JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine  May 2023


■■■■■ Topics by Reporters

■ 東北の潜伏キリシタン  瀧山幸伸

秋田県湯沢市の雄勝に寺沢という地区があり、比高30メートルもない小さな丘に北向観音という祠がある。中に祀られているのは子安観音で、キリシタンのマリア像と言われている。丘のふもとにはここで殉教したキリシタンの供養碑が建っている。この地でのキリシタン殉教を知ったのは2018年の秋、院内銀山と院内の町を調査した時のことだった。彼らはおそらく治外法権的な性格が強かった院内銀山などの鉱山コミュニティに逃げ込んでいたキリシタンだと思われる。佐竹藩も当初は採掘最優先で比較的柔軟な対応をしていたが、徐々に幕府の締め付けが厳しくなり厳格な対応を迫られ、藩内各地で弾圧が行われることとなった。

今年は桜の時期に訪問したのだが、眼下に広がる桜の情景があまりに美しく、無念に死んでいった人々の心情を思うと深いため息とともに涙腺が緩んでしまった。

  

東北では、伊達藩の岩手県藤沢が同じく鉱山関連のキリシタン殉教地として世界的に著名だ。一方、米沢藩の山形県米沢市北山原や会津藩の南会津(常楽院)と土津神社裏は鉱山との関連ではないが、家老などが弾圧されたという点ですさまじいものがあった。宗教弾圧は秘匿性が高いので資料が少なく、この分野の研究者は大変だろう。


■ 文化財建造物の指定告示文から 2 二条城の指定告示について 大野木康夫




文化財の指定告示を眺めていると、告示に辻褄が合わないように思うことがあります。
顕著な例は「二条城」です。
二条城は江戸時代初めの慶長年間に二の丸部分が完成し、その後、寛永年間に拡張、天守閣や本丸御殿は焼失しますが、城門や二の丸御殿などは残り、明治になってからは「二条離宮」として宮内省の所管になります。
また、明治26(1893)年には桂宮御殿を本丸に移築して本丸御殿としました。
その後、昭和14(1939)年に京都市に下賜され、「恩賜元離宮二条城」として一般公開されるようになりました。
文化財指定については、宮内省(現宮内庁)所管のものは公開性等の問題によるものか世界遺産の関係で正倉院が指定されるまでは指定されませんでしたので、二条城の建造物が国宝(旧国寶)に指定されたのも京都市所管となった後の昭和14(1939)年10月28日でした。

告示文(国立国会図書館、以下同じ)

  

この時指定された建造物は24棟でした。

本丸櫓門附袖塀、東大手門附多門塀、北大手門附多門塀、西門附多門塀

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東南隅櫓附多門塀、東南隅櫓北方多門塀、西南隅櫓附多門塀

   

土藏(米藏)、土蔵(北)(米藏)、土藏(南)(米藏)

   

鳴子門附袖塀、桃山門、北中仕切門、南中仕切門

    

二之丸御殿

唐門、築地、遠侍附車寄

  

式臺、大廣間、蘇鐵之間

   

黒書院(小廣間)、白書院(御座之間)附附屬之間

  

臺所、御淸所附廊下

  

その後、昭和19(1944)年9月5日に本丸御殿が追加指定されます。

御殿玄関、御殿御書院、御殿御常御殿、御殿臺所及雁之間

    

告示本文は「左記ノ國寶ハ其ノ名稱及構造形式下欄ノ通改メタリ」でしたが、下欄に列記された建造物をよく見ると、「御殿大廣間」と「御殿御淸所」が見当たりません。
以後何年かの正誤を見ても見当たらないので、ここでこれら2棟は告示文上では旧國寶から除外された形となっています。

告示文(抜粋)

  

その後、文化財保護法が制定された後、昭和27(1952)年3月29日付けで二之丸御殿の一部が国宝に指定されることになりました。

告示文(抜粋)

  

告示本文は「上欄に掲げる重要文化財の一部を同表下欄のようにそれぞれ国宝に指定した」となっており、上欄に掲げる建造物を見ると先に除外された形になっていた2棟のうち、この告示で国宝に指定される「御殿大広間」はさりげなく復活していますが、「御殿御清所」は見当たりません。

