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奈良県奈良市 奈良町 
Naramachi,Nara city,Nara

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奈良市元興寺町4 藤岡家住宅(奈良県奈良市元興寺町) 重文 近世以前/民家 江戸中期 江戸中期 桁行13.2m、梁間14.7m、前面庇付、一部二階、切妻造段違、桟瓦葺 19680425


Mar.10,2017 瀧山幸伸 movie

猿沢池から近鉄奈良駅方面へ
              


August 6 and 7, 2016 野崎順次
movie Aug.6
movie Aug.7

8月6日
近鉄奈良駅を東に出て、ひがしむき商店街を南に行くと三条通に出る。角には南都銀行本店(橋本町)がある。そこから猿沢の池(登大路町)に出て、池之町、鶴福院町を通って、元興寺に向かう。

橋本町

国登文 南都銀行本店 大正(1926)
鉄筋コンクリート造地上4階地下1階建,建築面積516u
正面に4本のイオニア式の列柱を並べ細部に装飾を施す外観は、古典様式を簡潔にまとめた好例。昭和28年に背後に増築し、その後窓枠や内装の改修を受けたが、外観はよく保存されている。設計長野宇平治、施工大林組。古都奈良の数少ない様式建築の一つ。

              

高速餅つきで名高い中谷堂、よもぎ餅屋さん

       

もちいどのセンター街

 

登大路町
奈良縣里程元標

5   

樽井町
采女神社

 

登大路町
猿沢池あたり

                            

池之町

  

鶴福院町、ここだけ道幅が狭く、拡幅工事でもめている。

       

鵲町

   

8月7日 高畑町
高畑町は広大である。西は猿沢の池の東側、東は柳生街道滝坂道の始点辺りに及び、奈良ホテル、頭塔、奈良教育大、志賀直哉旧居、奈良市写真美術館、新薬師寺などが含まれる。今回は県道80号線破石町(わりいしちょう)バス停の少し南から東に上る旧街道をたどった。特に指定文化財や江戸時代にさかのぼるような民家はないが、好きな道である。柳生街道の一部なんだろうなあと思っている。

                             

式内赤穂神社

   

春日大社宮司職舎

     

それから

                             

お寺かと思ったら、日本基督教団奈良高畑教会第二礼拝堂・牧師館である。

   

土塀、石垣、漆喰壁、坂道

             
坂道を登り切ると、新薬師寺方面に曲がる。

         

不空院

         

明るく元気な中国人観光客

   

不空院から新薬師寺への道も好きである。

       

カフェ「ろくさろん」で一休み

                         

来た道を戻る。

            

喫茶「みにあむ」でいつものカレーライス、御飯は半分にしてもらう。

  


July 18, 2016 野崎順次 movie

パンフレット

        

近鉄奈良駅からちょいと西へ、やすらぎの道を南進し、三条通りを東に。
角振新屋町

                   

椿井町の古梅園(国登文)

         

椿井町から東城戸町

          

南風呂町、十念寺

   

南中町、正覚寺

  

南城戸町
市文 森家住宅 明治20年頃

      

県文 細川家住宅 江戸後期 文化・文政(19世紀初頭)

       

西に入ると古びた長屋

          

東に坂道を上ると、陰陽町、そして奈良町からくりおもちゃ館

                           

鎮宅霊符神社

       

高御門町、西光院

        

鳴川町の南北の坂道は風情がある。

    

西新屋町、小塔院を東に抜けて、庚申堂

        

奈良町資料館

                       

中新屋町

   

奈良町にぎわいの家、おもちゃからくり館の人から、ここの仏間の天井絵が良いと云われた。

                                      

芝新屋町、吉田蚊帳店舗と吉田家住宅主屋(共に国登録文)

           

それから

     

木奥家住宅主屋(国登文)

 

元興寺町の通りを南へ

       

国重文 藤岡家住宅 江戸後期
桁行13.2m、梁間14.7m、前面庇付、一部二階、切妻造段違、桟瓦葺

         

ならまち格子の家



井上町

    

参考資料
奈良市総合財団ならまち振興事業部門 奈良町散策マップ
国指定文化財等データベース




Mar.5,2016 野崎順次 movie


福智院町、銘酒春鹿醸造元と今西書院の前の通りを東から西へ

     

公納堂町、古民家カフェ「カナカナ」、ならまち工房、鹿楽、喫茶去庵

               

毘沙門町を南へ

       

十輪院町で東に入る。

  

法徳寺

             

金躰寺

          




May 30,2014 中山辰夫

奈良町散策

奈良市の中心部、奈良公園や興福寺の南側に 「ならまち」と呼ばれるエリアがある。この一帯はかつて元興寺極楽坊の境内であった。
奈良町一体は奈良時代(8世紀)の元興寺の金堂や塔、南大門など主要な伽藍があった地域とされており、東大寺の門前町として、元興寺を中心とする商業を主とする地域としての位置を占めていた。中世以降は住居地に移って行った。
現在も、元興寺の境内とされる地には塔跡が残り、多くの文化財が伝えられている。
奈良町を歩むと所々古い町家や商家が並ぶ風情のある通りに出会う。うだつの上がった土蔵風の建物、漢方薬の店、白玉の老舗、墨、蚊帳、を商う伝統のある店を見かける。奈良時代創建の社寺、江戸時代の末期から明治時代にかけての町家など、古きものと新しきものが息づいている。

