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群馬県安中市 市街 

Downtown,Annaka city,Gunma

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Mar. 2016 柚原君子

中山道第15宿 安中宿

行程

熊野神社→本陣跡→旧碓氷郡役所→安中教会→旧安中藩郡奉行役宅→武家長屋→安中藩遠足の碑→有田屋→便覧舎跡碑→木戸跡→新島襄旧宅原市の杉並木

概要

安中宿は律令時代に中山道が東山道と呼ばれていた頃の「野尻駅」が始まりとなります。現在でもその地名は安中市に「下野尻」「上野尻」として残っています。

戦国時代に越後の新発田から移った安中氏が1559(永禄2)年に築城して「安中城」としてからは「安中」と呼ばれるようになりました。

安中城(別名:扇城)は武田氏や北条氏の争奪の戦にもみまわれましたが、1590(天正18)年に徳川家康が関東に移ってくると、安中藩は上州の箕輪城の井伊直政の領内にはいります。

1602(敬重)年、井伊直政の長子長勝が安中藩主となり碓氷と杢の関を守ることになります。その後は水野・堀田・板倉・内藤などそれぞれの係累で合計16人の領主交代が繰り返されますが、1749(寛延2)年から明治維新の廃藩置県まで板倉氏が領主となっています。

めまぐるしく変わった藩主ですが、なかでも第15代の板倉勝明(いたくら かつあきら)は学者大名であったため、新島襄(にいじま じょう)をはじめとする藩士に洋学を学ばせ、日本初のマラソンである遠足(とおあし)を実施して文武両道に努め、また領内に漆苗100万本を植えて利益を出すなど善政を行なった藩主であったそうです。

1783(天明×)年の浅間山大噴火で安中宿は泥土で埋まって壊滅状態となり、交通も途絶えて収入の道も途絶えて安中藩も他藩同様貧困にあえいだそうです。米を求めて一揆もおこり穀物商などが襲われて鉄砲使用を幕府に願い出た書類なども残っています。板倉勝明藩主が家宝である什器の数々を売り河川工事を行ったとも言われています。

安中城は天守閣のあるお城ではなく茅葺平屋建ての質素なお城でしたが、明治維新の廃藩置県で取り壊されて、御殿、蔵、門、土塀などは競売にかけられて逸散。現在は石垣が残るのみで、安中城の二の丸や西門などがあった場所には一本の杭で表示されているのみです。

1843(天保14)年の中山道宿村大概帳によると宿内人数は348人、家数は64軒、そのうち本陣1、脇本陣2、旅籠屋17となっています。城のある城下町としては小さい規模だったそうです。宿場の経営が困窮していくので、旅籠屋に飯盛り女を置いて宿場の繁栄を願い出たそうですが、小藩ながら3万石の城下町ということで認められず、黙認されたのは1854(嘉永7)年のことであった、と記録に残っています。

1871(明治4)年、安中藩は安中県に。1889(明治22)年の町村制施行に伴って碓氷郡安中宿・中宿村・小俣村・高別当(こうべっとう)村・古屋村が合併して安中町が成立。その後に近隣の原市町・磯部町・板鼻町・東横野村・岩野谷村・秋間村・後閑村が合併して新たな安中町となります。市制施行に伴って安中市となったのは1958(昭和33)年でした。

現在の安中市には安中宿の面影はあまり残っていません。

久芳橋のあたりを歩くと、山肌に張り付いて煙を吐くちょっと異様な風景が目前に見られます。「東邦亜鉛安中製錬所」です。一時期にはカドミウムによる汚染が深刻化し公害訴訟にもなっています。その他に「信越化学工業松井田事業所」があり、安中市はこの二大企業に依存している市となっています。観光としては、めがね橋、アプトの道、横川の釜めし、日本で民間人が起こした最初の図書館である便覧社、日本で最初に使われた温泉マーク発祥の地である磯部温泉、またテレビの連続ドラマとなった「八重の桜」などで「新島襄」関連施設などが、近年、有名になっています。

