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Monthly Web Magazine Sep. 2017

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■ パリでトラブル続き  野崎順次

今年の7月下旬、5年ぶりに英国に出張した。その前に身内のいるパリに寄って2泊した。その身内がパリ北駅の真ん前にホテルを選んでくれて、ロンドンへの国際列車ユーロスターのチケットも手配してくれた。私はフランス語はできないが、これまでパリに10回以上来ているし、地下鉄の乗り方も慣れ切っているので何ら問題は起きないと思っていたが、そうではなかった。

シャルルドゴール空港から電車でパリ北駅(Gare du Nord)に着いた。重いリュックを担ぎ、大きなキャリーケースを押して通りに出た。ホテルは北駅の真ん前の筈なのに、見つからない。グーグルマップでは通りを少し入ったところに入り口があるようだ。ホテルの予約確認書を見せて通行人に聞いたが、知らないようである。後で分かったが、聞いた地点はホテルの玄関からわずか20mだった。そうとは分からずウロウロと離れて行った。アラブ系の若者がいたので、予約確認書を見せると、こともなげによく知っているという。こちらに来いという。行くと、駅からどんどん離れて300mを越えそうだ。リュックもキャリーケースも重いので汗だくである。もういいといって、駅に向かったが、その若者はついてきて、ふざけて私の脚に脚をからませたりするので、本気で怒って追い払った。結局、駅に戻り、冷静になって見回して、ホテルを見つけた。ホテルの玄関は駅側に面していたが、両替屋とカフェの間の狭い通路で、しかも改修工事の足場に半ば隠れていた。

翌日、オルセー美術館(Musee d'Orsay)に地下鉄で行くことにした。一眼レフ、交換レンズ、三脚など趣味の撮影機材を入れたリュックが重たい。パリ北駅からは サンミシェル・ノートルダム駅で乗り換えようとした。ところが、オルセー美術館方面の乗り換えの表示に従って進むのだが、どうしても乗り換え駅に着けない。いつの間にか地上への改札口に出てしまう。カフカ的状況である。パリの地下鉄に乗る自信がなくなってきた。後で分かったが、オルセー美術館に行く地下鉄路線が長期工事中で閉鎖していたのだった。その表示があったはずだが、フランス語だし目立たなかったようだ。

  

結局、地上に出て歩くことにした。ノートルダム寺院の近くからオルセー美術館まで、セーヌ川沿いに2㎞足らずである。ポンヌフ橋の上で、東欧系の娘が片言の英語で身体障碍者のための寄付を頼んできた。当初は悪辣な感じがしなかったので、5ユーロ出した。すると、もう5ユーロ出せという。片言の英語がよく分からないが、先ほどのは目の不自由な人(実際はもっと露骨な表現)の分で、次は口の不自由な人(実際はもっと露骨な表現)のためのようだ。邪魔くさくなってまた5ユーロ出した。後で聞いた話では、彼らはジプシーで観光客目当ての不法な金集めをしているとのこと。その直後に、セーヌ河畔で二人の若者が私に抱き着くように同じ寄付を強要してきた。もうその手には乗らないと、追い払った。彼らはもっと執拗な場合もあって、暴力沙汰になることもあるそうだ。

 

ポンヌフ橋であるが、フランス語で Pont Nuef である。Pontは橋のことだから、日本語の案内書には「ヌフ橋と」表記されている場合もある。でも、あまりにそっけないので、やはりポンヌフ橋の方がよいと思う。東大寺の英名を Todai Temple ではなく、Todaiji Temple とするように。じゃー London Bridge を和訳するとき、ロンドンブリッジ橋とするかどうか。どうでしょう?

オルセー美術館を見た後、ルーブル美術館方面にも地下鉄路線があるので、そちらへ道路を渡ろうとすると、渡れない。実はこの日、ツールドフランスの最終日で交通規制があちこちで行われていた。

 

結局、ボンヌフ橋まで戻り、地下鉄に乗った。いったんホテルに戻り、重い撮影機材をおいた。この時点で万歩計は1万5千歩を超えていた。

身内とはマドレーヌ寺院の前で午後3時に待ち合わせだった。ツールドフランスのゴール(シャンゼリゼ通り)でも見物しようかと思っていたが、もう歩き疲れていたので断念した。近くのカフェでオリーブをつまみにビールとワインを飲んで、北駅に戻ってまた飲みながら夕食をとった。よく歩きよく飲んで、すっかりくたびれた。

次の日、ロンドンへの国際列車ユーロスターは午前11時13分発である。ホテルの目の前が駅だから楽であるが、セキュリティー検査があるので、45分前には行った方がよいといわれた。1時間前に行くと、けっこうすごい行列である。空港ならキャリーケーストランクを押して行って、そのままチェックインできるが、鉄道の場合はずっとキャリーケースと一緒である。地上から1mくらいの検査台に25kg近いキャリーケースを上げるのが大変だ。また、列車に乗るときに段差があるし、列車内でも少し持ち上げて棚に置くので、私のような老人にはなかなか苛酷である。

   

結局、列車整備上の理由により、パリ北駅を出発したのは1時間20分遅れの午後1時頃だった。ホテルを出てから3時間後である。パリからロンドンへの所要時間は僅か2時間15分である。ただし、時差が1時間あるので、ロンドン(セント・パンクラス駅)に午後2時過ぎに着いた。ファーストクラスで軽食付きなので快適であった。テーブルは前の席の下から引き出す方式だが、鉄板焼きに使えそうな重たい厚い鉄板なのに驚いた。

 

最後のトラブルは列車のトイレだった。手を洗うところには、三つの装置が並んでいる。全てセンサーで手をかざすと自動的に出てくる。ハンドソープ液、水道、温風乾燥機の順である。ハンドソープを両手全体に充分塗りつけて、水道に移ると、水が出てこない。手の角度と動きをいろいろ変えても出てこない。仕方がないので、次の乾燥機にかざすとブォーと風が出てきて手が生乾きになったが、ニチャニチャしている。ハンカチでよく拭いても完全には取れない。結局、ロンドンのトイレで洗い直すまで不快感が続いた。その後、ロンドンで同様の経験は皆無だった。ユーロスターの水道は故障していたのだろうか。未だによく分からない。