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東京都台東区 寛永寺 本堂
Kaneiji hondou,Taitoku,Tokyo

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Mar.19,2017 瀧山幸伸 source movie

                       
   

Feb.2,2016 柚原君子

上野寛永寺 根本中堂
所在地:東京都台東区上野桜木一丁目
親鸞が開いた比叡山延暦寺にある建物で中心となる堂を根本中堂と言いますが、後に親鸞に学んだ人々が各宗派に分かれていき、それぞれの寺の本堂も根本中堂と呼称される場合もあるようになりました(略される場合は本堂、または堂宇となります)。

上野の天台宗東叡山寛永寺は徳川家の祈祷所から始まって菩提寺となります(芝の増上寺も菩提寺。双方の寺で徳川家墓所が二分されている)。上野の山一帯の広大な中に、本坊円頓院を初めとして諸堂、子院がありましたが、1868(慶応4)年の東征軍と彰義隊による上野戦争時に、その多くが焼失してしまいます。現在の根本中堂は、明治12年に川越喜多院本地堂を移築したものです。ちなみに東叡山寛永寺の命名は西の比叡山に因んで東の叡山で『東叡山』、寛永年間に開山創建されたので『寛永寺』となっています。

根本中堂はもともとは現在の上野公園動物園入り口手前右側にある噴水の所にありましたが、1868(慶応4)年の東征軍と彰義隊による上野戦争時に消失してしまいます。11年後の1879(明治12)年に、現在の場所である寛永寺の子院であった大慈院に、埼玉県川越市の喜多院の本地堂を移築して寛永寺の本堂(根本中堂)としたものです。

建物は1638(寛永15)年の建造。開口・奥行ともに17.4メートル。前面に三間の向拝と五段の木階、背面には一間の向拝。周囲は勾欄付廻縁。屋根は入母屋造、本瓦葺、二重垂木。桟唐戸(正面中央など)、蔀戸(正面左右など)、板壁など、すべて素木のままだそうです。本堂正面に掲げられている額は、東山天皇が自ら書いた「瑠璃殿(るりでん)」の勅額です。ご本尊を薬師如来としているので、正式名である薬師瑠璃光如来から、「瑠璃殿(るりでん)」という本堂になるということなのですね。
根本中堂の内部は内外陣ともにすべて畳敷となっていて、内陣の厨子内には秘仏の本尊薬師三尊像が安置されているそうです。御本尊は、伝教大師最澄上人が自ら刻んだとされていて、国の重要文化財に指定されています。 

またこの根本中堂がある場所は、江戸時代には、大慈院という寛永寺の子院があった場所で、鳥羽伏見の戦いで敗北した徳川慶喜が、新政府に対して恭順の意を表すために、謹慎していた場所だそうです。本堂裏手の書院に、水戸退去の前に蟄居していた部屋、「葵の間」が保存されているようですが、非公開なので秘仏と共に見ることはできません。ただし、根本中堂の中は日曜日祝日(法要が無ければ)に見る事ができます。
境内には枝垂れ梅が数輪咲いていました。鬼瓦とは目の合う位置です。上野の森を散歩する人たちの流れもこの本堂までは続かないのかひっそりとしていました。

                                           
 

Mar.2011 瀧山幸伸  source movie

     
                        



Mar. 2006  source movie

  

      

  

     

                                

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