山口県萩市 東光寺
Tokokji Hagi city,Yamaguchi
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萩市大字椿東1647 東光寺 鐘楼 重文 近世以前/寺院 江戸中期 "元禄9-宝永(1696-1710)" 桁行三間、梁間一間、一重二階もこし付、入母屋造、本瓦葺、もこし桟瓦葺 19660611
萩市大字椿東1647 東光寺 三門 重文 近世以前/寺院 江戸後期 文化9(1812) "三間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付山廊 各桁行二間、梁間二間、切妻造、本瓦葺" 棟札1枚 19660611
萩市大字椿東1647 東光寺 総門 重文 近世以前/寺院 江戸中期 元禄6(1693) 桁行三間、梁間二間、一重、切妻造段違、本瓦葺 19660611
May 28,2021 瀧山幸伸
総門
三門
鐘楼
大雄宝殿
萩藩主毛利家 東光寺墓所(国史跡)
境内
東光寺
護国山東光寺は、元禄4年(1691)に3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で、大照院とならぶ毛利家の菩提寺。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿はいずれも国の重要文化財に指定されており、名刹の面影を残しています。
本堂裏の毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があり、墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並ぶ。このほかに、殉難十一烈士墓、維新志士慰霊墓八基などがある。また寺宝類も多く、長州藩御用絵師の雲谷派の絵画、県指定有形文化財の木額、柱聯、榜牌などが所蔵されています。
【 国指定重要文化財(総門・三門・大雄宝殿・鐘楼)】
(ぶらり萩遺跡より抜粋)
毛利家廟所
東光寺の創立以降、歴代藩主は大照院の両寺に交互に葬られることとなった。即ち、大照院には、初代藩主秀就・2代藩主綱広・4代藩主吉広・6代藩主宗広・8代藩主治親・10代藩主斉熙・12代藩主斉広の7藩主が、東光寺には、3代藩主吉就・5代藩主吉元・7代藩主重就・9代藩主斉房・11代藩主斉元の5藩主が葬られた。
(文化遺産オンラインより抜粋)
山口県萩市大字椿東
国指定重要文化財 指定年月日:1966.06.11(昭和41.06.11)
大雄宝殿:1698年建造
鐘楼:1696-1710年建造
三門:1812年建造
総門:1693年建造 毛利吉就が1691(元禄4)年に創建した大照院とならぶ毛利家の菩提寺。
訪れた時は萩にしては人も少なく静かであり、維持のいい往時を偲ばせる堂々たる建造群が印象的であった。 国指定文化財等データベース解説文:東光寺は元禄年間萩藩主毛利家の創立で、裏には藩主の廟所がある。
大雄宝殿、鐘楼、総門は元禄創立の頃のものであり、三門は文化九年(一八一二)に造られた。黄檗宗が各地にひろまった時期の伽藍としては、いちばんととのったものである。 総門
黒柏鶏
天然記念物に指定されている黒柏鶏発祥の地とも言われ、境内には顕彰碑が建つ。また、境内で数匹が飼育されている。(ウィキペディアより)
宮城森(みやきのもり)
神社の北方300mほどの田んぼの中にポツンとある。玉祖神社付属地。
景行天皇が九州へ熊襲征伐に向かう途中に戦勝祈願した行在所の跡がこの地といわれる。熊襲は熊本南部から鹿児島に勢力を持ち、大和朝廷に服属しなかった勇猛な種族で、日本書記にも登場する。ミヤキノモリともいわれるこの場所は、周防国一の宮・玉祖神社の付属地である。(サンデー山口より)
玉の岩屋(たまのいわや)
こちらも神社北方500mほどの田んぼの中にあるが、道路からは見えず、案内板もないため、途中車を置いて、農作業をされている方に聞きながら探すことになった。
長方形の石積土壇の上に石玉垣を造り、中央に石碑が北を向いて建てられている。神社には背を向けている。
周防一の宮の玉祖神社。玉岩屋は玉祖命(たまのいわやのみこと)のお墓。 玉祖命とは、天岩戸(あまのいわと)開きのおり、三種の神器のひとつの八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)を造ったとされ、玉造部の祖神である。邇邇芸命(ににぎのみこと)の降臨に従った五神の1柱。眼鏡・カメラ・時計・宝石などの守護神とされている。
(やまぐちビューなびより)
厄神(やくがみ)の杜
玉祖神社の旧鎮座地と言われる。玉の岩屋の北約200m、県道348号の三叉路北側、ダム湖から流れ下る川との間に、石祠が祭られている。名前も何も書かれていないため、通りかかりだけではわかりにくい。