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愛知県稲沢市 万徳寺
Mantokuji,Inazawai city,Aichi

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稲沢市長野3-2-57 万徳寺多宝塔 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 三間多宝塔、檜皮葺 棟札1枚 19010327
稲沢市長野3-2-57 万徳寺鎮守堂 重文 近世以前/神社 室町後期 享禄3(1530) 一間社流造、檜皮葺 棟札4枚 19580514

Jan.18,2014 大野木康夫 movie

所在地 愛知県稲沢市長野3-2-57

万徳寺は尾張三十三観音の第十七番札所で、名鉄国府宮とJR稲沢駅の間にあります。

山門、本堂、鐘楼

   

重文指定の多宝塔と鎮守堂は境内の西側に並んでいます。

  

多宝塔(重要文化財)

室町後期の建築
三間多宝塔、檜皮葺

                   

鎮守堂(重要文化財)

享禄3(1530)年の建築
一間社流造、檜皮葺

                        




Feb.11,2013 瀧山幸伸 HD video

A camera
                    

B camera
                              


Dec.2012 野崎順次 HD video

稲沢市長野町1431
長沼山 萬徳寺

撮影日: 2011年12月24日

萬徳寺は、由諸書や縁起によると、神護景雲(768)に、称徳天皇の勅願によって慈眼上人が創建し、草堂に阿弥陀三尊を安置したという。その後、木曽川の決壊などにより本堂は荒廃し、承和元年(834)に弘法大師空海が当地へ巡歴したおり、真言の道場として再興した。本堂の裏手には、如意宝珠を埋納したという。空海が奈良県の室生寺と山形県の恩徳寺とともに三ヶ所に如意宝珠を埋納されていることは広く知られている。年は移り、天暦年中(947〜956)には火災、永祚元年(989)の風難で、また伽藍は破滅したと伝えられている。常円上人は建長6年(1254)に本堂、鎮守堂等を建立した。その後は名僧の努力によって、寺は繁栄し尾張国真言宗の本山と称し、53以上の末寺を持つほどになった。豊臣秀吉以来53石の寺領持っていた。従って、多数の仏画、典籍類が所蔵されており由緒深き古刹である。

アプローチ。クリスマスイブの早朝、JR大阪駅始発の普通電車に乗る。駅に人はほとんどいない。滋賀県北部から関ヶ原にかけて積雪が見られる。JR稲沢駅からスタート。

                 

萬徳寺の現地説明板と山門

         

御嶽山大峰山お参り安全祈願の塚山

              

重文 多宝塔 室町

裳階は三間、面取角柱とし、斗きょうは裳階出組、支輪つきで、上層は和様の四手先斗きょうとし、上層高欄腰組に禅宗様の平三斗を用いる。これらの手法は性海寺多宝塔と近似点が多いが、裳階の軸部では性海寺の塔が四面とも中央間を戸口として幣軸をめぐらし、板唐戸をつり、脇の間に連子窓を設け、腰長押を通しているのに対し、萬徳寺では連子窓や腰長押がなく、戸口も正背面にあるのみで、側面は板壁になっている。また、斗きょう間の中備である蟇股もなく簡素な建物である。しかし、頭貫や木鼻、渦を用いない実肘木の絵様など類似点が色々あって、この塔は性海寺の塔を参考にして作っていることを思わしめる。

全景

            

細部

                         

重文 鎮守堂 室町

一間社流造、桧皮葺、桁行1.8m、梁間1.5mの小社である。社殿の建立は棟札によって享禄3年であることが知られる。石垣で囲った土壇上に立ち、主屋を前後に二分して前半を開放にし、後半との境に三口の戸口を設けている。壁は横板を柱に溝をつくり落とし込んだもので、漆喰を塗る。背面では正面の三扉に応じて三分割され、境に細い竪木を入れる。三方に縁を廻らし、後端に脇障子を立て、正面に木階七級、前に浜縁を設ける。屋根は桧皮二重軒付、棟に箱棟をのせる。

                  

その他境内

                   

ASAHIネット尾張三十三観音巡礼の旅
稲沢市HP





Dec. 2011 酒井英樹

撮影:2011年9月

<鎮守堂>
    

<多宝塔>
      

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