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Monthly Web Magazine (Sep.1, 2009)

こんにちは。この夏は天候不順でしたね。

Japan Geographicの夏休み日記は天候も苦にせず、まずまずの出来でした。

■■■■■■ 8月の新着情報 ■■■■■■ 

New contents in Aug. 2009

■■■■■■ Samples ■■■■■■ 

Japan geographicは幼児からリタイア層まで生涯教育と自己実現を目的としています。

小さな静止画の索引画面では何も得るものはありません。

人生は一度きりです。高品質なライフスタイルを追求するためにも、高画質の環境で楽しみながら学ぶことをおすすめしています。

品質の一端をSample pageでご紹介します。

■■■■■■ 今月の推奨レポート ■■■■■■ 

Choice of this Month

野崎順次

京都 河井寛治郎記念館

Kyoto Kawai Kanjiro's House, a Memorial to the Life and Works of Kawai Kanjiro

 

選定理由:民芸運動の現代的価値に自身が共感し、その感動を的確にレポートする通信員の美的表現が評価されました。

■■■■■■ 取材レポート ■■■■■■ 

 

■■■ 8月の旅 瀧山幸伸

「エメラルド色の水を求めて」 

最近、水の色、特にエメラルド色の水にこだわっています。

8月の取材では、北海道旅行での美瑛の青い水、同じく美瑛の白髭の滝。

これらは上流の白金温泉に含まれる硫黄成分に関係があるようです。

オンネトーの水は定番ですが、いつ行っても納得できる色に巡り会えません。

そして、摩周湖の青い水、その水が湧き出る神の子池。とても神秘的です。いずれも 火山の硫黄成分でしょうか。

知床五湖付近の沼も大変きれいな色です。

シカの群れが湖の中に入りスイレンを食べている映像、手が震えるほどびっくりしました。

網走の天都山も青い湖の眺望が楽しめます。ニセコの沼も神秘ですね。

これらはエメラルド色ではありませんがとても神秘的です。

小さい沼は、湖底の泥炭が黒いため、水面に鏡のように神秘的な反射が得られます。

圧巻は大雪高原の沼巡りです。

シカ、キタキツネに遭遇しましたが、クマもうろうろしています。

危険と背中合わせで自然の恵みに接することができ、貴重な映像が得られました。

本土では、茅野のため池、麦草峠の白駒池が夏空に映え美しい色でした。

茅野のため池はフッ素成分が多いらしいですが、それと水の色が関係あるのかどうかはわかりません。

東山魁夷が魅了された理由は謎です。

白駒池、さざ波が立つとダイヤモンドの輝きが湖面に現れ、これまた神秘的な光景です。

これらは八ヶ岳の周囲ですので、おそらく微量の硫黄成分が影響しているのでしょう。

今月は以上ですが、国内各地のエメラルド色の水といえば、十二湖蔵王の御釜草津白根えびの高原御池などでしょうか。

十二湖以外は火山性硫黄のコロイドが光を反射するからでしょうが、十二湖、特に青池の色は理由がよくわかっていないようです。

科学が発達した現在でも謎のままというのがロマンがあって面白いですね。

海外ではカナディアンロッキーのペイトーレイク、メディスンレイクなどが有名です。

いずれもシルト(粘土)成分のコロイドが光を反射する色だそうです。

「動物天国」

同じく北海道では、動物の撮影も楽しみました。

定番の旭山動物園知床は当然として、函館香雪園のエゾリスはとてもかわいいですね。ヒトに飛び乗って来るのがご愛嬌です。

「花火、日本の夏」

夏といえば花火。

日本一の大曲花火の「大会提供花火」は必見です。

今回は映像も音も高品質に収録することができました。

そして諏訪の花火。こちらも周囲にこだまする音が良いですね。雨に降られ大変でしたが。

花火は写真ではなくビデオで鑑賞するのが正解です。

大音量と大画面が再生できるホームシアターがあればなお良いのでしょうが、何度観ても飽きることなく楽しめます。

 