1、熊野神社

所在地:群馬県安中市安中3丁目

先回の板鼻は鷹ノ巣城を見上げる崖の下が最後でしたので、今回はそこから出発です。安中駅を下車して戻ります。中山道道標、安中2.0kmとあります。車の往来の無い道をまったりと歩きます。石の道標が残されています「従是 大日、一宮街道」となっています。「従是」はここからという意味ですね。車社会優先になって道路を作るために歴史ある石も移動していることが多いですから、現在の道が一宮街道に続くかどうか定かではありませんが、昔の旅人はこの石の前にたたずんで、それぞれに方向を変えていったのでしょうね。

しばらく直進して道はYの字になり右側の旧中山道を通ります。細い道。昔の道って感じです。左側に石の道祖神が二つ。どうやら蚕さんを祀ったもののようです。石垣沿いに曲がった道には寒念仏供養の石。過ぎて碓氷川にかかる久芳橋を渡ります。左方向に煙を吐く東邦亜鉛安中精錬所が山肌に見えます。

安中の旧名である野尻を地名に残した下野尻の交差点をバイパスではない左の細い旧中山道に入っていきます。右側に見えてくるのが、安中城の鬼門の守護神として勧請された『熊野神社』です。名君であった板倉勝明藩主が、1855(嘉永7)年に五穀豊饒を祈り、唐鐘吊り灯篭を奉納しています。1862(文久2)年には、皇女和宮の無事下向祈願の大絵馬が安中宿より奉納されています。1962(昭和37)年になって安中市の重要文化財指定。境内の大欅は推定樹齢千年とのこと。落雷で半分は焼失しているものの、悠久の歴史にただただ溜息で見上げました。

                                                                   

2、本陣跡

所在地:群馬県安中市3−24−7

進行方向中山道より一本山側に道がありますが、このへん一帯にあったのが安中城です。小学校が本丸の位置となるそうですが、熊野神社を出ると安中城東門跡とか安中城東門番所などの木札も立っています。けれど城のあった面影はあまりありません。宿場としての面影もほとんど残っていない安中宿。本陣も跡碑が安中郵便局の敷地内にポツンと一本立つのみです。

本陣を務めていたのは須藤家。戦国期には戦国大名北条氏の家臣として活躍。江戸時代には本陣を務めるとともに問屋(といや……宿場で人馬の継立、助郷賦課などの業務を行うところ)も兼ねています。

須藤家は昭和20年代に横浜市金沢区に転居。本陣として保管されていた重要書類のうち、江戸時代〜明治時代初期までの交通関係の文書、大名休泊帳、安中宿本陣を初めとする関連の絵図などは安中市に寄贈されて重要文化財に指定されています。それ以外の1590(天正18)年に豊臣秀吉が出した禁制をはじめとする23点は、戦国時代から江戸時代後期までの須藤家の歴史を伝えるものとして「須藤喜久美家文書目録」として横浜開港資料館に委託されているそうです。

本陣跡の郵便局を過ぎて右手奥にひっそりと大泉寺があります。井伊直政の正室の墓所があるお寺です。

                    

3、旧碓氷郡役所(きゅううすいぐんやくしょ)

所在地:群馬県安中市3−21−51

郵便局の先にある伝馬町の交差点を右折すると見えてくるのが旧碓氷郡役所です。中山道からはお城の方に山を登ることになります。

1878(明治11)年、郡区長村編成法が公布されて群には郡役所が置かれることになり、それは旧安中本陣に置かれました。その後1888(明治21)年に現在地に移動して西洋風建築で新築されました。しかしその後火災で焼失。1911(明治44)年、平屋和風建築で建てられたのが現在ある旧碓氷郡役所です。郡役所が役目を終えた後はいくつかの公的事務所に貸されましたが、昭和48年には安中市に移管されて1996(平成8)年、市指定重要文化財とした上で1998(平成10)年に一般公開となりました。安中杉並木の杉が10本使われているとのこと。当時の吹きガラスも一部残り、景色が古ガラスゆえにゆがんで見える箇所があります。

旧碓氷郡役所内のパネルには板鼻宿・安中城ジオラマ・新島襄などが展示されていました。

                                   

