JAPAN GEOGRAPHIC
Monthly Web Magazine June 2017
■琵琶湖周航の歌−100周年 中山辰夫
滋賀県人が何かの集まりがあると最後に愛唱する「琵琶湖周航の歌」。今年は生まれて100年目に当たり、記念の行事が各地で6月に行われます。
周航の歌は、旧制第三高等学校(現京都大学)水上部の部員であった小口太郎が琵琶湖周航の時に作ったもので、後に三高の寮歌にもなりました。
周航した湖岸のゆかりの地にはそれぞれ歌碑が建てられています。歌詞順にそれらの地を並べて琵琶湖の一端を紹介させて頂きます。
一番歌詞 われは湖の子さすらいの 旅にしあれば しみじみと のぼる狭霧(さぎり)や さざなみの 志賀の都よ いざさらば
1893(明治26)年以降、三高水上部は学年末に三泊4日程度の琵琶湖周航を行っており、1917(大正6)年、小口たちも大津三保ケ崎から周航に出ました。
三高水上部の基地であった三保ケ崎と現在も存続の艇庫(現京大ヨット部が使用)
三保ケ崎は琵琶湖疏水の取水口、即ちスタート地点です。
二番歌詞 松は緑に砂白き 雄松が里の 乙女子は 赤い椿の森陰に はかない恋に 泣くとかや
停泊した近江舞子には歌碑がたち、名勝の地・雄松崎には現在も松並木が連なり、砂浜、琵琶湖、バックの比良の景観は100年前と変らない美景です
三高生の常宿だった雄松館(旧館)は健在で、今は「周航の家」と名付けられNPOの拠点として利用されています(改修中)。白浜はいつも若人で溢れています。
春を告げる「比良八講」の行事は雄松崎の浜辺で行われます。
三番歌詞 波のまにまに漂へば 赤い泊火 なつかしみ 行方定めぬ 波枕 今日は今津か長浜か
二泊目の今津の宿で小口が詩を仲間に披露、「ひつじぐさ」のメロデイ—に合せて歌いました。即ち「琵琶湖周航の歌」の誕生でした。1917−06−28のことです。
歌碑と今津港、琵琶湖周航資料館、前方に見える島が竹生島、今津港から船が出ています。桟橋の先端に立つ歌詞を刻んだ航行標識が「赤い泊火」です。
四番歌詞 瑠璃の花園 珊瑚(さんご)の宮 古い伝えの竹生島 佛の御手(みて)に いだかれて ねむれ乙女子 やすらけく
歌碑は竹生島港に立っています。古来より信仰の対象で、神の棲む島ともといわれた竹生島。無人島で寺社関係・商売関係の人は毎朝通ってきます。
境内には、宝巌寺や都久夫須麻神社など、安土桃山文化を伝える国宝・国重要文化財の構造物が並んでいます。
五番歌詞 矢の根は深く うずもれて 夏草しげき 堀のあと 古城にひとり 佇めば 比良も伊吹も 夢のごと
歌碑は彦根港に立っています。ここからも竹生島への船がでます。白砂の浜辺と松林が1km続く「千々の松原」は景勝の地で、種々の催しが行われます。
古城については特定されていません。「矢の根」から佐和山城といわれています。琵琶湖からは彦根城が見えます。
六番歌詞 西国十番 長命寺 汚れ(けがれ)の現世(うつしよ) 遠く去りて 黄金(こがね)の波に いざ漕がん 語れ我が友 熱き心
歌碑は長命寺港口に立っています。近年になって長命寺境内にも立てられました。
長命寺は西国三十一番札所、歌では十番になっています。三十一だと歌に収まらなかったといわれます。800余段の石段の参道で知られる。境内には三重塔や本堂など国重要文化財の建造物が並ぶ古刹です。
琵琶湖からは長浜城が見えます。
100年前に三高生が愛艇から見た琵琶湖の美しい景観は現在に引継がれている。今後に伝えて行くことが私たちの責務である。
最近「びわいち」と称して、自転車に乗っての琵琶湖一周が提唱されている.もっと多くの人と琵琶湖を共有したいと思います。