■■散策MAP
  

散策開始
三条通りを折れて「もちいどの通り」を行く。餅飲殿センター街では若者中心に種々の町おこし企画が開催されていると聞く。
 

しばらくして「もちいどの通り」を左折する

■■今御門町界隈
■かっての「花街」あたり 元林院町
元林院辺りは歴史的にも古く、室町時代からの町とされる。花街としての歴史は比較的近年で、明治初期に始まり大正〜昭和初期にかけて賑わった。
戦後はすたれた。現在は置屋が数件とか。花街(かがい)の雰囲気がわずか残っている。
        

■『遊 中川』と付近の町家
ひときわ目立つ建物である。1716(享保元)年創業の奈良晒の老舗。全面改装して多角的な営業活動拠点へ
        

「もちいどの通り」に戻る。すぐ右側にある

■春日大社大宿所 餅飲殿町
大宿所とは、昔、おん祭に参勤する大和士がお祭に先立ってここに泊まりこみ、精進潔斎をした場所。その際、当日の行列に必要な装束や武具等を飾り、若宮神への奉賽として各自持参した鳥、獣、魚等を前庭に飾り立てるのが懸物である。
    

■■元興寺の方向を目指す
■五重塔 鶴福院町
奈良市のランドマークは興福寺の五重塔である。市内のあちらこちらからその姿が見える。 猿沢池畔から見るのが一番だが、猿沢池の東側の道を南へ行った鶴福院町から遠目に見る五重塔もいいとされる。この界隈は元興院のお膝元により町名に寺名が付くケースが多い。
    

■■上街道を直進する
古代、奈良と飛鳥を結んだ上ツ道へとつながる街道。宿や商店で賑わった往時の雰囲気を思い起こさせる町並みが残る。暫くはこの街道筋の町中を散策する。道幅は広くない。

元興寺と周辺の町家 中院町
蘇我馬子が飛鳥の地に建てたわが国最古のお寺、法興寺(飛鳥寺)を平城京に移したもの。屋根の一部に飛鳥・法興寺から移された瓦が僅か使われている。
       

■奈良町物語館 中新屋町
伝統的な町家を修復して出来上がった。ここでは、まちづくりに携わる人々が集い、交流し、まちづくりに関わるいろいろな情報を発信している。
    

■菊岡漢方薬局
創業1184(元暦元)年 二十四代目 現在の続く
  

■奈良町資料館(旧元興寺本堂跡)
奈良町の家々で使われてきた民具や絵看板、古美術品などの歴史資料を展示する。ズラリと身代わり申が並び一際目立つ。
    

■庚申堂 西新屋町
庚申信仰の拠点であり、青面金剛像を祭祀する祠である。また、青面金剛の使いの猿をかたどったお守りは、魔除けとして町内の家々の軒先に吊るされている。
    

■目を奪われる町家の連なり 中院町・中新屋町。芝新屋町・西新屋町
        

■木奥家主屋 芝新屋町
国登録有形文化財 蚊帳の老舗
玉木宏主演で放映されたフジテレビドラマ「鹿男あおによし」で、玉木宏演じるところの小川先生と綾瀬はるか演じる藤原先生の下宿先「福はら」に使われた。
    

■吉田蚊帳 芝新屋町と砂糖傳
吉田蚊帳は1921(大正10)年創業、建物は100年以上を経過
    

■砂糖傳増尾商店 元興寺町
1854(安政元)年「大和茶」からスタートの老舗
    

■御霊神社 薬師堂町
他部(おさべ)親王とその母・聖武天皇の第一皇女である井上(いがみ)皇后らを祀る神社
    

元興寺塔址 芝新屋町
元興寺の旧境内は3ヵ所に分かれて史跡に指定されている。その一つである塔跡は、民家に挟まれるように残っており、1932年(昭和7)に国の史跡に指定された。塔の基壇は1辺17.7m、高さ90cm、石壁をめぐらした上に17個の礎石を残す。
    

■ならまち格子の家 元興寺町
ならまちの伝統的な町家を再現して建てられた。町家の生活様式に触れられる。
    

■藤岡家とその周辺 元興寺町
国重要文化財
       

■■上街道の散策を終えて通りをかえる。
■法徳寺 十輪院町
堂々とした本堂と共に、蘇鉄の木が目を引く。元は元興寺の別院(多聞院)であった。
本堂は明治25年に焼失後、天理市長柄にあった天理教の最も初期の建物を移築して寺院形式に改造したもの。
    