■■■ 「石が好き」 柴田由紀江

宇都宮市 レストラン「石の蔵」

50年前に砂糖や小麦粉などの貯蔵用に建てられた大谷石の蔵を、建築士・新藤 力さんの手によって素敵なレストランとして生まれ変わりました。

とても素敵なお店だとは聞いていましたが、いつも満席で駐車場にさえ入れないという状態だったので、この日は友人と気合いを入れて開店15分前に到着しました。

お店の人に撮影許可を貰って店内撮影を始めたら、あれよあれよという間にお客様が入って来られて...ほんの3分間くらいでカシャカシャ撮ったという感じです。

広々とした天井空間と、大谷石の内壁の素材感が落ち着く雰囲気の、素敵空間でした。

お料理も自然の素材を優しく調理したメニューのブッフェで、とても美味しかったです。 続く

高根沢町 宝積寺駅 ちょっ蔵館

大谷石で思い出したのが、隈研吾さんの宝積寺駅。

従来の駅のありふれた雰囲気をガラリと変えてみたいと、隈さんはインタビューに答えてらっしゃいました。

大谷石を大胆なカットで配し(補強の裏打ちもしっかりされていました)、小さな田舎町の駅とは思えない斬新な印象です。 続く

STONE PLAZA 那須芦野・石の美術館

こちらは隈研吾さん繋がりでの取材でした。

那須で採れれば芦野石、白河で採れれば白河石と呼ぶのだそうで、大谷石とは全く違う細かい質感の石でした。

そして我が家の墓石を囲う塀にも、この石を選びました。造園にも墓地にも、広く使われている上品な石材です。

先日は新橋の「旧新橋停車場復元駅舎」の外壁で拝見しました。 続く

■■■ 『宇都宮の郷土玩具「黄鮒」』 高橋久美子

「黄鮒」は、郷土玩具コレクターとしては、ずっと欲しかった一品でした。

ピンと立った背びれが元気そうです。

原色で塗り分けられているところは、郷土玩具らしい素朴な色づかいですが、一方で現代アート的な感じもします。

竹の棒の先に糸で吊されていて、昔は”藁つと”に刺して飾っていたようです。

最近は、ガラス製で携帯ストラップなども作っていて、こちらも、とても可愛いです。

 

添付説明書に書いてある「黄鮒」の由緒は以下の通りです。「昔、宇都宮地内に、天然痘が流行して多くの病人が出た。

そこで村人は神に祈り、病気の平癒を願った。

ある日信心深い一村民が、病人に与えるため魚を釣りに出かけ、

鯉のように大きな、黄色の変わったフナを釣り上げ、これを病人に与えたところ、

病気はあとかたもなく治った。

後年、村人はこれを神に感謝し、また病気除けとして黄鮒を型取り、

毎年新年に神に供えるようになりました。」宇都宮の「ふくべ洞」も長いこと行きたかったお店でしたが、やっと実現しました。

瓢をくり抜き、乾燥させて作る炭入れも購入しました。

11月に訪問しましたが、新しい製品が入ってくる良い時期なのだそうです。

■■■ 林芙美子記念館 高橋明紀代

都内の新宿区内にある区立の「林芙美子記念館」は、見応えがありました。

林芙美子が執筆という仕事と家族との生活を維持させるための工夫が随所にみられる貴重な建物でした。

■■■ 「福岡県久山町「首羅(しゅら)山遺跡 白山神社初詣で」末永邦夫

首羅山のふもとには白山神社が祭られています。

この神社は元々首羅山の山頂に有りましたが、参拝者の労を軽減するため、昭和2年に現在の位置へ遷座されました。

この遷座時、赤と黒の獅子頭が発見されました。

この獅子頭を修復し、獅子舞が復活されました。

そして、当時より毎年正月元旦に白山神社で獅子舞が奉納される様になりました。

■■■ 「不苦労」のコレクション 川村由幸 皆さん、フクロウはご存知ですよね。

フクロウ、梟、不苦労 最後のはまさしく当て字だとは思いますが、

これに惹かれて、家内とふたりで不苦労の人形(う〜ん、不苦労の鳥形?)を

収集しています。

これまで80個あまりを集めました。

その内でめずらしいもの、自分が気に入っているものをいくつか紹介します。

①,② 素材は木の枝です。皮をむいた枝をそのまま使用しています。

 実はこの二つ、全く別の場所で購入しています。作者は間違いなく同じ方です。

③ よく見かけるインド産ですが、上を向いてるのが珍しく購入しました。

 もちろん、これに良く似たインドの普通のふくろうも何体が保有しています。

④,⑤ 素材は河原の石、お気づきでしょうか、これは①,②の作者と作者が同じです。

 石ですから形はふくろうではありませんが、でもフクロウです。

⑥,⑦ 確か共に南米産です。チリかコロンビアのどちらかだと記憶しています。

 私はこの⑦の不苦労が最も気に入っています。高さは4cm程度ですが

 彩色もなかなかでしょう。

⑧ 親子フクロウです。一番目のコレクションで愛着を持っています。特に

 珍しいものとは思いません。私も自分が購入した時ともう一回遭遇しています。

⑨〜⑮も南部鉄器のや、おてだまフクロウなどふくろうならなんでもという感じで

集めていました。ここのところ少しトーンダウンしてきています。

感動する、欲しいと感じる不苦労に出会うことが減ったからでしょうか。

このコレクションがこれから、どのように変化してゆくのか自分でも判りません。

ても、知らない土地でのお土産にふくろうを探す習性は継続しそうです。

 

