愛知県犬山市 博物館明治村
Museum Meijimura Inuyama city,Aichi
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犬山市内山1 旧伊勢郵便局舎 重文 近代/官公庁舎 明治 明治42(1909) 木造、建築面積601.9㎡、銅板葺 19990513
犬山市内山1 旧呉服座 重文 近代/文化施設 明治 明治25(1892) 桁行25.7m、梁間14.3m、一部二階、切妻造、妻入、正面及び側面庇付、杉皮葺、木戸廻り側面及び舞台廻り側面突出部附属 幣串1本 19841228
犬山市内山1 旧札幌電話交換局舎 重文 近代/官公庁舎 明治 明治31(1898) 石造、建築面積131.7㎡、二階建、桟瓦葺 19680425
犬山市内山1 旧三重県庁舎 重文 近代/官公庁舎 明治 明治12(1879) 木造、建築面積883.3㎡、二階建、桟瓦葺 旧小屋束1個、建築関係図面11枚 19680425
犬山市内山1 旧山梨県東山梨郡役所 重文 近代/官公庁舎 明治 明治18(1885) 木造、建築面積286.4㎡、二階建、両翼一階建、桟瓦葺 棟札1枚 19660611
犬山市内山1 旧菅島燈台附属官舎 主屋 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治6(1873) 煉瓦造、建築面積119.3㎡、一階建、桟瓦葺 日時計、菅島燈臺地圖1枚 19680425
犬山市内山1 旧菅島燈台附属官舎 倉庫 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治6(1873) 煉瓦造、建築面積11.4㎡、一階建、桟瓦葺 19680425
犬山市内山1 旧西郷従道住宅(旧所在 東京都目黒区上目黒) 重文 近代/住居 明治 明治10代(1878-1886) 木造、建築面積253.2㎡、二階建、銅板葺 19650529
犬山市内山1 旧東松家住宅(旧所在 愛知県名古屋市中村区舟入町) 重文 近代/住居 明治 明治34(1901) 桁行7.8m、梁間15.0m、三階建、切妻造、背面寄棟屋根突出、桟瓦葺、南面庇付、桟瓦葺、北面庇付、銅板葺、東北面風呂場及び便所附属 棟札1枚 19740205
犬山市内山1 旧日本聖公会京都聖約翰教会堂 重文 近代/宗教 明治 明治40(1907) 煉瓦及び木造、建築面積206.7㎡、二階建、銅板葺 建築関係資料 19650529
犬山市内山1 旧品川燈台 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治3(1870) 煉瓦造(現在鉄筋コンクリート造)、円形灯台 19680425
犬山市内山1明治村 旧西園寺家興津別邸(坐漁荘) 主屋 重文 近代/住居 大正 大正8(1919) 木造、建築面積219.13㎡、一部二階建、桟瓦葺 "棟札2枚:大正八年二月、大正九年五月 御幣軸1本:昭和四年 塀4棟 警衛詰所北方 木造、延長10.9m、桟瓦葺 伴待南方 木造、延長8.1m、桟瓦葺 伴待北方 木造、延長3.2m、桟瓦葺 伴待東方 木造、総延長9.2m、桟瓦葺" 20170223
犬山市内山1明治村 旧西園寺家興津別邸(坐漁荘) 警衛詰所 重文 近代/住居 大正 大正9(1920) 木造、建築面積27.02㎡、桟瓦葺 20170223
犬山市内山1明治村 旧西園寺家興津別邸(坐漁荘) 伴待及び門 重文 近代/住居 大正 大正9(1920) 伴待 木造、建築面積3.14㎡、桟瓦葺 門 一間腕木門、桟瓦葺及び銅板葺 20170223
Jul.7, 2016 川村由幸
旧三重県庁舎
愛知県犬山市
撮影:2012年11月
木造、建築面積883㎡、二階建、桟瓦葺、正面中央玄関ポーチ付
明治時代[明治12年(1879)]
