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岡山県高梁市 吹屋
Fukiya,Takahashi city,Okayama

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 General
 
べんがらの街
 Nature
 
中国山地、山奥の自然
 Water    
 Flower
 
 
 Culture
 
ベンガラ商人の栄華を残す街並
 Facility
 
 
 Food
 
 

旧片山家
Kyu Katayamake
吹屋郷土館
Fukiya Kyoudokan
吹屋小学校
Fukiya primary school
べんがら館
Bengarakan
旧広兼家
Kyu Hirokaneke
吹屋銅山
Fukiya copper mine
坂本
Sakamoto
西江家
Nishieke

Nov.1,2016 中山辰夫


高梁市吹屋  重要伝統的建造物群保存地区(鉱山町)

吹屋は標高550m吉備高原西部に位置する鉱山の町。江戸時代から明治時代にかけて銅山開発、更に江戸時代からはベンガラの生産が盛んとなり、隆昌を極めて形成された町である。
吹屋往来の街道に沿って町家の母屋や土蔵が建ち並んでいる。建物はいずれも大きく、入母屋、切妻、中二階、妻入または平入、白壁、なまこ壁、ベンガラ格子、赤褐色の石州瓦で町並みが見事に形成され、しかも今日に残されており。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
ベンガラ工業最盛期の頃、巨万の富を得た吹屋の長者たちが島根の石州大工を招き、高級木材を使用し家を建て直し、瓦職人を呼びよせて現地で瓦を焼かせた。木材にはベンガラを塗り込み、赤味の石州瓦を用いて特徴ある家々が建てられた。
吹屋の町並みは下谷、下町、中町、千枚によって構成されており、中でも中町は素晴らしく、郵便局や雑貨屋などすべての建物が赤褐色の町並みに溶け込んでいる。伝統的建造物に指定されている建物も77棟を数え、保存にかける住民の想いと意気込みが感じられる。
吹屋の町並みを構成する民家は現在も住居として住んでおられる。従い旧片山邸、郷土館、吹屋案内所以外の建物の中には入れない。
町中の散策は千枚駐車場からスタートした。 駐車場からは高草八幡神社の幟がよく見える。

千枚地区
    
駐車場から県道を通り旧道に入る。角に土産物屋がある。左方向が千枚、右方向が中町である。

ベンガラ屋(山内家)
   
角の土産物屋さん。明治初期の入母屋造、妻入、二階建。鬼瓦のデザインは山と内の字の組合せ。
三菱商会の吉岡銅山に、鉱夫の扶持米を納める米問屋だったが、大正末期にベンガラ化学工場を始めた。この建物は別荘に使っていた。

藤森食堂
  
すぐ近くのそば屋さん。藤森食堂は1965(昭和40)年までは洋風建築の吹屋郵便局であった。寄棟造。郵便局が中町に移り、外形を維持して改修された。

道はS字に曲がって緩やかに下る。
小川家
 
ベンガラ染めのノレンが掛かる。江戸末期の切妻造、平入。

町並み
  

吹屋資料館
 
明治中期の切妻造、平入。吹屋町役場として1973(昭和48)年まで使用されていた。1975(昭和50年)にオープンした。

大河家
  


道端の基壇に狛犬が座っている。鉱山師・大塚家が江戸中期に創建した山神社の狛犬である。
  

山神社
       
急な石段をのぼる。本殿が寂しく鎮まっている。本殿は総ケヤキ造、千鳥破風付、屋根は銅板葺で濃いベンガラ色。火災で焼失の後江戸末に再建された。
1873(明治6)年に三菱商会の手で境内が整備された。 HYPERLINK "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%B4%8E%E5%BC%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E" \o "岩崎弥太郎" 岩崎弥太郎 が寄進した三菱マークの玉垣や鳥居の扁額が現存する。
昭和に入って銅山が衰退すると共に神社も衰微しさびれていった。精巧な彫り物があった片鱗がうかがえる。祭神の神体は、高草八幡神社に合祀されている