■■■ 足立の夏風景ビデオ 杉浦啓之

Video 

足立の花火

Adachi hanab(fireworks)

 

Video

足立 西新井大師 風鈴祭り

Adachi nishiarai Daishi

 

 

■■■ 小出正

福島 大内宿 と“車社会”

晩夏の1日、奥会津の大内宿へ行きました。

ここは、昔、会津若松と日光・今市を結ぶ会津西街道=別名下野街道、南山通りの宿駅の1つで、現在は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。 続く

日光杉並木

日光杉並木を今市から報徳庵まで歩いてきました。

 

■■■ 「福島県古殿町 夏風景 越代の桜と清水」 蛭田信次

■■■ 「東北の旅」 及川政治

この夏は8/1〜8/9にかけて、北東北ツーリングに出かけました。

カミサンとハーレー2台での旅です。

まず、東北自動車道で北上へ行き、そこから秋田自動車道で男鹿半島へ。

「先っちょ好き」な我々としましては、入道崎黄金崎竜飛崎大間崎、そして尻屋崎、夏泊半島と駆け抜け、その後、弘前で「ねぷた」青森で「ねぶた」を見物。

前者の厳かな雰囲気、後者の熱狂に酔い痴れました。

入った温泉は主なものだけでも、不老ふし温泉、新屋温泉、蔦温泉、松川温泉、それに鬼首温泉郷の吹上温泉など。

入ったわけじゃないけど、玉川温泉と河原毛地獄には驚きました。

弘前ねぷた

青森ねぶた

■■■■■■ エッセイ ■■■■■■ 

題名「ちょっくらかぶってみた」 柚原君子

俺猫新聞紙で遊ぶのが好き。

人生相談を読むのも好き。

今日の回答には「背中に背負う荷物は自分で探す」って書いてあった。

俺は猫背だし、体のどこかに何かがくっついたら大騒ぎで毛づくろいをすぐしなければならないし、

大体面倒くさいから背中に荷物なんか載せないけど、人間はえらいナァと思う。

若いうちは苦労が山ほどあるらしいな。

背中の荷物は振り落としても振り落としてもいつも何かあるらしいな。

俺の友だちに「ローン」って犬がいる。

ローンを背負った記念に飼った犬だそうだけど、その犬は背中が重いのか、散歩に行く時も抱っこらしい。

俺が猫背でなく背中に何かあってもいいのならあまり重いものを背負うのはいやだな。

加減を見て、ちょっと自分をいじめる。その程度がいいな。

人間も背負えるから背負わされた、って苦労のある人はそう思って前に進むらしいけど、自分で探した荷物って思えばいいんじゃないかな。

適度な重さは重石になって着実に歩む足の歩幅もしっかりしたものになるさ。

俺は猫背、荷物を背負うのできないから、ちょっくらかぶってみた。

笑うな!

 

■■■ 「小西増太郎ストーリー」 野崎順次

ロシアの文豪トルストイが心から愛した青年が二人いた。

一人は「ジャン・クリストフ」、「魅せられた魂」などで知られるロマン・ロランであり、もう一人が日本人、小西増太郎である。

小西増太郎(1861-1939)は岡山で生まれ、家業は米を搗いたり、綿の実の油を搾る水車小屋であった。

青年になって、当時、製塩業で繁盛していた野崎本家に奉職したが、キリスト教に目覚め洗礼を受け、東京のニコライ神学校で学んだ。

その後、野崎本家当主武吉郎の援助を得て、ロシアに留学、明治25年(1892) トルストイと出逢い、中国の老子道徳経の露語共同翻訳に従事した。

その時、トルストイ64歳、増太郎31歳。

小西増太郎、明治20年(1887) 