三重県庁は明治9年(1876)新築で計画され、明治12年(1879)に完成した。設計管理は清水義八で施工は名古屋の棟梁たちが協同でおこなった。庁舎は昭和39年(1964)に新庁舎が完成するまで使用され、昭和41年(1966)現在地の明治村に寄贈移築された。
木造二階建、寄棟造で中央に吹き抜けのポーチ、バルコニー、玄関が突出し、両翼を左右対称に張り出すE字型の平面を持つ。玄関は2階建の入母屋造、妻飾りは漆喰仕上げで中央に菊花文を配している。
明治村に移築の際、建設当初の形状に復元されたが、渡り廊下等附属部分は撤去されている。また二階会議所付近の天井や暖炉は明治20年(1887)の改築時の姿を残している。
この建物の立面意匠は明治政府が内務省庁舎に採用した様式にならっており、現存する明治初期の県庁舎として唯一の遺構として貴重なことから、昭和43年(1968)に重要文化財に指定されている。
June 18,2014 大野木康夫 source movie
所在地 愛知県犬山市内山1
博物館明治村は明治を中心とした近代の建築物を全国から移転、保存した博物施設です。
愛知県犬山市東部、入鹿池の畔に位置しています。
個人駐車場に近い北口から入場し、徒歩で南下することにしました。
5丁目
旧帝国ホテル中央玄関(登録有形文化財)
大正12(1923)年の建築、昭和60年移築
鉄骨鉄筋コンクリート造3階建、一部銅板葺、建築面積911㎡
F.L.ライト設計。
車寄,ホワイエと両側のラウンジ,ロビーを保存。
水平性の強調,床高の微妙な変化や,彫刻した大谷石,スクラッチ煉瓦,透かしテラコッタによる幾何学装飾など,ライトの設計手法を良く表す。
移築時に主構造をSRC造と鉄骨造に改めた。
(国指定文化財等データベースより)
宮津裁判所法廷(登録有形文化財)
明治19(1886)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積211㎡
木造平屋建,入母屋造,桟瓦葺で,吹き放ちの庇が巡る。
軒下にガラス入高窓を開く。
外壁は隅柱を見せた漆喰塗で腰は竪羽目板張。
裁判官席は一段高く設ける。
和風の意匠を基に,切石基礎や法廷入口アーチ等,洋風を加味している。
H形平面の片翼の一部を移築。
(国指定文化財等データベースより)
高田小熊写真館(登録有形文化財)
明治41(1908)年の建築
木造2階建、鉄板葺、建築面積70㎡
木造2階建,切妻造,鉄板葺屋根の北面に大きくガラス屋根を設けるのは,スタジオの採光である。
外壁は柱形を見せる下見板張で,簡素な上げ下げ窓を開く。
玄関部分は大正期の増築で,ショウウィンドウの腰を石貼とし,幾何学意匠のパラペット飾りを冠する。
(国指定文化財等データベースより)
菊の世酒蔵(登録有形文化財)
明治28(1895)年の建築
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積654㎡
桁行18間,梁行9間の土蔵造2階建。
切妻造,桟瓦葺で片側に庇がつく。
外壁は押縁下見板で保護し,小庇付の窓を多数開く。
小屋組は梁行を3等分して柱を立てて鳥居形に組み,両側から登り梁を渡して和小屋とする。
移築時,北半にRC造展示室を組み込んだ。
(国指定文化財等データベースより)
名鉄岩倉変電所
明治45(1912)年の建築
鉄筋コンクリート造平屋建、スレート葺、建築面積151㎡
当初は煉瓦造の平屋建。
天然スレート葺切妻屋根に両妻壁を立ち上げる。
四隅にバットレスをもち,開口部は大きめの要石を飾る半円アーチで,欄間を方立で三分割する。
小屋組は木造クイーンポストトラス。
移築時に主構造をRC造に改め,煉瓦タイル貼とした。
(国指定文化財等データベースより)
内閣文庫(登録有形文化財)
明治44(1911)年の建築