高台の境内より見る町並
  

中町地区−ベンガラ屋の前に戻り、右側方向の中町地区に向かう。

旧片山系の住宅が4軒並ぶ。本家は「旧片山家住宅」で公開中、分家の「角片山家」、中片山家(中胡屋)、旧北片山家と並ぶ。

旧片山家  国重要文化財

250年続いた吹屋ベンガラの老舗。屋号は「胡屋」 1700年代末頃に創建 (旧片山家については別掲)

両片山家・・・郷土館
   
分家の「角片山家」は郷土館として内部が公開されている。西隣は中片山家(中胡屋)。外観はほぼ同じで、二階全面に格子を付ける。

長尾家が三軒ならぶ
本長尾家〜東長尾家〜新長尾家
        
本長尾家の軒下に歌碑がある。 「さびれゆく 街も翁の 願いにて 槌音高く 生きかえりおり」と刻む。町並みの保存と再生への願いがこもる。
本長尾家は吹屋屈指のベンガラ窯元であった。喫茶「楓」の立看板。ベンガラアート展の案内もある。新長尾家は醤油醸造を行っている。

中野屋(中山家)
  
分岐点角の家、ナマコ壁が目立つ。ベンガラ窯元から大正・昭和は醤油屋。隣は空家利用のギャラリーでベンガラアート展示中

麻田百貨店
  
中山家とは道路を挟んで並ぶ。
1902(明治35)年に創業、100余年続く老舗の土産店。ベンガラを使ったハンカチや焼き物なとの製品を扱う。中ても100年持つといわれるヘンカラ和紙か人気。

仲田家
   
長尾家の向かいが仲田家。江戸末期造の切妻造、平入。二階の外壁が黒漆喰。左右の虫籠窓には白い格子戸、玄関の左側には出格子がある。
仲田家は、叶(川野)屋というベンガラ窯元で、天領だった吹屋村の庄屋を二代務めた。

吹屋郵便局
    
1874(明治7)年開局以来三代目の局舎。1993(平成5)年の建築。ノレンが掛かる玄関脇には、郵便事業開始の1871(明治4)年頃に使われていた書状集箱
と同型の黒いポストが置いてある。

町並みはまだまだ続く
     

時間切れでここまで。

高草八幡神社
       
途中までしか行けなかった。



Feb.2014 瀧山幸伸
                             




August 23,2013 大野木康夫

高梁市吹屋重要伝統的建造物群保存地区(鉱山町)

銅山の歴史は平安時代に遡るが、全盛期は室町時代から、明治末期に及び中国地方随一を誇った。
江戸時代後期から銅の産出は減少し、代わって弁柄製造が盛んになり、大正末まで繁栄した。
赤い石州瓦、弁柄色の土壁、格子、塗籠の重厚な町並みである。
(国指定文化財等データベースより)

                    









Jan.13,2013 野崎順次 HD video


岡山県高梁市成羽町吹屋
重要伝統的建造物保存地区
吹屋の町並み

アプローチ
岡山から伯備線で備中高梁まで、駅前で朝飯を食べた。

          

土日は1日2往復のバスで吹屋へ、吹屋までの乗客はたったの二人。

               

バスは終点の吹屋まで行かずにほぼ1q手前の中野口で降りる。
現地説明板と表示。

     

重要伝統的建造物群保存地区に含まれる地名は、下谷、下町、中町、千枚であるが、今回、下谷はバスで通り過ぎるだけだった。

下町、吹屋案内所、赤木家、城井田家、那須家(旧水野旅館)、川本家など。

                                               

中町−1、公民館より上の約200mが中町と呼ばれる。赤木家、吉川家など。

                               

中町−2、町並みの主要部に入る。吹屋郵便局、中山家、東長尾家、本長尾家、仲田家など。

                          