4、安中教会

所在地:群馬県安中市安中3-10-33

道順ですので寄り道をします。旧碓氷郡役所のお隣にあるのが安中教会です。正式名称は日本基督教団安中教会教会堂(新島襄記念会堂)です。登録有形文化財(建造物)。建築月日は1919(大正8)年。石造平屋一部2階建、銅板葺、建築面積171㎡、鐘塔付。大谷石造のロマネスク会堂です。

板で覆われた通路の前のドアは白で、メルヘン的なその模様はそぐわない気がしないでもないですが、左側にそびえる四角い鐘塔が独特な雰囲気です。扉の上にあるのは新島家の家紋で「根笹」です。設計は後楽園スタジアム、各種教会、麻布中学校などを手掛けた古橋柳太郎氏。新島襄昇天30年記念に建てられている教会です。ぐるりと回って見ました。壁の凹凸がきれいです。

                        

5、旧安中藩郡奉行役宅

所在地:群馬県安中市安中3−6−9

安中市指定重要文化財。

母屋と長屋門からなっています。古い図面や現存建築物に残る痕跡を元に、平成5年の修復復元建物。母屋は木造平屋建萱葺寄棟造の曲がり屋形式で、上段の間・土間・式台付きの玄関・武者窓、砂ずりの壁などから成り立っていて質素でありながら重厚な地方武家屋敷の姿です。

説明板には『旧安中藩郡奉行役宅(旧猪狩家)は、幕末から明治初期にかけて猪狩家幾右衛門懐忠(やすただ)が藩中藩郡奉行として住んでいました。 安中藩には三人の郡奉行とその配下に四人の代官がいて、年貢の割り当てから徴収、お触れの通達や領内の治安、裁判といった民政をつかさどる役職を郡奉行が行っていました』、とあります。

見学をさせていただきましたら係のおじさんが庭の柿をあげましょう、と蜂谷柿を数個もいで持たせてくださいました。記念に縁側において写真を一枚撮りました。

長屋門を内側から眺めていたら、本丸であったところに立つ小学生の一団が下校途中で、長屋門の前を横切っていきました。着物姿の幼い子どもが交じっていたような……時空を超えたような思議な気がしました。

                                            

6, 武家長屋

所在地:群馬県安中市安中3−6−1

安中市指定重要文化財

武家長屋は江戸時代末期に建てられたと推測されています。平成元年以前は三軒長屋として残ったそうです。現在は明治初期の間取図にもとづき、建築当初の四軒長屋として平成元年〜3年にかけて復元されています。当時はこの四軒長屋の東側にも五軒長屋が続いていたそうです。

安中藩の家臣は約300名。そのうちの200名が城内に居住してほとんどがこのような長屋に住んでいたとのことです。中級武士が多かったそうですので、もっと下級の武士はもっと狭いところに住んでいたということですね。茅葺き屋根の長さがとても優雅です。庭は現在は石が敷き詰められていますが、当時は菜園、畑だったそうです。雨の日の雨だれの音、木刀を持って走り回る草鞋ばきの子ども、前の畑でネギを収穫するざるを抱えた妻女……の姿が見えてきそうでした。

                  

7,安中藩遠足の碑(あんなかはん とおあしのひ)

所在地:群馬県安中市安中3−6−1

少し小学校の方に戻ります。小学校には安中城の本丸であったという立て札があります。ぐるりと回ってみると遠足(とおあし)の碑が立っていました。日本のマラソン発祥の地とされている記念碑です。

「安政遠足」と書いて「とおあし」と読みますが、安中藩藩士を文武両道で鍛えようと当時の安中藩主である板倉勝明が始めたものです。藩士96人が甲冑で身を固めたまま、安中城から碓氷峠にある熊野神社まで7里(約28キロ)ほど、山の登りもある中を競争させられたそうです。