鉄筋コンクリート造2階建、スレート葺、建築面積292㎡
二階建の文庫本館で,ドリス式の大オーダーを飾った主屋から両翼を突出する。
屋根はスレート葺で,棟上にドーム形ランタンを掲げる。
外壁は1階をモルタル塗目地切,2階をタイル貼とする。
縦長の窓は両開ガラス窓である。
設計は大蔵省臨時建築部の大熊喜邦。
(国指定文化財等データベースより)
川崎銀行本店(登録有形文化財)
昭和2(1927)年の建築
鉄筋コンクリート造3階建、建築面積89㎡
RC造3階建銀行建築の正面左角部を部分保存。
設計は矢部又吉。
1階は花崗岩切石整層積で基壇に扱い,2階と3階を通してコリント式角柱を付ける。
出入口はドリス式円柱がエンタブレチュアを支え,行章入のメダイオンを飾る。
近代都市建築の外観意匠を示す。
大明寺聖パウロ教会堂(登録有形文化財)
明治12(1879)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積172㎡
木造平屋建,入母屋造,桟瓦葺。
正面に切妻の玄関廊をつけ,鐘楼を載せる。
外観は真壁造の和風意匠であるが,内部は三廊式のゴシック様式を実現している。
身廊は木製束ね柱と漆喰塗の四分ヴォールトで飾り,側廊には竿縁天井を曲面に張る。
大工は大渡伊勢吉。
(国指定文化財等データベースより)
隅田川新大橋(登録有形文化財)
明治45(1912)年の建築
鉄製トラス橋、橋長23m、幅員19m
鉄骨造プラットピントラス橋。
3径間173mのうち,浜町側トラスの4/10に当たる23mを移設。
全幅19m,両側トラス間12mで,歩道を片持ちとする。
路面はアスファルトブロック敷。
歩道鉄製高欄のアールヌーヴォー意匠が軽快。
設計は東京市土木課。
旧国鉄160形蒸気機関車(名古屋鉄道12号機関車)
金沢監獄中央看守所(登録有形文化財)
明治40(1907)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積165㎡、塔屋付
八角平面の木造平屋建。
5方向の渡り廊下が監房棟に続いていた。
桟瓦葺の屋根中央に方形の見張塔を載せ,四面に屋根窓を開き,方杖で軒を受ける。
基礎は切石で,外壁は柱形付の洋風下見板張で,腰壁と軒下小壁を竪羽目板張とし,欄間付の上げ下げ窓を開く。
(国指定文化財堂データベースより)
東京駅警備巡査派出所(登録有形文化財)
大正3(1914)年頃の建築
鉄筋コンクリート造平屋建、銅板葺、建築面積45㎡
RC造化粧煉瓦張で腰部に白帯が巡る,いわゆる辰野式の交番。
隅切の八角平面で,銅板葺の宝形屋根に換気用ランタンを置く。
入口の半円形ペディメントはコンソールを放射状に配す。
出入口庇は鋳鉄の持送りで,欄間付き上げ下げ窓の小庇はコンソールで受ける。
前橋監獄雑居坊(登録有形文化財)
明治21(1888)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積149㎡
木造平屋建の監房。
切妻造に越屋根を載せ,桟瓦葺とする。
移築時に約半分に切り縮め,中廊下の両側に9房と洗い場を配す。
外周と廊下側は栗材の太い格子で,間仕切のみ厚板の壁とする。
小屋組は越屋根を取込んだ洋風小屋組。
当時の収監施設の実際を伝える。
(国指定文化財等データベースより)
村内バス
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聖ザビエル天主堂(登録有形文化財)
明治23(1890)年の建築
鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺、建築面積575㎡
もと外周壁を煉瓦造とする木造会堂。
平面は三廊式で,身廊壁面を三層構成とするゴシック様式。
木製の束ね柱やトリフォリウム,リブ・ヴォールトと,漆喰塗内壁の対比が美しい。