中町−3、片山系の四軒、郷土館(角片山家)、国重文 旧片山家住宅など重伝建の中核を成す。

       

千枚

                      

参考資料
岡山文庫「備中吹屋を歩く」平成20年 前川満著








May 2011 瀧山幸伸 HD video


■■■ 吹屋全域の説明文

「ベンガラ慕情夢うつつ」 

 

 かつての鉱山町は哀しい。閉山すると街並も人も消え去り世間から忘れ去られる。運悪く建物だけが取り残されると廃墟だの心霊だのと面白半分に騒がれる。元住民のアルバムには在りし日の楽しい思い出は写っていても廃墟や心霊が写っているはずもない。その思い出を踏みにじられるのは忘れ去られる以上の虐待だとも言える。
 吹屋は岡山県の西北、美しい城下町高梁から山中深く入ったかつての鉱山町だが、他に類を見ないベンガラ色の美しい街並がほぼそのまま残っている。このような山奥になぜ。地方巡業の演歌か芝居のような今回タイトルだが、ベンガラとは?慕情とは?夢うつつとは?その謎解きの旅に出かけよう。


銅山の吹屋

 吹屋の銅は大同2年(807)に発見されたと伝えられ、戦国時代には尼子と毛利が鉱山の利権を争い、江戸から明治にかけては中国地方一の銅山町として栄えた。「吹屋」の「吹」は灰吹き精錬に由来し、精錬事業者の町という意味だ。付近には数多くの銅山があったが、中心は吉岡銅山である。幕府直轄の天領として元禄年間に泉屋(住友)が開発し、その後享保天保年間に地元の福岡屋(大塚)が再開発して幕末まで続いた。明治6年からは三菱が経営し、日本最初の洋式技術の導入により地下水脈を制して、日本三大銅山の一つに発展した。最盛期には1600人以上の従業員がいたが、次第に鉱品位が下がり、銅価格の下落とともに昭和6年に休山した。戦後銅山を再開し細々と続いていたが、昭和47年には完全に閉山した。最近、近代化産業遺産に認定され、笹畝坑道の一部は見学できるようになっているが、選鉱所などが集積していた場所はまさしく廃墟であり、訪れる人もいない。坑道前にぽつんと残された作業小屋には火薬の空き箱や茶器などが当時のまま残っている。


ベンガラの吹屋 ゴミの山は宝の山

 吹屋のベンガラは、銅鉱石とともに掘り出される鉱石クズの磁硫鉄鉱石から生成される酸化鉄の一種で、いわば廃品の再利用だ。18世紀初頭、偶然に磁硫鉄鉱石からベンガラを製造する技術が開発され、宝永4年(1707)本格的にベンガラの生産が始まった。生産は拡大の一途を辿り、江戸末期以降は全国唯一のベンガラ生産地として大いに栄えた。
ベンガラの由来ははっきりとしないが、かつてインドのベンガル地方で産出されたことに関係するらしい。オランダ語もポルトガル語もBengalaだということは南蛮渡来の名前なのだろうが、日本では古墳壁画の装飾に古くから使われていた。
和のアイデンティティとも言える赤色顔料には、水銀に由来する朱、鉛に由来する鉛丹、鉄に由来するベンガラがある。水銀や鉛丹は有毒だが、ベンガラは無害であり高熱にも耐える。吹屋のベンガラは色が美しいため、有田、九谷などの赤絵の絵付け材料として、あるいは輪島塗りなどの漆や建物の防腐剤などに重用された。酸化鉄は現代ではフェライト磁石や複写機のトナー、磁気ディスク、触媒などに使われるハイテク素材だ。純度の高いベンガラも工業生産できるようになり、昭和49年ついに吹屋のベンガラ製造は歴史を閉じた。