藩士の鍛錬ということもあったのでしょうが、安中城門から領土の境である碓氷峠までとは、単なるマラソンではなく戦に備えたものであったと思われます。着順は碓氷峠の茶屋で発見された『安中御城内御諸士御遠足着帳』に記されているそうですが、順位やタイムは重要視されなくて、到達したものには餅がふるまわれたと記録されているそうです。マラソンではありますが、現在のタイムを競うようなものではなくまさに遠足(とおあし)ということでしょうか。

現在は安中市の行事として毎年5月の第2日曜日にマラソン大会として開催されていますが、侍の格好だけでなく、その年の話題になった人物等の仮装姿で走ることができてユニークなマラソン大会となっています。

           

8、有田屋(ありたや)

所在地:群馬県安中市安中2-4-24

安中城士や教会、武家長屋などのあった山の方より本来の中山道に戻ります。本陣跡に続く道です。少し坂になっています。谷津坂という坂。その坂の上にあるからでしょうか「サカウエ薬局」。黒漆喰の重厚な建物。昔々は旅ゆく人が足を痛めて膏薬など買ったのでしょうか。

少し行くと醤油醸造の「有田屋」があります。

1832(天保3)年の創業の老舗です。煙突は使われていませんが、煉瓦造りの店舗左にある蔵は奥まで何棟も建っていて、しかも創業当時のままとのこと。店内に入ってみました。お醤油の種類が半端ではありません。「バタめし」という醤油と醤油飴を買ってみました。有田屋は湯浅家または湯浅一族といわれる土地の名士で安中教会設立や内村鑑三の出版を支えた出版社を興したり県議出会ったりと人徳者でもあったそうです。

                                  

9、便覧舎跡碑(べんらんしゃ)

所在地:群馬県安中市安中2−10−15

有田屋さんの向かい側です。醤油醸造「有田屋」が創業される10年前の1872(明治5)年、有田屋当主の湯浅治朗氏が私財を投じて和漢・西洋の古書や新刊書等約3000冊を購入。人々に無料で閲覧出来る図書館「便覧舎」を創設した、とあります。

民間人が創設した日本初の私設図書館で、図書館事業の先駆者と言われています。安中キリスト教会が設立された当初は、新島襄はこの図書館で洗礼を施し礼拝が行われたそうです。 1887(明治20)年の火災により全焼して現在は跡碑が残るのみとなっています。

   

10,木戸跡

所在地:群馬県安中市安中1−19−2

有田屋より少し先に安中上野尻郵便局がありますが、その前に立っているのが「史蹟 安中大木戸址碑」です。安中宿の京都方面への出口となります(日本橋方面への木戸は熊野神社の手前にありました)。木戸は簡易関所ということですね。軍事・防犯・人改めなどのために置かれた番所で、開閉は、明け六ツ(現在の午前六時)から暮れ六ツ(現在の午後六時)までであったそうです。江戸市中の番所で暮らすお捨と笑兵衛夫婦の『深川澪通り木戸番小屋』(北原亞以子著)という小説を思い出しました。

木戸跡の大きな石を後にして愛宕神社に向かいます。大木戸跡の向かい側の道を一本奥に入ったところにあります。表に常夜燈があり神社はかなり背後になりますが、前方後円墳上に鎮座しているそうです。しかしその全景は通りがかっただけでは解りません。

火産霊命(ほむすびのみこと)という火伏の神様が祀られています。明治の頃に安中宿の入り口にある熊野神社と合祀される動きがありましたが、熊野神社末社・諏訪神社が"水の神"を祭祀していた為、火の神と水の神の合祀は良くないということで流れた経緯があります。

愛宕神社の向かい側に大島酒店という間口の広い蔵のある商家がありました。

          

11,新島襄旧宅(にいじま じょう きゅうたく)

12,原市の杉並木

池田屋酒店、青柳質店などの大店の構えの商家が時々現れる安中宿。あまり大きな宿では無かったという先入観があり、大きな商家が成り立ったのかと思ってしまいますが、郡役所などもあった地であれば納得がいくような気もします。

安中宿を歩き終えて駅に戻る途中、家の陰からあまりにも大きな満月が飛び出てきて驚きました。

12,八本木地蔵堂

先回は『安中宿』の安中の原市の杉並木が続く途中で歩き疲れて終了しました。2015年10月27日17時24分、満月の写真が最後でした。安中宿を終了しようと思ったのですが、もう少し行きます。

