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東京都中央区 水天宮
Suitengu, Chuoku,Tokyo

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Feb.2011 野崎順次


東京都中央区日本橋蛎殻町2-4-1

撮影日:2011年2月16日

日本橋蛎殻町で、安産祈願、子授けで親しまれてきた東京水天宮。もともと福岡県久留米市において、その昔、久留米藩有馬家の屋敷神として祀られてきました。江戸時代、第九代藩主頼徳公の時、三田は赤羽根の有馬藩上屋敷に分霊され、以来、庶民の信仰を集め、明治5(1871)年、現在の地に移り、全国のみならず海外からも大勢の参拝客で賑わってきました。

御祭神

天御中主大神 (あめのみなかぬしのおおかみ)
そもそも遠い昔のこと、誰もその形を知らない宇宙のはじまり。天と地も渾沌としていた時に、高天原と呼ばれる天のもっとも高い所に現れた神様が、天御中主大神であります。日本の神々の祖先神であり、水天宮の安産祈願、子授けなどに広大無辺なご神徳をあわされます。

安徳天皇 (あんとくてんのう)
第八十代天皇の高倉天皇と建礼門院の皇子として、治承2(1178)年にお生まれになりました。生後まもなく立太子となり、数え三歳にして第八十一代天皇に即位されました。祖父、平清盛の死後は、源氏方に追われて各地を転々とし、一時は、福岡太宰府まで落ちのびられました。寿永4(1185)年、八歳の砌(みぎり)、祖母二位の尼に抱かれ、壇ノ浦の海中にその身を投げられました。

建礼門院 (けんれいもんいん)
父清盛と母時子(二位の尼)の二女としてお生まれになり、御名は平徳子でありました。十八歳で高倉天皇の中宮となられました。建礼門院とは、安徳天皇を生んでしばらくしてからの院号であります。壇ノ浦の合戦で、安徳天皇を追って入水されましたが、源氏方に海中から引き上げられました。京の長楽寺で剃髪した後、余生を大原の寂光院で過ごされ、ひたすら平家一門の菩提を弔い、五十九歳のご生涯を閉じられたといわれます。

二位の尼 (にいのあま)
平清盛の正室で、御名を時子と申されます。清盛の死後出家し、天皇が授ける高位の位階、従二位に叙せられたので、二位の尼と呼ばれます。孫の安徳天皇と京から西へ逃れ、壇ノ浦にて入水されました。

説明板とアプローチ、石段を上ると境内に入ります。

                  

宝生辨財天
江戸時代、赤羽根に有馬家の上屋敷があり、辨財天の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られていました。九代藩主頼徳公は深く信仰していたので、宝生流の能楽を加賀百万石の前田公と競った時、辨財天に願をかけ、稽古に励んで勝利をおさめたといいます。辨財天は後に水天宮にお祀りされ、学芸、芸能、また「宝生」の名のごとく財福のご利益が信仰されています。毎月五日と己の日に、扉が開き、ご神像の優しいお顔が拝観できます。

   

狛犬
社殿に向かって右が口を開けて前足で玉を踏み、左が口を閉じ、それぞれ吐く息と吸う息「阿吽(あうん)」を表現しています。玉には、水天宮の社紋の椿と碇が刻まれています。

   

社殿
神社建築で由緒のある「権現造り」の優美な曲線がおだやかな表情を見せて迎えてくれます。この社殿は、昭和42(1967)年に完成しました。拝殿、祝詞殿、大床、外陣、内陣の造りになっています。

                  

額殿
古写真、奉納された額、絵馬などが掲げられ、時代を越えて真摯な人々の信仰心をしのぶことができます。

     

火風神社
水天宮の「水」にちなみ、火と風の神様をお祀りしています。毎年、一月六日、神職一同で神様にご奉仕いたしております。

   

子宝犬
愛らしい子犬とそれを見つめる母犬の情愛が伝わってくるようです。周囲を取り巻く十二支のうち、自分の干支を撫でると子授けや家内安全・厄除けなどのご利益があります。地下鉄半蔵門「水天宮前駅」ができた時には、渋谷のハチ公が水天宮の子宝犬に会いに来るという設定で、子宝犬がポスターに使われました。

    

安産子育て河童
愛らしい河童の像。
足下と胸、肩に赤ちゃん河童がしがみついています

    

紫灘神社

   

参考資料
水天宮HP




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