ベンガラ館
谷筋に建つかつてのベンガラ製造工場は、赤い土壁が美しい「ベンガラ館」として資料館兼体験工房に変身している。
 


旧広兼家 

広兼家は銅山経営とベンガラ原料の製造で財をなした大庄屋だった。城を思わせる石垣の上に建つ楼門付きの大邸宅で、映画「八つ墓村」、「獄門島」、「裸の大将」などの撮影にも使われた。映画「八つ墓村」の鬼気迫るシーンが心に焼き付いている人も多いのではなかろうか。映画は夢の世界だが、うつつの広兼邸はのどかな山村風景の展望に恵まれ、庭の水琴窟が耳に心地よい。
 


西江家 「次世代ベンガラ」の夢

西江家は惣代庄屋で、銅山取締りの代官御用所を兼ねていた。日本で初めてベンガラの製造に成功し、ベンガラ事業で大発展した。こちらも楼門を持つ巨大邸宅で、映画「釣りバカ日誌」にも登場する。
西江家には彩度の高い江戸期精製のベンガラが保存されている。吹屋の天然ベンガラはアルミニウムなどの不純物がわずかに混入しているため、工業ベンガラに比べ味わい深い色が得られるのだそうだ。純度の高い工業ベンガラに負けはしたが、九州大学や有田焼の窯元とともに、逆転の発想で赤くないベンガラ、「次世代ベンガラ」を開発した。耐食性や耐熱性などはそのままで、緑、黄、青、白などが出せるようになったのだ。食器、インテリア、衣服など、違いがわかる人向けの、和の世界には無くてはならない素材になることを期待して、2011年夏に発売を開始した。次世代ベンガラの夢が叶うことを信じたい。

 


吹屋の街並

 吹屋の街並は、銅山や支配者の邸宅とは少し離れ、古来から物資輸送に使われた街道筋の峠付近、緩い坂に沿って約500mほどの長さに形成された。鉱山労働者の街並ではなく、全国唯一のベンガラ製造販売業で財をなした人々による豊かで美しい街並で、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
ほとんどの建物は、つし二階、切妻平入りで一部入母屋、赤い石州瓦葺きだ。建物の木部塗装にも土壁にもベンガラを混ぜている。ベンガラ色の基調トーンに、はっとするような白壁が上品なコントラストをもたらす。建物の壁と軒と屋根がリズミカルに連続し、歩を進めるごとに五線譜の上で踊る音符のように街並が変化する。
峠から麓へ、麓から峠へと往復して両方向のメロディを堪能しよう。高台から街並を俯瞰し、石州瓦の波が幾重にも重なる美しい姿を楽しもう。惜しむらくは道路の舗装である。熊川宿がアスファルト舗装を剥いで旧来の土に戻したように、ほんのりベンガラ色を含む土道が歩行者専用になれば申し分ない。
抜けるような青空を背景に白壁と赤壁が陽に照らされる光景は確かに別世界の美しさである。もったいないことに撮影者は晴天の昼間を狙うが、それは野暮というもの。夕暮れ時や雨天にしっとりとたたずむ街並は、陰影も彩度も和らいでほのかに霞み、極上の優美さを醸し出す。まさしく天然ベンガラの七変化だ。
 鉱石クズがベンガラという宝の山に化け、ベンガラ製造が終わった今もベンガラ色の街並が美しく輝き、映像を通じて人々の心をサブリミナルにベンガラ色に染める。同じベンガラの街並と言えども、金沢や祇園の茶屋町のような色香も贅沢な料理も無いが、この街自体がベンガラの産業と文化と自然が一体となった芸術作品なのである。鉱山町が一次産業であるのに対し、ベンガラ製造と販売まで行った吹屋は、付加価値の高い二次産業も三次産業も持っていた事が強みであった。全国各地で苦悩する鉱工業都市の活性化のヒントになるのではなかろうか

