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東京都墨田区 野見宿禰神社

Nominosukunejinja,Sumidaku,Tokyo


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Jan.16,2026  柚原君子

野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)
所在地:東京都墨田区亀沢2-8-10

相撲の始祖者、野見宿禰を相撲の神様として祀っている神社。両国国技館の近くにあり、日本相撲協会に管理されている。神社に社務所はなく、場所中のみ国技館内に於いて御朱印が販売されている。国技館に入るには最低でも2500円かかるので、相撲観覧の時にしか、授与される機会はない。

野見宿禰が登場する一番古い文献は「日本書紀」。今から2000年程前の垂仁天皇の時代に怪力の当麻蹴速と相撲を取らせた所、野見宿禰が勝利し、垂仁天皇に仕える事となる。
ただし、日本書紀によると、この時の相撲は現在のように組み合って押したり投げたりするものではなく、『蹴り合い』による戦いだったようで、この時の戦いは相手を蹴り殺している激しいものだったそうである。
この激しい戦いは「捔力(スマヒ)」と呼ばれ、『捔力スマヒ』のスマヒがのちに「相撲」ととなり、江戸時代には「角力」と変化して、現在の相撲世界のことを「角界」というに至っている。

また、野見宿禰は今までの皇族の葬儀で殉死者を一緒に葬る慣例をやめ、代わりに埴輪を入れる事になったと伝えられている(伝承)。

当時は高貴な方が亡くなると、それまで仕えていた人も生きたまま一緒に墓に埋める「殉葬」という風習があったが、垂仁天皇はそのような残酷な風習はよくないことだから今後は辞めようと言った。
野見宿禰」は自身の出身地でもある出雲から土製品を作る人を呼び寄せ、「埴はにつち(粘土のこと)」で人や馬などを作らせ、その『土物はにもの(埴輪)はにわ』を「殉葬者の代わりに墓に入れてはいかがかと天皇に提案している。

彼は朝廷から故郷の出雲に帰る途中に龍野で重い病気で亡くなった。地元の出雲の人々が揖保川から並び立って、石を運んで墓を造ったという言い伝えから人が「立つ野」「立野」「龍野」となったと言われる。(播磨風土記引用)
新しく横綱が誕生した際には、神前で土俵入りを披露する慣例となっている


本殿
1884(明治17)年、神社の東側に部屋があった初代高砂浦五郎と交友のあった出雲国造81代千家尊福により、元津軽家の上屋敷跡を譲り受けて創建された。元の社殿は東京大空襲によって焼失したが1953(昭和28)年に再建。

境内は狭いが、歴代横綱之碑が1952(昭和29)年に協会により建立され、2基のうち1基には初代明石志賀之助から46代朝潮太郎まで、もう1基には47代柏戸剛以降の名前が刻銘されている。

社殿前には31代横綱常ノ花寛市が奉納した大きな自然石の御手洗がある。

周囲をめぐっても5分で見終える小さな神社であるが、相撲の歴史がいっぱい詰まっている神社で見ごたえがある。ただし、国技館に入らないと御朱印がいただけないことはちょっと納得できないかな?
この神社から国技館までちゃんこ鍋屋さんが多い。それぞれの特色があるので、入店するのは面白いかも。