JAPAN GEOGRAPHIC
Monthly Web Magazine Aug. 2017
寒立馬とその生息地として県の天然記念物に指定されている尻屋崎に行く。
台風が接近していることもあり、潮風が強く海岸の波は音を立てて打ち寄せていた。
寒立馬を灯台付近で発見できるのではないかと、予想外に大きな糞を頼りに探したが発見できず。
自然放牧のため、どこにいるか馬次第ということで、年期の入った土産物屋のおばさんにもわからないらしい。
本来の目的である、国の史跡の浜尻屋貝塚へ行く。
約600年前の中世の漁村遺跡でアワビの貝塚層が発見された。
今は埋め戻されて貝塚らしいものは何もないが、中国製の陶磁器や古銭、北方系の骨角器が出土したことから、当時の交流の広さや裕福さをうかがい知ることができる。
馬、馬と念力を入れてしぶしぶ帰路につくと、最後の最後に居るではないか、寒立馬たち。
しかも集団でわき目も触れず草を食んでいる。
がっちりとした体格で、ことごとく造作が大きい。立派なたてがみと尻尾をなびかせてバリバリと草を食んでいる。
まつ毛も長く、目も口も鼻も大きいが愛らしい。長いずんぐりした胴と短い脚に大きなヒズメで、どったんどったんと跳ねたりする。
とてもおとなしく、近寄っても動じない。冬吹雪の中、じっと寒さに耐えて立っている姿が想像できる。今年生まれた子馬もいるようだ。
ところがこの寒立馬達にはいろいろな事情があるようだ。
藩政時代から南部馬を祖とし、のちに交配により軍用馬(田名部馬)として働き、戦後さらに交配により農用馬(肉用馬)に改良された。
所有者の東通村は、青森県畜産農業協同組合主催の市場で、主に仔馬を食用としてセリにかけているそうだ。
村は財政難で、野放しとはいえ越冬のための飼料代や管理人の人件費を捻出しなくてはならず、それこそ苦肉の策らしい。
原子力発電所の誘致の影響が直接馬達に及んでいるのではないかと考えてしまう。
性格が穏やかで忍耐強く、生まれてから個々に名前を付けられ可愛がられてきた馬たちのことを考えると心が痛む。
子供を売って集団を維持するとは、おしんの時代ならいざ知らず、一時代前の発想だ。
観光用でも農用でも経済的に自立し、自然に馬の一生を全うしてほしいと心から願っている。
こんな活動もあった。
寒立馬を守る会 https://www.kandachime.info/