渡露直前

増太郎は、尾崎紅葉、徳富蘇峰、徳富蘆花などと親交が深かった。

明治29年、徳富蘇峰がトルストイに会いに行きたいというので、紹介状を書いた。

蘇峰はトルストイから増太郎への聖書を持ち帰った。

増太郎宛の聖書は、ロシア教会の福音書で、トルストイは小西のために、322ページの聖書を一読し、最重要部分に赤線、重要部分に青線、否定すべき部分に黒線を引いていた。

その後、増太郎は破格の待遇で野崎本家に再奉職したが、あきたらず、同志社大学、京都大学で教鞭をとった後、実業界に身を転じた。

昭和14年(1939)12月10日、野崎本家当主甲斐太郎と春子夫妻に会いに行く途中、新宿駅にて心臓麻痺で倒れ、死去。

昭和41年(1966)、日本で初めて大がかりなトルストイ展が東京や大阪で開催され、上記の聖書も展示された。

ちなみに、小西増太郎の長男は、戦後、プロ野球で松竹ロビンスの監督や、さらにNHKラジオの野球解説者として活躍した、「まあ何といいましょうか」の小西得郎さんである。

参考文献太田健一著 「小西増太郎・トルストイ・野崎武吉郎 交情の軌跡」2007年吉備人出版

突然ですが、神戸の町中にある相楽園の池泉回遊式日本庭園と、JR奈良駅で遭遇した美しいご婦人です。

ご婦人はグレース・ケリーとキャンディス・バーゲンを足して三で割ったような(たとえが古い)。

そういえば、阪神と近鉄がつながって、三宮から奈良まで直通電車が走るようになりました。

■■■ 「夏のある瞬間の興奮とナガ〜イお付き合いの始まり」 中山辰夫

5月中旬にカブトムシの幼虫を5匹もらいました。

シルバ−センターのおじさんから教わった通りケースにセットし、風通しのいい、静かな場所におきました。

覗き見する度に変化のないのが心配でした。

6月20日過ぎ、サナギへのチェンジが見られ嬉しくなりました。

何匹成虫に育ってくれるかヒヤヒヤでした。

7月10日頃、3匹の成虫発見。

でも、マットの中へすぐにもぐり込みなかなか姿を現しません。

やっとのことで、オス・メス2匹計4匹の成虫がゲットできました。

大成功です。大喜びしました。

次は7月20日のカブトムシ大会への出場です。

50人ほどの好敵手?が集まりました。

競技は①100cm競走 ②木のぼり競争 ③綱わたり競争 ④木のぼり相撲競争です。

各ゲームとも秒タイムで争います。

たっぷりゼリーの餌を与えてきたオスが選手です。

自分達が育てたカブトムシを応援する声援で会場が沸騰しました。

でも・・・残念ながら今回は優勝に届きませんでした。

成虫の寿命は長くて約1ケ月です。

戦い終わったカブトムシは残り僅かな生命を惜しむように、暗くなるとケースの中で大暴れしています。

我が家のカブトムシは淘汰?されて、オス1匹、メス2匹となり、夜中元気に動き回っております。

・・でも、まもなく動きが止まるでしょう。

そして、ケースの中には卵だけが残ります。

カブトムシは「1年1化」の昆虫。

1年間という時間の流れの中で一生を過ごします。

8月頃の産卵から一生が始まります。

生まれた小さな卵が何か月もかかって大きく育つことになります。

孫から“来年は優勝だ!”の宿題を与えられました。

カブトムシの成育にハラハラしながら一年間を過ごすことになります。

■■■ 「早稲田大学文学部校舎」 酒井道夫

旧聞に渉りますが、建築家村野藤吾設計になる早稲田大学文学部校舎が一昨年の3月に間もなく取り壊しになるというので見学会が行われました。

それで、夏までにはなくなってしまうはずでしたが、何とした事かまだ立っているみたいですね。

この建物は、私が三浪の末にやっと潜り込んだ早稲田文学部美術専修(夜学)の2年生になったときに完成した建物です。

当初、あまり感心しない建造物だと思っていました(学生の溜り場が無かった)が、あらためて見学に訪れたら、村野藤吾がローコストで作るために大変苦心した様子が伺われて、少し見解を改めました。

そして、この建築学会賞受賞作品が私の命より遥かに早く潰えることになるとは思っても見なかったことです。

耐震補強ができないという理由だそうですが、そんなアホなことはありえません。

なにもかも経済優先で事を進める風潮の犠牲に供されたようです。

エントランスの壁面、床には長谷川路可指導による武蔵美学生集団制作のフレスコが施されています。

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Japan Geographic Web Magazine

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編集統括 瀧山幸伸

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