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愛知県江南市 曼荼羅寺
Mandaraji,Konan city,Aichi


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江南市前飛保町寺町202 曼荼羅寺書院 重文 近世以前/住宅 江戸中期 "寛文3-延宝2(1663-1674)" 桁行12.4m、梁間11.4m、一重、寄棟造、銅板葺 19620621
江南市前飛保町寺町202 曼荼羅寺正堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永9(1632) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、軒唐破風付、檜皮葺 棟札1枚 19570618


June 21,2014 大野木康夫 source movie

曼荼羅寺は江南市西部の飛保地区にあります。

参道

     

地蔵堂

縁の下は猫の住処になっています。

   

正堂(重要文化財)

寛永9(1632)年の建築
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、軒唐破風付、檜皮葺

                                 

書院(重要文化財)

江戸中期の建築
桁行12.4m、梁間11.4m、一重、寄棟造、銅板葺

                    

 

 


June 2011 柚原君子

「飛保 曼陀羅寺」
浄土宗西山派。「日輪山 偏照光院 曼陀羅寺」
本尊は阿弥陀三尊。隣接する公園は藤の名所。
所在地 愛知県江南市前飛保寺町(コウナンシマエヒボテラマチ)202
交通 名鉄犬山線「江南」駅より「江南団地」行きバス15分。下車2分。

重要文化財
正堂 寛永9年(1632年)建立。入母屋造檜皮葺き
書院 江戸時代前期建立。寄棟造、銅板葺き。
絹本著色浄土五祖像、5幅
銅鐘 朝鮮高麗時代

バスから降りて曼陀羅寺に入ると、地元のおばあちゃんが2人山門の下、腰掛けて談笑中。楠の大木の下には自転車が二台。自転車でお参りに来られた後に談笑中だったのでしょうか。そのほかに猫が一匹。境内を横切る地元のおばさん1人、お参りで正堂に上がりこまれたお母さんと娘さん一組。カメラをぶら下げて写真を撮っているおじさん。境内にはいるのはこれだけ。8箇院を従えて、また見事な藤棚が続く公園が隣接する曼陀羅寺でしたが、ひっそりとしていました。案内所も特になく、下準備が十分でなかったことが反省されました。正堂の屋根の形がとっても柔らかく、観ていて和みましたが、
あれこれ撮り残しが多く、次回もう一度、と思います。
以下は、江南市のHPです。

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日輪山曼陀羅寺は西山浄土宗に属する寺院で、通称「飛保の曼陀羅寺」と呼ばれています。西山浄土宗の古刹で尾北地方における最も格式の高い霊場です。寺域は1,300坪、檜皮葺の正堂を中心に庫裏、大書院、小書院、曼陀羅堂、地蔵堂、鐘楼、宝蔵、続いて中門、南門(矢来門)が甍を連ねています。山内にはさらに塔頭の8か寺があり、尾張徳川藩より寺領231石余りを給地されていた名残りをとどめています。開山天真乗運上人は藤原師継の八男で、後醍醐天皇の母の檀天門院の弟にあたり、徳望学識が高かった。後醍醐天皇は深く帰依せられ、寺院を建立し商業の隆盛を祈り、戦死した勤王の士の冥福を修し、北条氏を祈祷するよう詔勅を賜りました。そこで藤原師継の所領である村久野庄に地を求め、正堂を紫宸殿に、中門を擬して多くの伽藍を創建し、元徳元年(1329)に竣工しました。その後、寛永9年(1632)に阿波国守蜂須賀家政は、幼いときに本寺塔頭本誓院で学んだ縁により正堂を再建寄進しました。曼陀羅寺は昭和45年に寺域の一部を提供し、市の管理のもとに曼陀羅寺公園として整備されて観光の寺として有名になってきました。この公園は境内約43,000㎡(13,000坪)の内約10,000㎡を公園としたもので、その中には宝蔵、八幡社、平和塔、児童公園、稲荷社、放生池、さらに休憩所の藤華庵などがあります。また市は、隣接地約3,000㎡を購入して屋外ステージを整備し、昭和60年、現在の曼陀羅寺公園(13,000㎡)が完成しました。園内には12種類約60本の藤が植えられて「曼陀羅寺の藤」として大変有名となっています。公園内で咲き乱れる藤の花は見事で、毎年4月下旬から5月上旬まで「藤まつり」が行われ、近隣はもとより県外からも訪れる観光客が多くなっています。

1、曼荼羅寺全景

                           

2、曼荼羅寺地蔵堂

   

3、曼荼羅寺正堂
                                     

4、鐘楼
     

5、曼荼羅堂
    


「曼荼羅寺 書院」
甘い下準備で行ったので書院を見る(塀の外からでも写真に収める)ことができませんでした。写真は正堂の裏にある布教師研修所ですが、その横にみえる屋根と白壁が書院では?と思います。
以下は江南市市役所HPからです。
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曼陀羅寺の書院は、正堂の裏手に続く建物で、付書院のある客間です。間口は12.4メートル、奥行きは11.4メートル、寄棟造の銅版葺きの建物です。寺伝によれば文禄元年(1592)の建立といいます。様式は室町風の建築で、柱の稜は大きく面がとってあり、欄間は大きく広く、明障子もはめられ、天井は高くできています。昭和41年解体修理が行われました。四方に入側がつき、内部は四つの部屋に仕切られています。最初の部屋は鷹の間、次は鶴の間、一番奥の部屋は最も上席で、上欄の間といいます。床がつき付書院(縁側へ張り出し、前に明障子を立て机を作りつけた形)になっています。この外に控えの間があります。この書院は江戸時代には、常に巡見使の接待に使われました。巡見使は将軍の命により、代がわりごとに遣わされ、諸藩の政治や民情を視察した一行です。この地方では朝、犬山を出発し、この書院で休息をし食事をとり、更に一宮を経て、宿泊地の萩原へ向かいました。また、この書院は慶長5年の関ヶ原の戦のおり、徳川方の將、池田輝政らが、戦会議を開いた所です。その後、輝政らは河田の渡しを越して岐阜城を攻めました。
 


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