昭和19年の告示から漏れたのが誤植で、指定を決定する「伺い」は2棟を記載しているということもあるかと思いましたが、御清所は昭和27年の告示でも漏れており、当時の文化財保護委員会では御清所が指定されていることを認識していなかった可能性があります。
このようなことになっているのは二条城のこの例だけであり、真相はよくわかりませんが、御清所は慶長の創建時から残る歴史的建造物なので、重要文化財に指定されている方が自然だと思います。
スッキリさせるのであれば、官報の正誤で直す方がいいと思いますが、年十年もたっており、そのような措置が取られることもないでしょう。


■ 蟇股あちこち 37  中山辰夫

今月は静岡県を集めています。
神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社・大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社を総称して静岡浅間(せんげん)神社といいます。創建は千古に遡ります。
現在の社殿は江戸に60年の歳月をかけて再建された、総漆塗り極彩色の豪壮華麗な建築群です。社殿群二十六棟が国重文指定です。
境内にある彫刻はほとんどが極彩色塗装されており、信州諏訪の名工・立川和四郎父子とその一門よるものです。「東海の日光」と称されるほど豪華です。

 


5月の連休の間に西本願寺の国宝・飛雲閣が一般公開され、撮影しましたので、既存の西本願寺(蟇股あちこちNo33)に追加します。

蟇股あちこちNo1~No37掲載分の、県別社寺一覧表を作成しました。今後も追加、修正を行います。見やすくなればと思っています。


■琵琶湖の水を止めてみた  酒井英樹

 日本で一番面積が広い湖として知られる琵琶湖・・正式には淀川水系琵琶湖・・近畿の水瓶とも言われており、淀川水系の河川を通じて近畿2府2県(滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県)に水を供給している。
 琵琶湖のある滋賀県民が冗談で「琵琶湖の水を止める」・・と言うことがある。滋賀県の琵琶湖が京阪神の水をまかなっている誇りから・・。
 だが、琵琶湖の水を止める権限は滋賀県にはない。琵琶湖は国から滋賀県に管理を委託しているが、過去に自治体間で水争いが絶えなかったことから、利水管理は国がすべての権限を所有する。
 というわけで・・今はもう時効の昔・・、琵琶湖の利水権限を握った時に滋賀県に代わって・・琵琶湖からの水をすべて止めた時のお話・・

琵琶湖風景
  

 100を超える滋賀県内の河川・・すべて一級河川・・が流れ込む琵琶湖。しかし、琵琶湖から流れ出す河川は、南端にある瀬田川(滋賀県内での名称・・京都府内に入ると宇治川となる)しかない。

  琵琶湖から流れ出る唯一の河川(瀬田川)


 瀬田川を堰止めれば琵琶湖の水は止められる・・。瀬田川には琵琶湖から数キロ下流に瀬田川洗堰(国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所所管)がある。この堰を全閉・・すべてゲートを閉鎖すれば堰から下流には流れなくなる。だが、話はそう簡単ではない。

  瀬田川洗堰
 

 大津市の三井寺付近から京都市の鴨川に流れる人工の水路「琵琶湖疎水」(京都市水道局所管??)があり、鴨川は桂川と合流し、男山(石清水八幡宮)付近で琵琶湖からの宇治川、三重県名張地方から流れる木津川の3つの河川が合流して淀川となる。つまり琵琶湖疎水の水の流れを止めないと厳密には琵琶湖の水を止めたことにはならない。
 また、瀬田川洗堰を迂回する用に作られた発電用の水路が存在、瀬田川洗堰を全閉にしても琵琶湖の水は止まらない。
 3つの施設の水門をすべて閉鎖しない限り、琵琶湖の水を止めたことにならない。

  琵琶湖疎水
    

 それでも琵琶湖の水を止めてみた。
 まずは発電施設の点検を行うための申請を許可し、水路の入り口のゲートを全閉、水路をドライにした。
 続いて琵琶湖疎水・・京都市内の水道水をまかなう役目のある琵琶湖疎水、そのため京都市が管理している。だが渇水で琵琶湖の水位が低くなっても、安定的に供給するため疎水の上流端に琵琶湖の水を揚げる大型のポンプ場があり、疎水の上流端50mほどは国が管理している。このポンプ場もポンプ取り替えのため、ゲートを閉めて琵琶湖疎水の水を止めた。
 最後は雪解け水で常時満水位に近い下流ダムの負担を減らすため、洗堰を全閉した。

