愛知県稲沢市 尾張大国霊神社
Owariokunitamajinja,Inazawai city,Aichi
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稲沢市国府宮1-1-1 尾張大国霊神社拝殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 江戸前期 桁行五間、梁間三間、一重、切妻造、妻入、檜皮葺 棟札3枚、重修拝殿記1冊 19550622
稲沢市国府宮1-1-1 尾張大国霊神社楼門 重文 近世以前/神社 江戸前期 "室町後期(1階)正保3(1646)(2階)" 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 棟札3枚 19550622
August 7,2022 大野木康夫 source movie
早朝の訪問
楼門(重要文化財)
部分撮影
手水
蕃塀
拝殿(重要文化財)
部分撮影
祭文殿、廻廊、本殿
所在地 愛知県稲沢市国府宮1-1-1
尾張大国霊神社は通称国府宮、名鉄国府宮駅のすぐ東に鎮座しています。
社殿はいわゆる尾張造で、楼門、蕃塀、拝殿、廻廊、祭文殿、渡殿、本殿と並んでいます。
西側の大鳥居
楼門(重要文化財)
1階は室町後期、2階は正保3(1646)年の建築
三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺
蕃塀
拝殿(重要文化財)
江戸前期の建築
桁行五間、梁間三間、一重、切妻造、妻入、檜皮葺
A camera
B camera
愛知県稲沢市国府宮1−1−1
撮影日: 2011年12月24日
御祭神
尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)
この尾張地方の國霊神であり、尾張人の祖先がこの地に移住開拓し、その日その日を生きていく糧を生み出す根源である国土の偉大なる霊力を神として敬い、尾張大國霊神としてお祀りしたのである。
由緒
尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く信仰されている。当社は奈良時代、国衙に隣接して御鎮座していたことから尾張国の総社と定められ、国司自らが祭祀を執り行う神社であった。このことから通称「国府宮」として広く知られている。
本殿は流造、拝殿は切妻造、全体の様式(建物の配置)は尾張式といわれるもので、本殿・渡殿・祭文殿・東西の廻廊・拝殿・楼門と建ち並んでいる。本殿に接する形で磐境と呼ばれる5個の大きな自然石が円形に立ち並んでいる。これは、今日のように社殿を建てて神様をお祀りする以前の最も古い原始的な祭場で、当社がこの地に古くより創始されていたことを物語っている
パンフレットと現地説明板
参道と楼門を割るように東西の幹線道路が走る。その道路を東から近づく。境内東南部に末社が鎮座する。
楼門周辺と南に伸びる参道、赤い実がたわわな木
重文 楼門 室町後期(下層)江戸前期(上層)
三間一戸楼門、入母屋造桧皮葺。正面三間側面二間とし、上層縁の腰組斗きょうと三手先、上層斗きょうを尾垂木、支輪、小天井つきの三手先斗きょうにするのは、楼門の最も普遍的な形式であるこの楼門は、年代をおさえる特色ある材料に乏しく、頭貫の木鼻しかないが、応永26年(1419)の造営に擬してよさそうである。上層は正保3年(1646)に改造されているが、柱盤をすえて円柱を立て、内法貫、頭貫を通し、頭貫端木鼻を出す。正背面中央間には両脇に板小壁を入れて幣軸をめぐらし板扉を両開きにする。
表側
裏側
拝殿の方へ進む。
重文 拝殿 江戸前期
桁行五間、梁間三間(実長四間)、切妻造、桧皮葺、妻入の建物で、柱は総円柱、床は拭板敷、全開放とする。中央二間が身舎、両脇各一間が庇となり、庇は化粧屋根裏とされ、身舎にのみ天井を張る。一般に桃山江戸初期には派手な意匠が愛好されたが、この拝殿は簡素な伝統的な和様の手法をよく守っている。
正面
向かって右側(東面)
拝殿から、東西の廻廊・祭文殿・渡殿・本殿と続く。
拝殿の左側(西面)
原始的な祭場という磐境が少し見える。
社務所や手入れのよい植木を見ながら西へと帰る。
参考資料
尾張大國霊神社HP
稲沢市HP
Dec. 2011 酒井英樹
撮影:2011年9月
<楼門>
<楼門蟇股彫刻>
<楼門彫刻>
<拝殿>
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