愛知県春日井市 内々神社
(Utsutsujinja Shrine, Kasugai City, Aichi Pref.)
Category |
Rating 凡例 |
Comment |
General |
荘厳な庭園、社殿の彫刻、神秘的な岩石群 | |
Nature |
||
Water | ||
Flower | ||
Culture | ||
Facility |
|
|
Food |
August 11, 2019 野崎順次 source movie
愛知県春日井市内津町24
内々神社は、「延喜式神名帳」にも記載されている由緒ある神社です。日本武尊の伝説と深い関係があります。主祭神は尾張氏の祖建稲種命(たけいなだねのみこと)であり、これに日本武尊、宮簀姫命(みやずひめのみこと)を配しています。
昔から武将の尊崇が厚く、豊臣秀吉の朝鮮役にも戦勝を祈願して、この社頭から軍船用の帆柱を伐り出したといわれています。また、篠木荘33ヶ村の総鎮守でもありました。神社と密接な関係にある妙見寺は、室町時代初期に天台宗密蔵院開山慈妙上人によって開創されました。
権現造りの社殿は、江戸末期・名工立川一族により造られ、廻遊式林泉型の庭園は、夢窓国師作といわれています。
(春日井市ホームページより)
パンフレットと現地説明板
下街道内津の町並み
内々神社の赤鳥居と御神木
県文 社殿(拝殿、幣殿、本殿)
現在の社殿は棟札によって、本殿・幣殿が文化7年(1810)、拝殿が同10年(1813)の再建であることが知られる。大工は信州諏訪の立川富棟・富之・富方を招いて造営に当たらせている。
拝殿は桁行3間、梁間3間、入母屋造、銅板葺(もと檜皮葺)で、正面に千鳥破風(ちどりはふ)と1間の唐破風(からはふ)向拝を付ける。この向拝には象や獅子、鳳凰、波に亀、龍などの立体的な彫刻を多用して豪華に飾り、見せ所としている。特に向拝と身舎を繋ぐ昇り龍・降り龍の彫刻は見ごたえがある。主屋の柱は円柱で、四周に縁を設け、室内を前方の奥行2間と後方の奥行1間に二分し、手前の室を格天井、奥の室を鏡天井とする。
(岩田敏也、文化財ナビ愛知より)
幣殿は桁行2間、梁間1間、切妻造、銅板葺(もと檜皮葺)で、前方は拝殿の背面中央に、後方は本殿の庇に取り付く。
本殿は身舎の梁行を2間とする大型の三間社流造で、現在の屋根は銅板葺とされているが、もとは檜皮葺であった。四周に縁を設け、縁の腰組を支える組物に手先が三つ前へ出る三手先斗(みてさきときょう)を用いる。身舎の柱は円柱、正面庇の柱は几帳面取(きちょうめんとり)角柱とし、本殿庇にも象・獅子・植物の彫刻を用いて飾る。身舎柱上には二手先斗を置き、斗間には雲・波の彫刻を嵌め込み、斜め前方へ出る尾垂木も波形の彫刻(隅では龍頭の彫刻)としている。側面の妻飾(つまかざり)には二重の虹梁を渡し、この間に鶴亀と仙人や力士の彫刻を置き、周りには雲の彫刻を充たしている。
この社殿の建立に携わった信州立川流の大工は、彫り物を多用した作風によって近世中期以降次第に名声を広めていき、山梨・静岡・岐阜・滋賀・京都などにも作品を残している。内々神社の社殿は、装飾豊かで立体的な丸彫りや浮彫りの彫刻を数多く用い、立川流の作風がよく表現されており、一連の立川流の作品の中でも質の高いものであるといえる。
(岩田敏也、文化財ナビ愛知より)
県名勝 内々神社庭園 江戸時代初期 池泉鑑賞式
今本庭を一覧すると、神社本殿の裏にこの池庭がある。したがって現在の本殿の裏部に池庭のあることは、実際には鑑賞の対照とならない訳である。なぜなら本殿は神座であるから、社殿からは絶対に観賞ができない。
したがって、本殿の裏部に回って、初めて本庭が鑑賞できる訳であるが、そうした点から一考すると、実は当社は裏山の磐座が神であり、諏訪大社や、大神大社のようにお山が神であって、本殿がなく、拝殿のみが、今の本殿のところにあったのではないかと考えられる。したがって、本庭は拝殿からこの庭園を通して裏山を拝していたのかと考えられる。もとよりそれは上古の制であるから、この湧泉部を利用して、江戸初期あたりに池庭としたのであろう。
この池庭は一説に夢窓国師の作庭などといわれているが、そのように古い池庭でもなく、かつまた、そのような池庭様式のものではない。むしろ江戸初期の天和貞亮を前後する池庭様式をもっているのみでなく、池畔の護岸石組や、山畔の滝石組、または山畔の多数の石組が見られるが、いずれも江戸初期天和貞亮前後の手法である。
池中に亀島と思われる大島があり、橋が架けてあるが、池庭形式が、円形に近く、大きな亀島を設けることはこの頃の典型様式であり、石組もその頃のものとしての手法を見せている。池水が清らかで石組と共に美しい。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」内内神社庭園より)
亀島の上から周囲を見る。
庭園を見下ろす。
庭園背後の岩壁、天狗岩。神仏が来臨して一時姿を現す影向石である。
磐座らしき巨石群
その他境内
すべらずの松、サルスベリの木に松が芽吹いた共生木
内津妙見寺、慶応四年(1968)の神仏分離令により、内津神社から別れた。護摩堂を本堂とする
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中