今日は信越線磯部駅に降ります。「歓迎磯部温泉」のゲートが見えます。温泉マーク発祥の地でもあるそうです。碓氷川を渡ります。橋桁には安中遠足(アンナカトオアシ)の絵の銅板があります。左手にギザギザの山並みの妙義山が見えます。先回終了している原市の杉並木が遠くに見える所まで戻ることになります。

今日の行程ではじめに見えるのが、門構えが立派な邸宅は『原市村戸長役場跡』です。1871(明治4)年、それまで町村役人といわれていたことを廃して「戸長」と改称されたのでこの名称があります。つまり役場の跡ですね。

次に丸太の道標。松井田宿まで5.9キロ、過ぎて来た安中宿までは3.2キロとあります。しばらく行くと茶屋本陣・高札場跡及び明治天皇が小休止された跡碑の草の生えた広場があります。茶屋本陣とは本陣に匹敵する規模と格式を持つ茶屋ということで、本陣を利用しない大名が休息していた場所を指します。どのような茶屋本陣が建っていたのでしょうか。三味線の音や馬のいななきなどがあったのでしょうか。今は雑草が生える空き地のみとなって文部省の説明の立て札が立っていますが、文部省が文科省となったのが平成11年ですからそれ以前の立て札となりますね。この立て札もすでに歴史ものになりつつあります。

次に見えてくるのが鐘です。安中市指定重要文化財の時を告げる鐘。眞光寺所有です。原市の仁井与惣衛門が寄附した梵鐘で、安中藩主板倉勝暁から「時の鐘」として打ち鳴らす許可がおりて1781(天明元)年に撞き始めを行い、本堂と鐘楼が焼失した後も鐘を突く男二人を雇いあげて時を告げ続けたそうです。第二次世界大戦に供出されずに残った鐘とのこと。

旅籠作りの家や土蔵をところどころに見られる中山道を進みます。松井田宿は特に観光化はされていないようで、それゆえ保存状態は今ひとつですが、そこそこ面影を残していて宿歩きを楽しむことができます。なまこ土蔵の先に晩香堂。本屋さんというか明治19年晩香堂刊の「磯部鉱泉繁盛記」という記述も見られるところから、発行もされていたようです。となりには和洋菓子「おのや」さん。謹製のとおあし最中の看板。登録商標は武士が帷子をつけて二刀差しの上にはちまきを締めて、腕を振りながら走っている姿が描かれています。おのやさんは1835(天保5)年の創業の老舗です。水野忠邦が老中になった前年で、福沢諭吉が生まれた頃の創業ということになります。古いですね。

なだらかな道を歩いて行くと右側に八本木地蔵堂が見えてきます。道路からは3メートルほどの石段を上がったところにあります。1525(大永5)年に松井田小屋城主安中忠清が原市に榎下城を築いた際に勧請されたもので、地蔵堂の前では参勤交代の大名たちが下乗下馬をしたそうです。安中市教育委員会説明版によると、地蔵堂の本尊・地蔵菩薩像は木造寄木で田舎造り、素朴の中に威厳と気品を備え、頭は円頂(剃った坊主頭)で体には袈裟と衣を着用し、岩座の上に趺座し、右手に錫杖をもち、左手は膝上で手のひらに宝珠を持っている姿。様式はで頭頂が偏平になっていることなどから造像された年代は室町時代初期のものとみられ秘仏として御開帳を百年目ごとにする定め、とあります。

地蔵堂に参拝しようとお賽銭口に近づいて笑ってしまいました。お賽銭口と書いた下に注)猫おことわり、と書いてあります。ここいら辺の猫は字が読めるのですねぇ。

地蔵堂の前には白壁と連子格子が美しい八本木旧立場茶屋跡があります。

本陣跡の先は緩い坂で、中学校を過ぎると左手は、「志がらきお茶漬け」が名物であった「御休処 山田屋卯兵衛跡」です。現在も山田家の表札が出されています。緩やかな坂を下っていくと右手に「八本木戸長役場跡」。原市と同じ立て札です。