  琵琶湖疎水上流端のポンプ場(全閉状態)
   


 時間にして1時間半・・琵琶湖の水を止めた・・。なぜ1時間半で取りやめたのか・・「できるだけ早く洗堰を開けてほしい」という要請が閉鎖してすぐに届けられたためだ。

 深夜の1時間半・・前述のように淀川は大阪と京都の境(男山)付近で3つの川が交わり淀川となる。宇治川から流れてこなくとも(実際は洗堰下流から起因する水や下流で合流する河川があるので流量は減るが宇治川の水が流れてこないことはない)大きな問題にならない。大阪柴島浄水場の取水する水の10%程度しか琵琶湖起因の水はない。
 京都盆地の地下に琵琶湖の水の量とほぼ同量の地下水が存在しているなどなど・・下流にとって琵琶湖の水を止めることの影響は短期的には全くない。
 
では・・どこが慌てて中止の要請をしてきたかというと・・代わりの止めた滋賀県から・・。
 前述の通り琵琶湖は100以上の河川が流入するが、出口は瀬田川と小さな水路。琵琶湖の水を流さない・・ということは100以上の川から水が流れてくるにもかかわらず、水の流れ出る出口がない・・。つまり浴槽に栓をしたまま水を注ぎ込んでいるのと同じこと・・、いつかはあふれ出し・・琵琶湖沿岸が水浸しになることに・・
 だから慌てて中止の要請がきたのだ・・。1時間半・・日本一の面積を誇る琵琶湖・・水位がわずか1ミリにも満たない水位上昇であるにもかかわらず・・

 「琵琶湖の水を止める」という言葉・・実際は言った側の自分たちの首を絞めかねない行為であることをお忘れにならないように・・使ってください・・。



■武蔵寺の藤  田中康平


桜も終わって藤の花の季節となった。藤は福岡周辺では南朝の良成親王お手植えと伝わる黒木の大藤が有名だが近頃は出不精になっていて、もっと近くはないかと探すと太宰府近く天拝山麓の武蔵寺(ぶぞうじ)という寺の藤が古くから伝わったものとして名が知られているとわかり訪れてみた。4月22日のことになる。
この寺のそもそもの創建は天智天皇の頃(7世紀後半)、藤原虎麿というこの地の有力者がツバキの木で薬師如来を彫ったのが始まりとされるようだ。名物となっている藤は藤原虎麿が亡くなる前に植えた藤がその起源とされるが、当時のものが引き継がれてきたのか、今あるのは別の藤なのか、よくはわからない。虎麿は他にもこの地の古くからの温泉(現在の二日市温泉)の発見者としても伝えられている。近くには流されてこの地に来た菅原道真が浴びた滝(紫藤(しとう)の滝)というのも残され、伝説と真実の判別が難しいものが揃わっていて、そこらが九州らしくて面白い気がする。
写真は順に 1)武蔵寺山門、2)拝殿、3)石仏、4)藤棚、5),6)藤、7)紫藤(しとう)の滝、8)天拝山公園の虎麿像
        



祥寿山曹源寺 川村由幸

群馬県太田市にある曹源寺は本堂がささえ堂で国の重要文化財に指定されています。
平成27年に大規模な修繕が行われており、保存状態は良好であろうが、外観に古さを全く感じないほどの修繕がなされていました。
   
