドの価値を伝えることを重視しており、臨場感のノイズとなるBGMやナレーションやテロップは原則として入れない。映像を視聴する前にウェブで学習すれば足りるから。
できあがった映像は退屈に見えるが、まるで自分がその場にいるような臨場感がある。しかも、カメラの視点がゆっくりなので、それぞれのシーンで見るべきポイントもわかりやすい。
要するに、街並や文化の細部を知れば知るほど、一コマ一コマが興味深く楽しいと思えてくるのではないだろうか。
今回の訪問は10年ぶりだったが、2006年に書いた考察で、まちおこし案の一つとして提唱した舟屋型の宿も新しくできていた。
重要伝統的建造物群保存地区の街並と全く同じデザインで、街並みに溶け込んでいたらなお良かったが、客がのんびりと縁側でくつろいでいる姿に、伊根特有のリゾートライフが現実化しているのを実感した。
伊根のことは街並を紹介する本でも取り上げたが、ウェブと映像で学べば費用はかからないし情報も多い。ほんとうに便利な時代になったものだ。
次回はぜひとも伊根に宿泊して、この地に暮らす人々とゆったりとした時間を共有したい。海辺に浮かぶリゾートはタヒチなどにあるが、身近な日本でそれ以上の非日常体験ができる幸せを逃す手はない。安上がりなうえに、天然ブリをはじめ海山の幸も楽しみだ。
■琵琶湖周航の歌−100周年 中山辰夫
滋賀県人が何かの集まりがあると最後に愛唱する「琵琶湖周航の歌」。今年は生まれて100年目に当たり、記念の行事が各地で6月に行われます。
周航の歌は、旧制第三高等学校(現京都大学)水上部の部員であった小口太郎が琵琶湖周航の時に作ったもので、後に三高の寮歌にもなりました。
周航した湖岸のゆかりの地にはそれぞれ歌碑が建てられています。歌詞順にそれらの地を並べて琵琶湖の一端を紹介させて頂きます。
一番歌詞 われは湖の子さすらいの 旅にしあれば しみじみと のぼる狭霧(さぎり)や さざなみの 志賀の都よ いざさらば
1893(明治26)年以降、三高水上部は学年末に三泊4日程度の琵琶湖周航を行っており、1917(大正6)年、小口たちも大津三保ケ崎から周航に出ました。
三高水上部の基地であった三保ケ崎と現在も存続の艇庫(現京大ヨット部が使用)
三保ケ崎は琵琶湖疏水の取水口、即ちスタート地点です。
二番歌詞 松は緑に砂白き 雄松が里の 乙女子は 赤い椿の森陰に はかない恋に 泣くとかや
停泊した近江舞子には歌碑がたち、名勝の地・雄松崎には現在も松並木が連なり、砂浜、琵琶湖、バックの比良の景観は100年前と変らない美景です
三高生の常宿だった雄松館(旧館)は健在で、今は「周航の家」と名付けられNPOの拠点として利用されています(改修中)。白浜はいつも若人で溢れています。
春を告げる「比良八講」の行事は雄松崎の浜辺で行われます。
三番歌詞 波のまにまに漂へば 赤い泊火 なつかしみ 行方定めぬ 波枕 今日は今津か長浜か
二泊目の今津の宿で小口が詩を仲間に披露、「ひつじぐさ」のメロデイ—に合せて歌いました。即ち「琵琶湖周航の歌」の誕生でした。1917−06−28のことです。
歌碑と今津港、琵琶湖周航資料館、前方に見える島が竹生島、今津港から船が出ています。桟橋の先端に立つ歌詞を刻んだ航行標識が「赤い泊火」です。
四番歌詞 瑠璃の花園 珊瑚(さんご)の宮 古い伝えの竹生島 佛の御手(みて)に いだかれて ねむれ乙女子 やすらけく
歌碑は竹生島港に立っています。古来より信仰の対象で、神の棲む島ともといわれた竹生島。無人島で寺社関係・商売関係の人は毎朝通ってきます。
境内には、宝巌寺や都久夫須麻神社など、安土桃山文化を伝える国宝・国重要文化財の構造物が並んでいます。
五番歌詞 矢の根は深く うずもれて 夏草しげき 堀のあと 古城にひとり 佇めば 比良も伊吹も 夢のごと
歌碑は彦根港に立っています。ここからも竹生島への船がでます。白砂の浜辺と松林が1km続く「千々の松原」は景勝の地で、種々の催しが行われます。
古城については特定されていません。「矢の根」から佐和山城といわれています。琵琶湖からは彦根城が見えます。
六番歌詞 西国十番 長命寺 汚れ(けがれ)の現世(うつしよ) 遠く去りて 黄金(こがね)の波に いざ漕がん 語れ我が友 熱き心