旧片山家

国の重要文化財に指定されている大きな商家で、150坪もある。胡屋の屋号でベンガラ製造と販売業を営んでいた。家の裏にはベンガラを封入出荷する工場があった。
 


吹屋郷土館

5年の歳月をかけて明治12年に建築された元商家で、吹屋を代表的する建物の一つである。妻入の入母屋造、石州瓦葺で、白壁が美しい。建材にはケヤキ、クリ、桜など最上級の用材がふんだんに使われている。
 



学校慕情

吹屋小学校の東西二棟は明治33年、本館は明治42年の建築であり、現役の小学校としては国内最古級の木造校舎で県の文化財に指定されている。古き良き時代のロマンチックな容姿を保ち、ロケに利用されることも多く、卒業生の大きな誇りだ。映像の夢の世界でなら、素敵な初恋も芽生えようし、先生への淡い慕情がせつないドラマにもなろう。
隣接する旧吹屋中学校跡地には、小学校の外観に似せラフォーレ吹屋という宿泊施設が完成した。鉄筋コンクリートの外壁に元校舎の部材を貼り付けるなど努力しているが、木造のほうが良かったのではなかろうか。木造の公共建築が全国的に再評価されている今日、木造建築を大切に使えば、百年後には小学校と同様の文化財として街並と一緒に残せたのではなかろうか。地域全体で伝統的建造物を保存することも重要だが、無くなったものを蘇らせたり新たに同じ様式で創ることも重要だ。
一方、古民家をそのまま利用した国際交流ヴィラは、外国人が日本的な暮らしにふれ地域の人々と交流を深めてもらう目的の宿泊施設だ。日本の伝統文化の源流を再評価する動きと共に世界的に吹屋が注目されつつあり、外国からの訪問者が多く利用する。日本人が鉄筋コンクリート建築に宿泊し、日本通の外国人が日本家屋に宿泊するため、相互の交流が阻害されているという現状は、考えてみればいささか珍妙である。

