滋賀県大津市 東南寺
Tounanji,Otsu city,Shiga
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June 2011 中山辰夫
大津市下阪本3-6-14
天台宗
国道161号線の下阪本でバスを降りると、お寺の屋根が見える。
山門を入ると、正面に南向きに本堂があり、南側に鐘楼、東側に首塚がある。
東南寺は延暦寺の子院格の寺で、年8月21日から5日間行われる戸塚説法の行事が有名である。
首塚
「本能寺の変」の直後にあった坂本落城の際の戦死者の首塚である。
この落城はかなりむごたらしい惨状を呈したとされる。光秀の従弟に当る左馬介光春が打出の浜で秀吉軍と戦って破れかの有名な湖水渡りをして坂本城に逃げたが、味方に利なしとあきらめて城に火を放って自害した。
東南寺は伝教大師が延暦年間(782〜806)に創建した寺で、比叡山の東南にあるからその名になったといわれる。
元亀の兵火で全焼し、寛永15年(1638)に今津町にあった堂舎を移して今津堂と呼んだ。それが今の東南寺である。
戸塚説法
毎年8月21日から5日間行われる
この説法は、伝教大師最澄が両親の追善をし、民衆に法華経を説法したことに由来する。毎年行われる。
説法師は延暦寺の重要な法儀を終了した僧侶があたり、天台宗の僧にとっては天台座主になるために欠かせない通過儀礼である。
故今東光師も昭和50年(1975)8月21日から5日間説法された。その時の講話は「毒舌・仏教入門・集英社文庫」におさめられている。
明智塚
東南寺の北東約250m、国道161号の西側、村田製材所事務所横に木造の鳥居と2つの石灯籠が建つ小さな塚が明智塚です。
ここは、古い小字名を「城」といわれ、明智光秀が築いた坂本城の城内と推定されるところ。
この塚の由来については、いろいろな伝承が残っている。たとえば、光秀が坂本城築城に際して、本家の美濃守護土岐氏から伝領した宝刀を城の主柱の下に埋めた跡である、とか、光秀秘蔵の愛刀「郷義弘」(ごうのよしひろ)の脇差を落城に際して娘婿の左馬之介秀満が埋めたところである、とか、また、左馬之介秀満の首を埋めたもの、とか、明智一族の墓所であるとか、いろいろな節がいわれている。
光秀は、「本能寺の変」で信長・信忠親子を討ったが、「山崎の合戦」で羽柴秀吉に敗れ、坂本へ逃げる途中、京都の小栗栖で土民に殺されたといわれている。
それを知った光秀の娘婿、明智左馬之介秀満は安土城から坂本城に入ったが、すでに秀吉軍が大津を押さえ、坂本城を完全に包囲した。秀満は、光秀の妻や娘と自らの妻を手にかけ、天主に運び込んだ火薬に火を付け、坂本城と運命をともにしました。
この塚は明智一族の悲運もあってか、さわるとたたりがあると言われ、壊されることもなく現在に至っている。
毎年、光秀の命日の翌日、坂本城落日の6月15日に、所有されている方の手でねんごろな法要が行われている。
東南寺からは、唐崎神社にも聖衆来迎寺には歩いてもわずかである。
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