歌碑は長命寺港口に立っています。近年になって長命寺境内にも立てられました。
長命寺は西国三十一番札所、歌では十番になっています。三十一だと歌に収まらなかったといわれます。800余段の石段の参道で知られる。境内には三重塔や本堂など国重要文化財の建造物が並ぶ古刹です。
琵琶湖からは長浜城が見えます。
100年前に三高生が愛艇から見た琵琶湖の美しい景観は現在に引継がれている。今後に伝えて行くことが私たちの責務である。
最近「びわいち」と称して、自転車に乗っての琵琶湖一周が提唱されている.もっと多くの人と琵琶湖を共有したいと思います。
■ 開門 大野木康夫
5月21日、宗祖降誕会が開かれている西本願寺で、来年から修理が始まる唐門が34年ぶりに開門されました。
開門予定時刻は9時、西本願寺に到着したのは15分前でしたので、式典が行われる南側道路には近づけず、北側の境内で開門を待ちました。
待っている間、通信社の方に声をかけられて取材対象となってしまい、一部新聞記事に名前が出てしまったのは御愛嬌ですが、「京都市(山科区)在住」と言ったら「地元」と書いてあって(少し端折りすぎ)、本当の地元(隣の学区)出身である家内からひやかされてしまいました。
裏側から見ていたので、準備風景を撮影することができました。
普段設置されている木柵を撤去
閂をはずす
開門用意
開門時の連写
先頭の行列
一般の通り抜け開始前に門扉保護柵設置
一般の通り抜け開始
通り抜けのため南側へ
長蛇の列
約30分で唐門前へ
通り抜け時、至近距離からの撮影
再度通り抜け風景を撮影
通り抜けできるのは午後1時まででした。
この日は、御影堂で宗祖降誕会の法要が行われていました。
また、第二十五代専如門主伝灯奉告法要期間中(5月31日まで)で、境内に仮設カフェなどが設けられており、境内も大変賑やかでした。
来年から始まる唐門の修理(檜皮の葺替え、漆の塗替え)の期間はわかりませんでしたが、今から修理直後の鮮やかな彩色が楽しみです。
■ゲンジボタル 蒲池眞佐子
山口県では6月3日、一斉にあちらこちらで「ほたる祭り」が開催されました。
地元の子供たちにとっては一大イベントらしく、去年は雨で中止になったため一年越しの待ちに待ったお祭りだったようです。
道案内をしてくれた子供も「こっちだよー」「もうちょっとだよー」と先導してくれました。
初めて蛍を写真に撮ろうと思い、行ったものの、まずは、お祭りの屋台へ・・
ビール片手、焼き鳥片手に持って、既に顔を赤らめた実行委員のおじさんに蛍の出現場所を確認。やはり出現ポイントがあるようです。
蛍の撮影は難しいとはわかってはいたものの、最初の写真はやはりまっ暗。
試行錯誤をしながら、ほんのちょっとだけ撮れたかな、ぐらいになりました。
子供も蛍を見て走り回わり、足場も悪いので、三脚はNG。
桜の時期もそうですが、蛍も1週間程度。また来年にチャレンジしなければ。
山口県にはたくさんの蛍出現場所があります。川がきれい、水がきれいなんですね。
■久しぶりのヨット 田中康平
時々博多湾でヨットで遊んでいる。少しばかり非日常なところがいい。ヨットは季節を問わずできるスポーツで冬の間も風が安定している時に船を出せば結構面白い。しかし今年の冬はそうもいかなかった。
年の終わりころに患った風邪がこじれて体調が今一つの日が続き少し良くなったと思ったら今度は左手が腱鞘炎になるなどあっちこっち体がボロボロになってついにヨット遊びは一度もできなかった。寄る年波には勝てないということだろう。そろそろ体調も回復し大丈夫かと出かけると風が強くて出航キャンセルとなったこともありあれやこれやでやっと5月の終わりころに6か月ぶりにヨットで遊んだ。
久しぶりに乗ると船の艤装もところどころ手順が怪し気になっていて、海に乗り出してもセールを操るタイミングも思い出しだしとなる。それでもしばらく船を操っているとだんだん錆が落ちてきて結構面白い。
午後は風がやや強くなったこともあってスキッパーからクルーへ回りもっぱら写真を写して遊ぶ。ディンギーのクルーもバランスに常に注意を払う必要があるため画像を見ながら写真を撮るわけにもいかず、方向を目の子で合わせて適当にシャッターを押す。カメラは5m防水のコンデジだが一度ハーバーのコンクリートに落としたことのあるカメラでレンズの前のカバーガラスが割れてしまっていたのをアクリル板と防水接着剤で不細工に修理したものだ、修理以来初めて水にさらすことになる。何しろディンギーではチンしなくても波をかぶるため乗っていれば水浸しになる、防水は必須だ。とにかく写す。