吹屋小学校
 



夢うつつ

 さて、この街は未来も安泰なのだろうか。道端で出会ったおばあさんに昔話を伺った。街は高齢化しており、まちおこしの牽引役がいないせいか、ダイナミックな動きは今ひとつだそうだが、それがまたこの街の良い所なのかもしれない。石見銀山が世界遺産となり、安易な観光客に蹂躙された今、吹屋を訪れる人は不思議な魅力の虜になるのではなかろうか。交通が不便なため大量の団体観光客に襲撃されてはいないが、倉敷、吹屋、石見銀山などの周遊コースが発展したらどうなる事やら。できることなら、これからの自己実現型観光の時代を先取りし、文化的な活動を志向する個人客をターゲットとして生き延びてほしい。
 街の中ほどにある老舗の長尾醤油。一口舐めれば、伝統的な技法で造る醤油の味と香りが口の中に広がり、懐かしい時代を蘇らせる。小豆島もそうだが、醤油ってこんなにおいしかったのだ。7代目の若主人に話を伺った。かつては造り酒屋として賑わっていたが戦後は醤油醸造のみ細々と業を営んできたそうだ。最近は全国から直接注文が多く、不便な立地でもなんとか商売を続けられるとのこと。インターネットが山奥の街のサポーターになってくれるのだ。そのようなお客様とのつながりを大切に、造り酒屋も復活して活躍してほしい。
 だが、通販だけでは街は活性化しない。この街に来てもらい、宿泊してもらい、街が好きになってもらい、二度三度と来てもらいたいのだが、どうすれば良いのだろう。ベンガラを使った工芸品などは未開拓分野なので今後発展するだろうが、「ベンガラソフトクリーム」とか、「鉄分入り健康ベンガラまんじゅう」とか、「ベンガラ色あぶら取り紙」とか、ベンガラ色のゆるキャラグッズとか、タレントショップや場違いなミュージアムとか、一時は流行るかもしれないが、そんなものはやめてほしい。この街の時計には似合わないだろう。
 やめてほしいと否定することは簡単だが、代案を出すのは難しい。そのヒントは、表題の「ベンガラ慕情夢うつつ」にありそうだ。ベンガラの七変化と言ったが、夜の吹屋の美しさを開拓し忘れている。ベンガラ格子の茶屋街は、昼間はけだるいが夜は美しい。美しいのだが、明るく派手な美しさだ。吹屋の夜は周囲の自然と調和して暗く地味だから、それを洗練すれば茶屋街とは違う陰影の美さが演出できるのではなかろうか。
 例えばこのような情景だ。夕暮れのマジックアワーが訪れ、幽かに灯火が芽生える。星が輝き出し、夜の帳が広がるとともに、暖かいアンバー色の灯火のゆらめきにほんのり酔ったようにベンガラの街並が浮かび上がる。一歩屋内に入れば心の平安が得られる。吹屋の民家は、色づかいが地味で茶屋街よりもはるかに渋いが、奥座敷に座ってみれば夜の美しさと静けさは極上である。月夜の光景はどうだろうか。月明かりのシアン色とベンガラのマゼンタ色が織りなす街並を見たことがある人はそう多くはなかろう。もっと稀に、月明かりが降り積もった雪に覆われた街並を照らす光景は、凛として美しいのではなかろうか。
 そのような光景はどのような美意識の美しさだろうかと考えをめぐらせてみれば、なんと源氏物語の世界ではないか。物語の夜の光景に、うつつの世界で最もふさわしい場所といえば、現在の京都御所の奥御殿、藤壺のあたりだろうか。奥御殿の色使いは夜を意識してほんのりと赤色を混ぜた女性好みの上品さだが、茶屋街や大名御殿奥座敷の華美ではない。残念なことに御所の奥御殿を一泊体験できるはずもない。もし吹屋風建築に宿泊してこの街並を散策すれば、赤色つながりで末摘花の景を想うだろうか。あるいは六条御息所野宮の景や明石の景を想うだろうか。人によっては軒端荻の景の夢にひたりたいだろうか。玉蔓の景はといえば、色つながりでいえば黒江や湯浅など黒壁の街並には似合いそうだが、吹屋とは色のイメージが違うだろう。「にほう」とは、丹(赤)が秀う(際立つ)という語源の美しき人の代名詞であり、匂宮の宇治十帖は吹屋の夢の世界そのものだ。
 吹屋はまさに上品な赤が匂う街、「ベンガラ慕情夢うつつの街」として、世界唯一の地位になる可能性を秘めている。吹屋には夢物語の舞台はあるのだが源氏物語のような物語がまだ無い。未来の多くの作家が吹屋を舞台に優美な物語を創ればこの街は生き残れる。そうなれば、夢物語のロマンチックな舞台を訪ね、好きな人と極上の時間を一緒に過ごしたいと思う人々が集うのではなかろうか。
 せっかくの貴重な街ブランドが埋もれたままだが、日本文化と歴史の博物館となっているこの街は性急なまちおこしは不要だ。映画やテレビ、文芸などの夢の世界は好き勝手にどうぞ。うつつの世界は、本物を知る人がそっと大切に扱ってほしいと願うのは私ばかりだろうか。



■■■ 吹屋の街並
Fukiya

A camera

                   
        
                    


B camera

                          





July .2005 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD Quality Video FAQ

吹屋の街並
Fukiya townscape


 

 
元資料:国土地理院



    


べんがらの鉱山町

岡山の西北、美しい城下町高梁から、かなり山中に分け入った所にある鉱山町。
江戸から明治にかけて、中国地方一の銅山町として栄えた。
江戸末期からは、特産品の赤色着色料弁柄(ベンガラ)の生産が始まり「ベンガラの町」として全国に知られた。
吹屋のベンガラは、銅鉱石の副産物として産出される磁硫鉄鉱石から生産される。
その純度は極めて高く、有田、九谷など陶磁器の赤絵の絵付け材料として、あるいは、輪島などの漆器、船舶、家屋の防腐剤として重用された。
江戸時代は天領であった吹屋が最も栄えたのは元禄時代で、泉屋(住友)が採鉱を請け負った。
明治初期からは三菱の岩崎弥太郎が運営した。
住友、三菱財閥の基礎はここで確立されたと言える。

