JAPAN GEOGRAPHIC

東京都文京区 新坂
Bunkyo Shinzaka 文京区 根津1丁目 根津神社南側と東大農学部北側にあり西向きに上る坂
始点 北緯35度43分9.71秒 東経139度45分42.85秒 標高約10m
終点 北緯35度43分8.8秒 東経139度45分36.18秒 標高約20m
坂延長 約150m

Category
評価とコメント
 General 総合評価
  景観も良く、根津神社の文化と自然も豊富。鴎外の青年に登場する。
 Nature 自然環境(主に緑)とエコロジーへの配慮。
   坂はS字状に湾曲し形状が美しい。
 Water 水への配慮
 根津神社の池
 Sound/Noise 音への配慮 良い音、騒音など
  
 Atmosphere 大気への配慮(風、香り、排気など)

 

 Flower 花への配慮
  
 Culture 文化環境への配慮(街並、文化財、文芸関連)
  根津神社の表参道に隣接。鴎外の青年に登場する。
 Facility 設備、情報、サービス
 神社の施設を利用可能
 Food 飲食



Nov.2012 瀧山幸伸

写真 現在の新坂
      

国土地理院 1/25000地図 

  江戸切絵図 (国土地理院所蔵)
 

別名、権現表坂、S坂という。
権現表坂は、根津権現(根津神社)の南側正面の坂であることに由来する。神社の北側は裏門坂である。
森鴎外の『青年』に登場する坂で、S字状と描写されている。

「青年」の散歩道 東大農学部脇から新坂への道

   


『青年』の主人公小泉純一が出会う女性について、S字状のこの坂を女性に見立てると、それが暗示する主人公の苦悩と葛藤、成長についてなにがしかのヒントが得られそうだ。
まず新坂はこう描写されている。

---純一は権現前の坂の方へ向いて歩き出した。二三歩すると 袂(たもと)から方眼図の小さく折ったのを出して、見ながら歩くのである。自分の来た道では、官員らしい、洋服の男や、角帽の学生や、白い二本筋の帽を被った高等学校の生徒や、小学校へ出る子供や、女学生なんぞが、ぞろぞろと本郷の 通(とおり)の方へ出るのに 擦(す)れ違ったが、今坂の方へ曲って見ると、まるで 往来(ゆきき)がない。右は高等学校の 外囲(そとがこい)、左は角が出来たばかりの会堂で、その 傍(そば)の小屋のような家から車夫が声を掛けて車を勧めた処を通り過ぎると、土塀や 生垣(いけがき)を 繞(めぐ)らした屋敷ばかりで、その間に 綺麗(きれい)な道が、ひろびろと附いている。
---広い道を歩くものが自分ひとりになると共に、この頃の朝の空気の、毛髪の根を緊縮させるような渋み味を感じた。そして今小女に聞いた大石の日常の生活を思った。国から 態々(わざわざ) 逢(あ)いに出て来た大石という男を、純一は頭の中で、 朧気(おぼろげ)でない想像図にえがいているが、今聞いた話はこの図の 輪廓(りんかく)を少しも 傷(きずつ)けはしない。傷けないばかりではない、一層明確にしたように感ぜられる。大石というものに対する、純一が 景仰(けいこう)と 畏怖(いふ)との或る混合の感じが明確になったのである。
坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して附いている。純一は坂の上で足を留めて向うを見た。
灰色の薄曇をしている空の下に、同じ灰色に見えて、しかも透き 徹(とお)った空気に浸されて、向うの上野の山と自分の立っている 向(むこ)うが 岡(おか)との間の人家の 群(むれ)が見える。ここで目に映ずるだけの人家でも、故郷の町程の 大(おおき)さはあるように思われるのである。純一は 暫(しばら)く眺めていて、深い呼吸をした。


「青年」 十九で、三人の女性が主人公の夢に登場する。

---場所の変化も夢では自由である。純一は水が 踵(かかと)に迫って来るのを感ずると共に、 傍(そば)に立っている大きな木に 攀(よ)じ登った。何の木か純一には分からないが広い緑色の葉の茂った木である。登り登って、扉のように開いている枝に手が届いた。身をその枝の上に 撥(は)ね上げて見ると、同じ枝の上に、自分より先きに避難している人がある。所々に白い反射のある緑の葉に 埋(うず)もれて、長い髪も乱れ、袂も裾も乱れた女がいるのである。
 黄いろい水がもう一面に 漲(みなぎ)って来た。その中に、この一本の木が離れ小島のように抜き 出(い)でている。滅びた世界に、 新(あらた)に生れて来た Adam(アダム)と Eva(エヴァ)とのように 梢(こずえ)を掴む片手に身を支えながら、二人は遠慮なく近寄った。
 純一は相触れんとするまでに迫まり近づいた、知らぬ女の顔の、忽ちおちゃらになったのを、少しも不思議とは思わない。馴馴しい表情と切れ切れの 詞(ことば)とが交わされるうちに、女はいつか坂井の奥さんになっている。純一が 危(あやう)い体を支えていようとする努力と、僅かに二人の間に存している距離を縮めようと思う慾望とに悩まされているうちに、女の顔はいつかお雪さんになっている。

