愛知県知立市 知立神社
Chiryujinja,Chiryu city,Aichi
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知立市西町神田12 知立神社多宝塔 重文 近世以前/寺院 室町後期 永正6(1509) 三間多宝塔、こけら葺 19070527
August 17,2019 大野木康夫 source movie
所在地 愛知県知立市西町神田12
多宝塔(重要文化財)
永正6(1509)年の建築
三間多宝塔、こけら葺
(国指定文化財等データベースより)
知立神社は延喜式神名帳にも記された三河国二宮で、嘉祥3年(850)に僧円仁が神宮寺を創立して、境内に二層の塔を建てたという。現存する多宝塔は社蔵文書に永正6年(1509)再建とあり、神宮寺の遺構と考えられる。明治元年(1868)の廃仏毀釈の折には、本尊と仏壇を撤去し、神社の文庫に改めることによって破却の難を逃れた。
下層は三間四方で四周に縁を廻らし、角柱を立てて柱上に出組を置く。正面の中央柱間に桟唐戸(さんからど)を吊り、両脇間には連子窓(れんじまど)を設ける。側面と背面の柱間は全て板壁とする。内部には後方に二本の円柱を立てて来迎柱とする。上層は縦板張りの円形土壇状の亀腹(かめばら)に腰組と高欄を廻らし、円周上に円柱12本を立てる。柱間は全て板壁で、上層には戸口を設けない。柱上には手先が四つ前へ出て桁を支える四手先斗・尾垂木付きを載せる。屋根はこけら葺で、軒は上・下層とも平行垂木とする。
全国的にも遺構の乏しい神宮寺の建築として極めて貴重である。
(文化財ナビ愛知より 岩田敏也氏の詳細解説文)
細部撮影
多宝塔
Tahoutou
知立神社 多宝塔
国指定重要文化財(建造物)
明治四十五年五月二十七日指定
社伝によれば、八五〇年(嘉祥三)天台宗僧円が神宮寺を創立し、多宝塔を建立した。後知立神社の別当寺となった。
現存する多宝塔は、一五〇九年(永正六)重原城主山岡忠左衛門が再建した。
三間二層の塔であり、正面に桟唐戸を配し、左右には連子窓、他は嵌板張りである。屋根は柿葺で、塔高は約十mあり、室町時代の建築である。
明治の神仏分離令の際には、祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を除き、瓦葺にかえ、「知立文庫」と名も替えて、取り壊しの難をのがれた。
知立市教育委員会
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