吹屋の商品は、麓の成羽に馬で運ばれ、そこから高瀬舟で玉島まで下り、全国各地に搬送された。
玉島の繁栄は吹屋に由来する。

全国唯一のベンガラ生産販売の拠点として、この地に豊かなベンガラ商人の街並が形成された。
ベンガラ格子、入母屋造りに石州瓦の街並は、他に類を見ない美しさで、別世界に訪れたようだ。
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

横溝正史の「八つ墓村」の映画のロケ地として、昭和52年には渥美清、平成8年には豊川悦司が扮する金田一耕介が訪れ、謎解きに挑戦した。
また、「獄門島」や「裸の大将」などの撮影も行なわれた。

近年、日本の伝統文化の源流を再評価する動きと共に、日本よりも世界的に吹屋が注目されており、国際交流宿泊施設は外国からの訪問者が多く利用する。

街は高齢化しており、まちおこしの牽引役がいないせいか、ダイナミックな動きは今ひとつだ。
しかしながら、吹屋を訪れた人は、石見銀山と同様、その不思議な魅力に虜になるのではなかろうか。
知る人ぞ知る吹屋は、交通不便なためか、団体観光化の襲撃には見舞われなかった。
これからの付加価値型、自己実現型観光の時代を先取りし、個人観光客をターゲットとすべきであろう。


    

西側の三叉路から東側の街並を望む
  

三叉路から西側の街並を望む
  

三叉路の商家
 

片山家
主屋500平方メートルの大きな商家

    

郷土館
5年の歳月をかけて明治12年に完成された商家。
妻入の入母屋型で塗込造りとベンガラ格子の建並ぶ中でも代表的な建物の一つ。
屋根は石州本焼で葺かれ、ケヤキ、クリ、桜など最上級の用材がふんだんに使われている。
  

吹屋の美しい街並あれこれ
            

     

国際交流ヴィラ
外国人が日本的な暮らしにふれ、地域の人と交流を深める目的でつくられた宿泊施設。
 


吹屋小学校

国内最古とされる現役の木造校舎。
東西二棟は明治33年(1900)、本館は明治42年(1909)の建築。
なつかしい学校の姿を良く保ち、ロケに利用されることが多い。
見覚えがある人は多いのではなかろうか。

     

旧吹屋中学校跡地に、「ラフォーレ吹屋」という宿泊施設が完成した。
隣の吹屋小学校のデザインと調和している。
 

吹屋銅山 笹畝坑道

江戸時代から大正時代まで操業した銅山の坑道を復元し、坑内を見学できるようにした。
大同2年(807)に発見されたと伝えられている。
元禄年間(1690)から、泉屋(住友)が35年間、その後享保、天保年間、地元の福岡屋(大塚)が107年間、明治(1873)から岩崎(三菱)が57年間運営した。
岩崎は日本で最初に洋式採鉱精錬を導入し、日本三大銅山の一つであった。

   

吹屋のおばあさんの昔話
July .2005 Preview video 500Kbps HD Quality Video FAQ


おいしい醤油屋さんのお話
July .2005 Preview video 500Kbps HD Quality Video FAQ

吹屋の街並ドライブ
July .2005 Preview video 500Kbps HD Quality Video FAQ



広兼家 
Hirokaneke

July .2005 Preview video 500Kbps HD Quality Video FAQ

広兼家は、江戸時代末期、銅山経営とベンガラ材料の製造で財をなした土地の大庄屋。
桜門づくりの、城を思わせる石垣と威風堂々の大邸宅で、映画八つ墓村のロケにも使われた。


          



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