陸に上がって落ち着いて写した画像を見てみると、向きが悪くて船内の金具ばかりが写っているショットの他にどうにか見れるかというものが数枚ある。数枚でも結構ダイナミックな雰囲気があって面白い。カメラのほうも一応大丈夫そうで水の侵入した気配はない。
これはと思うショットを気持ち良く普通はやらないほどに加工してInstagramにアップしたりしてしばらく遊ぶ。ヨット遊びとカメラ遊びと、いずれも日常から少し外れたふうに遊ぶのがやはり面白いようだ。いつまでこんな風に遊べるだろうか、それが問題だが。
■ 一昔前の国際便のカトラリーセット 野崎順次
その昔、国際線機内食についているナイフ、フォーク、スプーンなどの金属食器類(カトラリー)は、スチュワーデスに頼めば、持って帰ることができた。持って帰ろうという人も少なかったが。
久しぶりに引き出しの奥から出して、整理してみた。3点そろっているのは少ないが、なかなか味わいがある。よく見ると、デザイナーやメーカーの刻印のあるものもある。
ルフトハンザのはぽったりと厚みがあり、一番好きだ。Wolf Karnagelというデザイナー名の刻印がある。スプーンもあったはずだが、見当たらない。
エールフランスはさすがにしゃれている。茶色の柄の分のデザイナーはVICOである。柄の部分が白に青線のは、Nathalie Georgeの刻印がある。
フィンエアのは比較的薄く、柄に折り目があって、繊細な感じがする。刻印はメーカー名でHackman(ハックマン)。
アリタリアのには、アリタリアのデザインによるとある。fecix inox との刻印があるが、inoxはステンレスのことだから、恐らく、はイタリア語でステレンレス・スチールことだろう。
JALは丈夫そうでごく普通。
BAも丈夫そうでごく普通。
ヴァージン・アトランティックのスプーン。
BWIA(ブリティッシュ・ウェスト・インディアン・エアウェイズ)のスプーン。この航空会社は2006年にカリビャン・エアラインズに組織替えされている。
四月だったか車にドライブレコーダーを設置しました。
取り付けたのは、ドライブレコーダー専用機ではなく、アクションカメラでドライブレコーダーの機能がある機種です。
中国製の安価なアクションカメラですが、なんと4K動画の撮影が可能です。
レンズに問題があるのでしょうか画像にゆがみがみられますが、ドライブレコーダーとしては十分役に立ちます。
このドライブレコーダーを取り付けてから、運転していて怖い・危ないと感じたことはなかったのですが、6/3のテニスの帰りに結構危ない運転に出会いました。その時のドライブレコーダーの動画が下のリンクです。
動画の後半に左から車が出てきます。
片側2車線の道路でしたから、すぐに右側の車線に逃れることが出来ましたが、1車線の道路でしたら急ブレーキをかけても止まれたかどうか微妙な状況でした。思わず車内で罵声を浴びせてしまいました。
これで事故になっていたら、この動画が大いに役に立ったのでしょうが、役に立たずになによりであったというのが現実です。
そして、これでドライブレコーダーの効用を実感したのも事実です。
ただ、問題もありました。日付と時刻が正しくないのです。
最初に正しく合わせたつもりですし、しかも日付が先に進んでいます。原因不明です。
再度正しい日付と時刻を設定し直しましたが、しばらく様子を見るしかありません。
「安物買いの銭失い」にならなければ良いなと思っています。
撮影日2016年8月 長野県北佐久郡
消防の歩みを見ると終戦から昭和29年までの間に大火が全国で20件も発生しているとのこと。近年までの大火は48件とのことで、その半数以上が昭和29年までに発生していることになります。
看板のあった長野県においては飯田市が昭和21年と22年に二度の大火に見舞われています。特に昭和22年の大火は焼損棟数3,742軒、焼損面積48万1,985平方メートルと戦後最大の大火となっているそうです。
昭和22年といえば戦後に人々の暮らしがやっと落ち着き、これからという時期のはずで被災された方々はいっそう大変であったと想像できます。