入れ替わり立ち替わり淳一の夢に登場するその女性たちは、どんな姿をしているのか。
お雪は、中沢という銀行頭取の娘で、マネの「ナナ」に似ている。

---純一が国にいるとき取り寄せた近代美術史に、ナナという題のマネエの画があって、大きな 眉刷毛(まゆばけ)を持って、鏡の前に立って、一寸横に振り向いた娘がかいてあった。その稍や規則正し過ぎるかと思われるような、 細面(ほそおもて)な顔に、お雪さんが好く似ていると思うのは、額を右から左へ 斜(ななめ)に 掠(かす)めている、小指の大きさ程ずつに固まった、柔かい前髪の為めもあろう。その前髪の下の大きい目が、日に目映しがっても、少しも純一には目映しがらない。

マネは当時のパリの流行を取り入れた美しい女性たちを鮮やかに描いた。
「ナナ」の下着姿は当時は妖艶な絵であっただろう。
「ナナ」マネ(1877)


  

坂井未亡人は、純一にとって一番重要な女性だ。

---それと違って、スカンクスの奥さんは 凄(すご)いような美人で、鼻は高過ぎる程高く、切目の長い 黒目勝(くろめがち)の目に、有り余る 媚(こび)がある。 誰(たれ)やらの奥さんに、友達を引き合せた跡で、「君、今の目附は誰にでもするのだから、心配し給うな」と云ったという話があるが、まあ、そんな風な目である。真黒い髪が多過ぎ長過ぎるのを、持て余しているというように見える。

---まあ、なんという違いようだろう。お雪さんの、血の急流が毛細管の中を 奔(はし)っているような、ふっくりしてすべっこくない顔には、刹那も表情の変化の絶える 隙(ひま)がない。 埒(らち)もない対話をしているのに、 一一(いちいち)の 詞(ことば)に応じて、一一の表情筋の 顫動(せんどう)が現れる。 Naif(ナイイフ)な小曲に sensible(サンシイブル)な伴奏がある。
 それに較べて見ると、青み掛かって白い、 希臘(ギリシャ)風に正しいとでも云いたいような奥さんの顔は、殆ど masque(マスク)である。仮面である。表情の影を強いて尋ねる触角は尋ね尋ねて、いつでも大きい濃い褐色の 瞳(ひとみ)に達してそこに止まる。この奥にばかり何物かがある。これがあるので、奥さんの顔には今にも雷雨が 来(こ)ようかという夏の空の、電気に飽いた重くるしさがある。 鷙鳥(しちょう)や猛獣の物をねらう目だと云いたいが、そんなに 獰猛(どうもう)なのではない。 Nymphe(ニンフ)というものが熱帯の海にいたら、こんな目をしているだろうか。これがなかったら奥さんの顔を mine de mort(ミイヌ ド モオル)と云っても好かろう。美しい死人の顔色と云っても好かろう。

---空は青く晴れて、低い処を濃い霧の立ち 籠(こ)めている根岸の小道を歩きながら、己は坂井夫人の人と 為(な)りを思った。その時己の記憶の表面へ、力強く他の写象を排して浮き出して来たのは、ベルジック文壇の 耆宿(きしゅく) Lemonnier(ルモンニエエ)の書いた Aude(オオド)が事であった。あの読んだ時に、女というものの一面を余りに誇張して書いたらしく感じたオオドのような女も、坂井夫人が有る以上は、決して無いとは云われない。

---箱根に於ける坂井夫人。これは純一の空想に度々 画(えが)き 出(いだ)されたものであった。 鬱蒼(うっそう)たる千年の老木の間に、温泉宿の離れ座敷がある。根岸の家の居間ですら、騒がしい都会の趣はないのであるが、ここは又全く人間に遠ざかった 境(さかい)で、その静寂の 中(うち)に Ondine(オンジイヌ)のような美人を見出すだろうと思った。

オンジイヌのような美人とはどんな美人だろうか。オンディーヌは水を司る精霊で、人間との悲恋物語が多く伝えられている。純一の片想いも悲恋に終わるのだが、水の精霊たる坂井夫人が実は箱根の温泉の精霊であったということであろうか。観光客誘致のまちおこしネタとしては大衆受けするだろうが文学的には味気ない。

「オンディーヌ」 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (1872)

 


おちゃらは、純一にとっては全くの気まぐれで、おまけ程度の人物描写である。

---「おちゃら」と返事をしたが、その返事には 愛敬笑(あいきょうわらい)も伴っていない。そんならと云って、さっきの婆あさんのように、人を馬鹿にしたと云う調子でもない。おちゃらの顔の気象は純然たる calme(カルム)が支配している。無風である。
 純一は横からこの女を見ている。 極(ごく)若い。この間までお酌という 雛(ひよこ)でいたのが、ようよう drue(ドリュウ)になったのであろう。細面の頬にも鼻にも、天然らしい 一抹(いちまつ)の 薄紅(うすくれない)が 漲(みなぎ)っている。涼しい目の 瞳(ひとみ)に横から見れば緑色の反射がある。

参考文献 
調査中: Camille LemonnierのAude