外壁にはバットレスを付け,薔薇窓,尖頭アーチ形の開口,小尖塔などで飾る。
(国指定文化財等データベースより)
4丁目
旧呉服座(重要文化財)
明治25(1892)年の建築
桁行25.7m、梁間14.3m、一部二階、切妻造、妻入、正面及び側面庇付、杉皮葺、木戸廻り側面及び舞台廻り側面突出部附属
旧呉服座は舞台、花道、平場、桟敷、楽屋などよりなる木造二階建の芝居小屋で、昭和四十六年に大阪府池田市より明治村に移築され、旧規の姿に復原されたものである。
この建物は現存する劇場建築の中では建立年代の古いもので、規模も大きく、江戸時代以来の芝居小屋の伝統を各部にとどめていて、我が国劇場建築の推移を知る上で貴重な遺構である。
(国指定文化財等データベースより)
本郷喜之床(登録有形文化財)
明治後期の建築
木造2階建、瓦葺、建築面積47㎡
石川啄木ゆかりの新井理髪店。
木造2階建,桟瓦葺,平入,間口3間の町家である。
入口は両開ガラス戸で,両側に引違ガラス窓が続く。
1階の前半は店で洋風の板天井とし,背後に和室3室を食違いに配す。
2階は6畳2室で,正面には手摺付の肘掛窓を設ける。
(国指定文化財等データベースより)
小泉八雲避暑の家(登録有形文化財)
明治初期の建築
木造2階建、瓦葺、建築面積68㎡
木造2階建,桟瓦葺,平入,間口3間の町家で,呉服雑貨商として建築。
1階は入口が引違戸,店の前がはめ外し板戸と格子窓,2階は手摺付の肘掛窓である。
通り土間に沿って3室が並び,2階は表に10畳と4畳,裏に12畳座敷を配す。
地方都市商家の一例。
(国指定文化財等データベースより)
旧伊勢郵便局舎(重要文化財)
明治42(1909)年の建築
木造、建築面積601.9㎡、銅板葺
旧伊勢郵便局舎は,明治41年11月25日起工,翌年5月14日の竣工である。
設計は逓信技手白石圓治,工事監督は逓信技手石渡喜三郎で,施工は地元の岡田斎次郎である。
もと伊勢神宮外宮の大鳥居前に建っていたが,昭和42年11月に新局舎への業務移転にともない,博物館明治村に移築された。
円形状の中央棟とその両脇にV字型に連なる東西翼屋からなる特徴ある平面形式や独特で斬新な洋風意匠は,当時の郵便局建築の様子をよく示しており,我が国の建築史上高い価値が認められる。
また,明治時代の本格的な木造郵便局舎で現存する唯一の事例として貴重である。
(国指定文化財等データベースより)
工部省品川硝子製造所(登録有形文化財)
明治10(1877)年頃の建築
煉瓦造平屋建、瓦葺、建築面積123㎡
煉瓦造,一部中2階付き。
木造キングポストトラス小屋組による切妻屋根に,換気用の越屋根を載せる。
外壁はイギリス積で軒蛇腹が巡る。
開口部は半円アーチのファンライト付と,まぐさ石形式の2種を用い,石材がアクセントとなる。
明治初期官営工場の遺構。
(国指定文化財等データベースより)
鉄道寮新橋工場(登録有形文化財)
明治5(1872)年頃の建築
鉄造平屋建、銅板葺、建築面積948㎡
鉄造平屋建。
並列二棟の切妻屋根は鉄造キングポストトラス小屋組で支持する。
外壁は下見板風鉄板張で,鉄サッシュの窓を開き,出入口に持送りで庇をつける。
鉄製部材は輸入材で,トスカナ式鋳鉄柱にリヴァプールHAMILTON’S WINDSOR IRONWORKS社の銘がある。
(国指定文化財等データベースより)
リング精紡機(重要文化財)
明治26(1893)年の製造(イギリス製)
幕末の開港後、英国からの良質で安価な綿糸(中国綿、後にインド綿)の輸入の増大に伴って、輸入機械による工場建設が始まった。
その嚆矢は薩摩藩による鹿児島紡績所(慶応3年<1867>)で、明治維新後も政府の奨励策によって明治18年(1885)までに20か所ほどの小紡績所が開業した。
しかし大部分は未熟な技術や設備投資等によって経営不振であった。