                                                                

13,日枝神社(ひえじんじゃ)

所在地:群馬県安中市郷原2804番地

道標が松井田宿まで3.9キロと示しています。かたわらに道祖神。石の祠もあります。道祖神の建立は1772(明和9)年。浅間山大噴火でこのあたりは壊滅的な被害を受けることとなりますが、その10年ほど前に建立されて、そして残っていたということですね。その先街道の左右に廃屋に等しい家が並んでいますが、作りは立派な旅籠屋風です。もったいないなぁ、と思いながら進みます。また道標。その横に馬頭観音1812(文化9)年の建立とあります。

少し行くと同じく右側に日枝神社(ひえじんじゃ) 創建は不明ですが、1649(慶安2)年には徳川家光より御朱印四一石八斗の奉納を受けているそうです。街道からすぐにある一の鳥居は明治の物。奥にある二の鳥居は1736(元分元年)年のもの。残念ながら少し荒れていますが正面にあるのは神楽殿で、1697(元禄10)年建立の棟札が残っているとのこと。神楽殿をくぐって本殿に参拝する形はめずらしいなぁ、と思いながらくぐりました。大正2年に大規模な修理が行われているそうですが、どこからどこまでの記述はなく、また神楽殿にブルーシートをかけた物が放り出すようにおいてあることが、正面からも朱色の神楽殿は見栄えもいいのに、残念に思います。

日枝神社のすぐ左脇の道を上がっていくと自性寺です。新島襄の先祖の菩提寺とのこと。門前に肩を組みお酒ととっくりを持ったほほえましい夫婦道祖神。飲み過ぎで浮かれていそうです。右端にある古い夫婦道祖神もなにやらお持ちです。徳利のような気もしますが、空っ風の吹く群馬と言われますので冬は一杯呑んで温まるのでしょうねぇ。

                            

14,郷原の妙義道常夜灯

所在地:群馬県安中市郷原1476-2

自性寺を出て先を急ぎます。とても緩やかですが道は上り勾配です。自転車が重い!磯貝雲峰旧宅跡やその斜め前に高札場跡がありますが、それらの立て札は風雨にさらされて読み取りづらいです。高札場は幕府や藩の法令を板に墨で記して掲げて民衆に周知をはかる方法ですが、各宿村間の里程測定の拠点とされていたということもあり、宿場には一つばかりでなく二つ以上の高札場があるのも珍しくありません。

中山道を歩いていると資料館に現物の高札が保存されていることも多いです。民衆に理解できるように法令を仮名交じりに優しく表示してあるので、当時の寺子屋の子どもたちの書のお手本にもなっていたそうです。書を習いながら大人の世界の法律を学べる環境が素晴らしいですね。今の時代に比べると、子どもたちはしっかりとした大人になるように教育が施されているようで、子を育てる大人の責任がきっちりとあったうらやましい時代だったと思えます。

鄙びた街道の面影が少しずつある中山道は国道18号(上毛三山パノラマ街道)の郷原の妙義道常夜燈に突き当たります。1808(文化5)年に建立された妙義道常夜燈は安中市の重要文化財です。常夜燈の四面と笠の正面には菊の紋章が刻まれ、塔身の正面には「白雲山」、東面に「文化五年戌辰四月七日」、西面に「当所講中」と刻まれています。台石には「是より妙義道」と刻まれており、妙義神社の参詣者のための道しるべの常夜灯であったことが解ります。

台座には建立した妙義講中67名と石工の名前が刻まれています。この一里塚の場所に移動させられたのは昭和60年のことで、もともとは妙義道の追分にあったものと記されています。ここで安中宿は終わりです。次は松井田宿へ行きます。

                              


Mar.2008 瀧山幸伸 source movie

      

旧碓氷郡役所

Kyu Usuigun office

           

          

安中教会

Annaka church

          

郡奉行役宅

Gunbugyo yakutaku

                   

武家長屋

Bukenagaya

              

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