ただ、内部はらせん状の通路に沿って100体の観音像が安置されており、なるほど重要文化財と思わせる風格と歴史を感じるものでした。
   
さらに観音像の上には壁画といにしえの参拝者のいたずら書きが残されており、らせんの通路の昇りを楽しいものにしてくれます。
   
さざえ堂ですから、もちろん昇りの通路と降りの通路が交わることはないのですが、柵で通路が仕切られているだけで空間は仕切られていないため、昇る途中に降りる見学者と顔を合わせてしまいます。
さざえ堂といえば、なんといっても会津若松市の三匝堂ですが、ここは昇りと降りのらせん階段の空間が仕切られており昇りと降りの見学者が顔をあわせることがありません。
私は三匝堂は二度見学しており、そのイメージが強く、ここではこれでもささえ堂なのかといささかガッカリ。
しかし、たくさんの仏像と壁画そして白壁に残されたいたずら書きに囲まれての見学はとても楽しいものでした。
実はこの日、曹源寺以外にもう一か所、桐生市の彦部家住宅を見学するつもりでしたが、現地に到着すると駐車場は満杯、交通整理をしていた方に伺うと茶会で200~300人が入場と聞き、あわてて逃げ帰りました。
彦部家住宅はまたの機会に訪問します。

 


■JR中央本線車窓から見える山々   野崎順次



JR中央本線は西線と東線から成り、特急は西が「しなの」、東が「あずさ」である。共に車窓から有名な山々が見えるので、とても楽しい。物心ついてから、機会があれば、乗ってきた。今回は仕事の出張で、松本の得意先を訪ねてから東京入りする。

4月19日(水)、10:00名古屋発の「しなの7号」に乗って、進行方向左の窓側に席を取った。

山深くなるのは中津川(10:49)あたりからで、南木曾(11:00)を過ぎて、カメラを取り出す。シャッター速度はおおむね1/2000秒で高速度連続撮影に設定する。並行して流れる木曽川も迫力が出てくる。新緑の山に満開の桜が映えている。

       

前方の山の上に雪をかぶった御嶽山の頭が見える。標高3,067 mの複合成層火山である。独立峰としては富士山に次いで2番目に高いそうだ。2014年の噴火事故では死者58名、行方不明5名だったなあ。

     

御嶽山はすぐに隠れてしまうので、対岸の新緑を楽しむ。

    

木曽福島に着く直前に国名勝寝覚ノ床が眼下に展開する。といっても、わずか2秒間くらい。花崗岩地帯を木曽川の流れが削り、花崗岩特有の割れ方が、大きな箱を並べたような不思議な造形をもたらした。以前より水位が下がったのでさらに迫力が増した。

     

桜やD51型や

     

木曽福島を出てからも花見ができた。そして、塩尻駅経由で松本到着(12.:04)。

     

14:50 松本発のあずさ38号で東京に向かう。列車の窓に熱線吸収ガラスが使われているので、その影響で青っぽく写る。今度は進行方向右側の窓席である。とはいえ、最初は左側の空席から八ヶ岳(最高峰赤岳2,899m)の稜線を見る。山麓の蓼科に祖母の避暑山荘があり、よく遊びに行った。北八ヶ岳に登ったこともあって、車窓から見えると、懐かしさがこみあげてくる。

  

小淵沢に近づいたあたりから南アルプス(赤石山脈)の北端が見えてくる。よく見ると、中央の頂上に小さな尖塔(オベリスク)が見えるので、地蔵ヶ岳(2,764m)を含む鳳凰三山だろう。

   

南アルプス屈指の名峰、甲斐駒ヶ岳(2,967m)は、山梨県側の山麓から一気に立ち上がり、中央本線沿線からもその全貌を見ることが出来る。

    

そして、富士山(3,776m)

  

再び、甲斐駒ヶ岳

   

小淵沢を過ぎてから振り返ると、八ヶ岳

  

甲府の手前、塩川の甲斐市側の断崖はちょっとすごい。屏風岩という名前が付いているかもしれない。

  

この後は八王子まで寝てしまったようで、これにておしまい。


■『風鈴』 柚原君子



理由あって縁が切れていた伯父から電話があった。
(どのような理由かは、先月の『フーリンリン』をごらんくださいませ)