その間、明治15年(1882)に渋沢栄一の主唱により、華族・政商・綿関係商を株主に大阪紡績会社が設立され、翌年7月、ミュール精紡機16台・10,500錘を輸入・設置し、大規模生産・蒸気原動力と昼夜二交代制によって高配当を行い成功した。
一方、本機の伝来した三重紡績所は大阪紡績会社と同じ明治15年に三重県三重郡川島村に伊藤伝七によって開業されたが、当初は困難な経営を強いられた。
しかし同19年(1886)に渋沢の援助をうけ株式会社として再出発し、同21年には四日市町に新工場を建設した。
このとき渋沢は大阪紡績会社の成功を範とするように指導し、英国での視察・研修を終えた技師斎藤恒三の決断によって最新式のリング機10台・3440錘を英国のプラット社から輸入した。
その後、三重紡績は大阪紡績とともにわが国を代表する紡績会社へと成長し、大正3年(1914)、両社は合併し、東洋紡績が誕生した。
本機は、三重紡績が四日市工場を拡充しつつあった1893年4月にプラット社が発注を受けていたことが同社の「外国向け機械受注及び出荷簿」によって判明し、このことは本機の銘板によっても確認される。
リング精紡機とは、紡績工程のうち前工程(開綿・打綿・梳綿・練条・粗綿)で作った粗糸から所要の糸を紡出する紡績の最終工程に使用される紡績機械のことであり、糸の品質を決める最も重要なものである。
プラット社製のリング精紡機は、当時世界の精紡機中、最も優秀なもので、後の豊田自動織機の範となった。
本機は三重紡績に輸入されてから、まさに紡績産業の歩みとともに永年にわたって稼働し、製造年次および伝来の経緯が明らかな最古の機械として綿糸の生産を続けた。そして昭和43年(1968)に博物館明治村に寄贈され、今日に至っている。
長期にわたって使用されてきたため、可動部分には修理・交換等が行われているが、明治・大正・昭和の三代にわたって稼働し、伝来経緯の明らかな紡績機械の一つとしてわが国近代の産業技術発達史上等に貴重である。
(国指定文化財等データベースより)
平削盤(/明治十二年、工部省赤羽分局製)(重要文化財)
明治12(1879)年の製造
平削盤(Planing Machine)は、加工対象となる工作物を往復するテーブル上に固定し、垂直および水平方向に送り機構を持つ刃物ユニットに取り付けた刃物(バイト)によって平面切削する工作機械である。
本機は、明治十二年(一八七九)に、工部省赤羽工作分局【こうぶしょうあかばねこうさくぶんきょく】で製造されたことが、ベッドに鋳込まれた陽刻銘【ようこくめい】によって知られ、トップビームに三箇の菊花紋章【きっかもんしょう】がついている。
平削盤は、一九世紀初頭に欧米で考案された工作機械である。
全ての工作機械の精度は平面の精度に依存しているため、より大きく精度の高い工作物の加工を可能にしたこの機械の登場は機械工業の発展の画期となった。
これにより自動織機や鉄鋼船の鉄板、蒸気機関の加工等が容易となった。
わが国への導入は、安政四年(一八五七)の長崎製鉄所建設に伴ってオランダから輸入されたものが初見である。
明治維新後、工業化を急務とした明治政府は、明治三年(一八七〇)、工部省を設立した。
本機銘板にある工部省赤羽工作分局は、明治四年十二月に東京赤羽(現在の東京都港区)の旧久留米藩邸跡に佐賀藩が献納した機械類を利用する工部省管下の製鉄寮として発足した。
数次の制度的変遷を経て、明治十年に赤羽工作分局と改称され、このころには工場としての設備も整い、官民の需要に応じて機械を製造した。
そのような中で、明治十二年、岩手県は盛岡市の北上川支流中津川に船舶修理所を建設する計画をたて、平削盤、旋盤、ボイラー等の製作を工部省に発注した。
本平削盤は、まさにこのときに製造された国産の工作機械である。
なお船舶修理所は県営工場として発足して、明治十四年には民間工場へと変わったが、本機はその後も稼働し続けた。