ホーローの看板は家門口の柱に貼り付けてあった物。今から63年前(撮影時は2016年)のものということになります。この看板がもらえるのに審査はあったのかしら、消防訓練に参加したりとか、かまどの火の始末や、漏電の検査などあったのかしら、と思いつつ、看板のある町を過ぎました。
火災に関しての体験は小学生の頃、100メートルばかり離れた家でおきた火災で炎が赤く見えて、学校の勉強道具を持って逃げなければ、と思いつつも足がすくんで動かなかった記憶があります。
最近で気になることは、わが家の横が週に一度の廃品回収置き場になっているのですが、目の前にあるワンルームマンションの若い人々が段ボールや古本を夜中に捨てに来ます。朝出さなければいけ無いと思うのですが、夜中に誰かがその段ボールにタバコでも投げたり、故意に火を付けたら、すぐに火事になりそうで、怖いなぁ、と思っています。
都会の人ってマナーが悪い人が結構います。『優良でない』看板作って貼っておきたい気分……。
■おばちゃんカメラマンが行く 奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観 @島根県奥出雲町 事務局
今回はたたらと棚田の文化的景観についての「なんじゃこれ〜」だ。
5月に訪問したが、日本遺産に選ばれたこと、映画「たたら侍」が封切されたこと等により、地元ではかなり観光に力を入れているようで、メジャーな所はのぼり旗などで飾られ賑やかだった。
奥出雲町、原口・福頼
棚田ののどかな田園風景の間に小さなポッコリ山があり、それらのほとんどが神社や墓で、木がチョンチョンと生えている。 鉄穴(かんな)残丘だ。
奥出雲町、大原新田の棚田
奥出雲のたたら技術は鉄穴流しで始まる。
「奥出雲地方で盛んに行われていた「鉄穴流し」は、山を切り崩して土砂を流し、それに含まれる砂鉄を採取する方法です。
この鉄穴流しは、山を切り崩すことはもとより、大量の土砂を河川に流すことから、流域の環境に大きな影響を与えました。川底が上がり洪水を起こしやすい「天井川」(川底が周囲の平地よりも高くなった川)となることや、流域の農業用水路が埋まることなどは負の側面です。その一方で、先人達は鉄穴流しの跡地を棚田に造成したり、川を流れ下った土砂を利用して新田開発を行うなど、跡地や土砂を有効に利用してきました。」
参考(http://tetsunomichi.gr.jp)
この鉄穴残丘は神社や墓などがあったために削られず今まで残ったものなのだ。
全体ではどの程度削られたかというと、1回のたたらで必要な鉄は14〜15トンで、土砂から1%の砂鉄が取れるとして、その100倍の土砂を流したことになり、斐伊川流域に2.2億平方メートル(東京ドーム177杯分、同HPより)、よくわからないがとてつもなく多量の土砂が流出し、扇状地を作った。
川の流れが変わり、宍道湖を埋め立て、天井川になるほどのすさまじさだ。
流れ出した土砂が堆積したその跡地利用、回りくどくなったがこれが「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」なのだ。
何となく眺めていたのどかな平野が、たたらにより300年の間に地形を変え産業が変化していったとは、まさに「なんじゃこれ〜」と言うべきものだったのだ。
たたらについては玉鋼や天秤ふいごなど語らなくてはいけない事がたくさんあるが、それは同HPを参照してもらいたい。
たたら関連でも奥出雲町以外、例えば出雲市の田儀桜井家などは案内も少なく行きにくい。また越堂たたら跡はせっかく発掘してほぼ全景が見えたにもかかわらず、私たちが行った1週間後に埋め戻されるという。最後に見られたのはラッキーだったが、文化財的には大きな損失だと思う。
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Japan Geographic Web Magazine
Editor Yukinobu Takiyama
yuki at .jp (Replace at to @)
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