十輪院 十輪院町
国重要文化財
奈良時代の女帝・天正天皇の勅願寺。建築家ブルーノ・タウトは「非常に古い簡素な優美な十輪院」と本堂を称賛した。本堂内の石仏「石仏龕」も必見。
          

■今西清兵衛商店 福智院町
明治時代に酒造業を創業。酒名は、春日大社とその神獣である鹿から春鹿と名付けた。春鹿醸造である。
    

今西家書院 福智院町
国重要文化財
今西家書院は永く興福寺大乗院家の坊官を努められた福智院氏の居宅を1924(大正13)年、今西家が譲り受けた。室町時代初期の書院造りの遺構である。。江戸初期、1854(嘉永7年、1864(元治元)年、明治中期、昭和と度重なる修理を経て、現在に至る。角柱・障子・襖など書院造りの要素は、現代和室の様式へと広く受け継がれている。
        

福智院 福智院町
国重要文化財
奈良時代に興福寺の僧・玄ム(げんぼう)が創建した清水寺(しみずでら)の後身といわれ、鎌倉時代に大乗院慈信僧正と、叡尊(えいそん)上人により再興されたと伝えられている。南都における地蔵信仰の中心地の一つ。台座からの総高が7m近くにもなる大きな地蔵菩薩像と、このご本尊を安置する和洋と天竺様を折衷した鎌倉時代建築の本堂が重要文化財に指定されている。
    

大乗院庭園文化館・庭園 片原町
国指定名勝
奈良ホテルの南側に隣接する「名勝 旧大乗院庭園」が2010(平成22)年より、一般に公開された。
大乗院とは、1087(寛治元)年に創建され、平安時代から江戸時代に栄えた門跡寺院のひとつ。1180(治承4)年の南都焼き討ちによる焼失後に現在地に移り、廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となるまで存続していた。現在、その敷地内の一部が奈良ホテルとなっている。
庭園は室町時代の徳政一揆で荒廃したが、その後門跡尋尊大僧正の依頼により、銀閣寺庭園を作った作庭の名手善阿弥によって改造された。
将軍足利義政を始め公家たちがしばしば拝観に訪れ、以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられていた。
    

「名勝大乗院庭園文化館」では、かつての大乗院を復元した模型や、関係資料の展示を行っている。
   

■■木次町界隈
■誕生寺 三棟町
誕生寺は、中将姫が生まれた藤原豊成の邸跡とされる場所に建ち、「誕生寺」と呼ばれている。また中将姫とその両親藤原豊成卿、紫の前の三人の御殿が三つ並んでいたところから、「三棟殿」とも呼ばれており現在の町名になっている。元興寺がこの地一帯を境内としていた頃は、「誕生殿」とも呼ばれていた。
   

■静観荘 東木次町
元遊郭であったことから建物の意匠が豊か。
     

 



Feb.2012 大野木康夫 HD video

奈良町とその周辺

2012.1.26撮影 

藤岡家住宅(重要文化財)

所在地 奈良県奈良市元興寺町4

江戸時代中期の建築
桁行13.2m、梁間14.7m、前面庇付、一部二階、切妻造段違、桟瓦葺

藤岡家住宅は奈良市内にあり、十八世紀前半の建立と思われる。
道路に面した正面表構は商家の細部をよく残している。
奈良市内の町屋として古い遺例である。
(国指定文化財町データベースより)

元興寺(塔跡)の前の道を南に行けば、ならまち格子の家の向かい側が藤岡家住宅です。

                  

ならまち格子の家

所在地 奈良県奈良市元興寺町44

ならまちの伝統的な町屋を再現した奈良市の施設です。

            




Sep.2011 瀧山幸伸 HD video

奈良町周辺

ならまち格子の家

A camera
             
藤井家
Fujiike
     
ぜいたく豆
  

 

B camera
  
   
   
                         





May 2004 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps High Vision


ならまち格子の家から猿沢池へ

ならまちとは、百町と呼ばれた奈良市旧市街のことを指し、町名が存在するわけではない。
平城京の時代、奈良市旧市街は京域内ではなく、外京であった。平城京が終わった後、京域内は荒廃したが、この地域は寺院とともに残り、平安中期から末期にかけて、東大寺や興福寺周辺には寺の業務に関係する人々により拡大発展することとなる。
鎌倉時代には、大寺院の保護のもと、北市、南市、室町時代には中市が開かれ、寺院関係以外の各種商業が発達した。
江戸時代に入って奈良奉行が置かれると、晒や酒などの地場産業で活気を呈することとなる。
町割りは、平城京の時代から今日までほとんど変わらず、緩やかな雁行、十字ではなく行き違いの交差などにその特徴がある。
独特な街並を色濃く残す街路として、ならまち格子の家がある元興寺町、陰陽師と暦に関係する陰陽町、鳴川町、芝突抜町、中新屋町、西新屋町などが挙げられる。それらを通り、北側の猿沢の池まで歩いてみたい。




  

ならまち格子の家付近
Naramachi koushi no ie
    
  

元興寺塔跡付近
Gankouji Touato
              

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