さて赤羽工作局は、明治七年から十四年まで、工部大学校【こうぶだいがっこう】教師ダイアー(Henry Dyer)の監督のもと、工部大学校の実習場としてあり、ここからはその後の日本の機械工業を担う指導者たちが育っていった。
また、ここで製造された数百台の機械類は、価格が高く性能面で欧米製のものに及ばなかったものの、その製造過程で得られた知識や経験はその後の日本の機械工業発達の貴重な財産となった。
なお、本機は、明治三十四年、岩手県立実業学校に引き継がれ同校の実習機として使用された後、昭和四十四年(一九六九)、財団法人博物館明治村に寄託され現在に至っている。
このように、本機は、日本の機械工業の黎明期の実状を伝える国産工作機械として、わが国工業発達史上に貴重である。
(国指定文化財等データベースより)
歩兵第六聯隊兵舎(登録有形文化財)
明治6(1873)年の建築
木造2階建、瓦葺、建築面積389㎡
木造2階建,寄棟造。
当初は桁行50mを超える建物で,移築時に3分の2に縮めた。
外壁は白漆喰塗の大壁に胴蛇腹を巡らせ,やや幅広の上げ下げ窓を開く。
入口はポーチの起り屋根をトスカナ式円柱が支え,櫛形欄間付の唐戸を開く。
鎮台時代兵舎建築の遺存例。
(国指定文化財等データベースより)
旧名古屋衛戍病院(愛知県指定文化財)
明治11(1878)年の建築
名古屋鎮台の付属病院として設立された。
鎮台が設置された明治6年(1873)に開設されたが、当初は仮設的な施設で始まっており、明治9年(1876)、本建築のための設計がなされ、秋から起工、明治11年(1878)一般病棟が竣工、医療業務が開始された。
開設当時は名古屋鎮台病院と呼ばれたが、明治21年(1888)名古屋衛戍病院と改称された。
その後、長く陸軍の病院として使われたが、第二次世界大戦後、一時的なアメリカ軍による接収の後、昭和21年(1946)から国立名古屋病院として昭和30年(1955)まで使われ、役目を終え、昭和37年(1962)、残されていた建物が明治村に譲渡された。
建物の設計は日本陸軍工兵第三方面(隊)で行われたが、それ以前に陸軍軍医部によって定められていた「鎮台病院一般の解」を参考に設計され、設計段階においても、また、施工の時にも、軍医部やフランス軍事顧問団などから助言があったようである。
創建当初の鎮台病院の建物は、管理棟を敷地の南辺に置き、管理棟北の中庭を囲む渡廊下を設け、そこから東と西に三棟ずつの病棟を並べていた。
その中の管理棟の半分と西側第一列の病棟(外科病棟)が移築復原されている。
復原にあたり、南北が逆転され、管理棟正面玄関が北面している。
管理棟と病棟に共通する仕様は、切石積の基礎、木造大壁造漆喰塗、寄棟桟瓦葺、上げ下げ窓、病室の四周を囲む回廊付き、である。
漆喰壁の下地は名古屋鎮台歩兵第六聯隊兵舎と同様に木摺り斜め打ちで、一部に平瓦が張られて下地となっている。
管理棟正面には、桟瓦葺で緩い起(むくり)破風の玄関が突き出され、玄関の柱はエンタシスのある円柱である。
広い玄関ホール中程から板床に上がり、その高さのまま各室、中庭の回廊へ連絡している。
管理棟内には、医局、薬剤室、理化学研究室などがあった。
背面回廊に面する窓は引き違いである。
病棟は寄棟屋根に換気用の越屋根を載せる。
病棟外部回廊の大半は創建当初吹き放ちの手摺付であったが、後に改造され、ガラス入り引違い戸が建てこまれている。
換気装置は病棟内の天井に畳2枚ほどの広さの回転板戸があり、開けると、越屋根までの煙道が通る仕掛けである。
病室の外壁下部に床上換気口があって、病室内と外部回廊の通気を行うことが出来る。
中庭を囲む渡廊下、各病棟四周の回廊は、全て独立基礎に木柱を立て、木造高床桟瓦葺で、低い手摺が付いている。
