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横浜 氷川丸
Yokohama Hikawamaru

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Oct.2009 撮影 柴田由紀江




Sep.2009 撮影/文 柴田由紀江

日本郵船氷川丸
横浜市中区山下町山下公園地先
1930年(昭和5年)竣工
造船:川崎造船所
内部設計:マルク・シモン社(フランス)
横浜市指定文化財

山下公園の海岸に、昭和36年から繋留されている氷川丸は、太平洋戦争の惨渦を生き延びた唯一の日本の優秀外航貨客船で、今や船齢80歳にもなります。
私企業が巨額の維持費を負担して海上で保存している遠洋航路の定期船としても、現存する世界最古の文化遺産であり(ロングビーチのクィーン・メリーよりも古いんですね)、横浜市指定の文化財でもあります。

船名の由来にもなった氷川神社の紋章が組み込まれた1等エントランスの階段手摺りや、1等読書室への扉などのアイアンワークが美しい船内は、1925年パリ万国博覧会で発表された新しい様式であるアールデコで統一されています。
1等船客用の公室やダイニングサロン、喫煙室やラウンジは、壁面のチーク材が飴色に輝き、天井のモールディングも実に優雅でした。
また、客室の調度は高級ながらサイズはかなり小さく、現代人の身長では足を伸ばして休むことは窮屈だと感じます。
その狭さゆえに読書室やラウンジがゆとりを大切に考えた空間設計になっているとも思えました。

船長室や操舵室などは、真鍮や金物の磨きこまれた輝きが実に見事で、特に船鐘の輝きと音色の深さは印象的でした。

神戸→横浜→シアトルを2週間で航行する貨客船として就航した氷川丸は、その優れた載貨能力と荷役装置、北太平洋の荒天に耐え得る構造、当時最先端の救命・防災設備をもって、「世界最高水準の優秀貨客船」と称賛されました。
1930年当時、1等客のシアトルへの運賃は$250だったそうで、1936年当時の年間船客輸送数は4,433人中3,134人が日本人だったといいます。

戦時中は病院船として活躍し、ラバウル、ジャカルタ、サイパン、マニラなどの南方戦線に就航し、昭和16年から終戦まで3万人あまりの傷病兵を日本へ運んだといいます。
そして戦後は、満州から60万人の日本軍兵士の引揚げに奔走したそうです。
昭和24年には、食糧難だった日本のために占領軍の許可を得て、タイやビルマからの米や、北米からの小麦を運ぶようになり、昭和26年には対日講和条約の調印祝賀会のための日本酒や記念の品々を、吉田首相に届けるためサンフランシスコに向け出港したといいます。

戦後8年を経た昭和28年に、三菱横浜造船所で大改装を行い、キャビンクラス35室80名・三等A23室69名・三等B24室127名、合計旅客定員276名の船室を整え、12年振りにシアトル航路に復帰しました。

そして昭和35年、世の流れが飛行機での海外渡航が主流になるのと同時に、船齢30歳となり老朽化した氷川丸は、惜しまれつつ引退することになりました。
2008年に改修工事が行われたそうですが、ソファ以外は新しい材料を使用した気配がなく、経てきた年月を物語るように美しいまま保存されていました。







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