「やっとかめだなも、きみちゃん。あんたのお父さんとはちょっとした事で喧嘩になってしまったけど、私も至らんところがあったでねえ、申し訳ないと思っとる。今日はお願いがあって電話をしたんです。
私は東京で事業の失敗をしたけれども、職業軍人で満州に渡っていたこともあるから年金の額も多いし、蓄えた財産もそれ程減ってはいないんです。預金と住んでいる名古屋の家があるけど、それをきみちゃんに譲りたいと思う。きみちゃんは私が貰いたいと思っていた子だし、どこかに寄付することも考えたけど、どうしても血のつながった人に貰ってもらいたいんです。
きみちゃんは旦那さんを亡くして、子どもさんとの暮らしで、でも、暮らしに困ってらっしゃるわけじゃないから、こんなお願いをしても駄目かもしれないけど……。私の女房は今、病気でね、もう長くないと思うんです。女房が死ねば私は一人になる。それで、ご相談なんだけど、きみちゃんに名古屋に来てもらって、同居してもらって、私が死んだあとは財産を譲りたいと思っているんです。見てもらうとしても3年くらいで私も死んでいくと思うから、そんなに面倒はかけないと思うんです」。



私は「仕事の保育の予約児が来年も埋まっているので、来年いっぱいは東京を離れられない」と返事した。
伯父はその予約児は再来年の春には終わるんですね、と確認をして、その頃にまた電話をすると言った。



子供を持たなかった夫婦の片方が病気になると、残された者は寄る年波の心細さで身の振り方を不安に思う。それで、単身家庭で動きの可能な姪である私のところに電話が来たのだ、と私は落ち着いて判断をした。
私の実家に碁を打ちに来た伯父、父に手形を割ってもらいに来ていた伯父、父がこの伯父との兄弟げんかで縁を切ったことなどをフワーと思い出した。

伯父の言葉の端々には年寄りの心細さから来る不安感の果て、とも言い切れない、ある意味の身勝手さの片鱗を感じて、積年の出来事が何となく理解できたような気がした。
遺産があると公言できるのは、今流に言えばラッキーな老後である。それならば、面倒な血の関係に頼らずとも、預貯金と家を処分したお金でそれなりのホームに入所するのが、子を育てえなかった人の覚悟というものではないだろうか、と一瞬思ったが、そのことを言うのも酷な気がして、「とりあえず今は、伯父さんの面倒を見に名古屋に行くことはできない」とだけ返事をしたことは正しいと思った。



私の弟はしっかり者である。この『伯父遺産譲渡』の顛末を母から聞いたらしく、電話がかかってきた。

「あやふやな態度でいると、あっちは年寄りだから自分に都合の良いように話を積み上げていくぞ。ちゃんと断っておけよ」

「名古屋に行く意思がない、とはっきり言うのは、年寄りだし可哀相じゃない? 伯母さんが亡くなったりすれば、また状況は変化するでしょ。その頃には有料老人ホームに入所しているかもしれないし、不安を抱えている年寄りに何も今、言い切らなくとも……」

「お姉さんがはっきり断らないと伯父さんは夢を持ってしまうよ」

「いいじゃん。きみちゃんが3年経ったら来てくれるかもしれないということが頭にあったほうが、伯父さんは元気が出るじゃん」

「知らないぞ、ある日チャイムが鳴って出てみたら、引越しトラックと一緒に伯父さんが助手席で手を振っていたとしてもさ(笑)。だけど、大体失礼なんだよな、あの伯父さんは。お父さんと喧嘩をしたくせに今頃になって電話を掛けてきて。それに甥や姪の中でお姉さんが特に可愛いなんて、ずいぶん昔から伯父さんはそれを言っていたし……」

「貰い受けられたらと思っていた姪だからじゃないの。ともかく、この話は放っておこうよ。伯父さんも思いつめての揚句じゃなくて、思いついての電話だったってこともあるでしょ。時が解決してくれるよ、多分。このことで私たちが喧嘩することないじゃん」。



年をとると体が思うようにならない。そんな中で友人知人やパートナーが欠けていく。気持ちも萎える。お年寄りの周りの風景はどのように移ろっていくのだろうか。年をとれば自分の一生を気持ちの中で清算しなければならない時がやってくる。その時、心はどんな想いになるのだろうか。

身勝手な伯父の電話だったが、お年寄りの心情に思いを馳せられないもどかしさが、季節外れの風鈴のような物寂しさを連れて、今も私の心に残っている。

 


■おばちゃんカメラマンが行く     事務局

 

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