調査によれば、創建工事の際、竣工直前まで手摺を付ける計画はなかったが、或る軍医の提案により、全ての回廊と渡廊下に手摺が設置された。
渡廊下の屋根は病棟や管理棟に比べ一段と低い。
(文化財ナビ愛知、元博物館明治村建築部長西尾雅敏氏の詳細解説)
日本赤十字社中央病院病棟(登録有形文化財)
明治23(1890)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積285㎡
木造平屋建,寄棟造,桟瓦葺で,棟に換気塔を置く。
煉瓦造の高い基礎に建ち,廊下を高床に造る。
外壁はドイツ下見で,ハーフティンバー風に柱形をつける。
病室は欄間付の上げ下げ窓に両開鎧戸,廊下は引違ガラス窓で小壁に革紐装飾を施す。
設計は片山東熊。
(国指定文化財等データベースより)
第四高等学校武術道場無声堂主屋(登録有形文化財)
大正6(1917)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積509㎡
木造平屋建,切妻造,桟瓦葺。正面中央に切妻造玄関がつく。
内部は剣道場と柔道場に二分し,両妻の落ち棟に師範台と更衣室,背後に浴室を設ける。
外壁は隅柱付の洋風下見板張,小壁は漆喰塗真壁造,欄間付引違窓を開く。
洋風小屋組で無柱の空間を実現した。
(国指定文化財等データベースより)
3丁目
宗教大学車寄(登録有形文化財)
明治41(1908)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積28㎡
木造平屋建,宝形造,銅板瓦棒葺。元は大学本館車寄で移築時に背面側を正面と同形に仕上げる。
花崗岩製腰壁に各隅3本の角柱が建ち,開口部は要石飾付の3心アーチで,迫元の蛇腹を持送りで受ける。
柱間の壁は下部が横羽目板,蛇腹上は透彫のパネルを飾る。
(国指定文化財等データベースより)
神戸山手西洋人住居(登録有形文化財)
明治20年代(1887-1896)の建築
(主屋)
木造2階建、瓦葺、建築面積73㎡
木造2階建,寄棟造,桟瓦葺。
正面と片側面に折廻したヴェランダを上下階に設け,竪溝付角柱を吹寄せに配す特徴がある。
出入口は櫛形欄間付の両開戸で鎧戸が付く。
内部は上下階とも階段のある中廊下の両側に各1室を配す。
ヴェランダ・コロニアル住宅の好例。
(附属屋)
木造2階建、瓦葺、建築面積36㎡、2階渡廊下付
木造2階建,寄棟造,桟瓦葺。
主屋の背面に僅かに離れて建つ。
外壁は柱形を表した下見板張。
1階は土間と6畳和室,2階は縁の付く10畳座敷と3畳室からなる。
棟内には階段がなく,2階へは主屋2階との間の渡り廊下だけで接続する特異な平面をもつ。
(国指定文化財等データベースより)
旧菅島燈台付属官舎(重要文化財)
明治6(1873)年の建築
(倉庫)
煉瓦造、建築面積11.4㎡、一階建、桟瓦葺
(主屋)
煉瓦造、建築面積119.3㎡、一階建、桟瓦葺
菅島灯台は三重県鳥羽市菅島町に明治六年建設され、この付属官舍も同時に建立された。
設計は英人ブラントンの指導による。
昭和三十四年明治村へ払い下げになり、昭和三十九年移築を完了した。
煉瓦造で明治初期の灯台付属官舍として典型的なもので、外観の意匠がすぐれている。
なお、国産の煉瓦を使用している。
(国指定文化財等データベースより)
旧品川燈台(重要文化財)
明治3(1870)年の建築
煉瓦造(現在鉄筋コンクリート造)、円形灯台
この灯台は東京湾品川沖第二台場の西端に明治三年に建設された。
設計管理は仏人技術者で、灯器はフランスから輪入した。
昭和三十二年廃灯になり、昭和三十九年明治村に再建された。
現存する洋式灯台としては最古のものである。
(国指定文化財等データベースより)
茶室亦楽庵(登録有形文化財)
明治10(1877)年頃の建築
木造平屋建、瓦葺一部銅板葺、建築面積28㎡
京都の医師,福井恒斎が自邸に建てた茶室である。
木造平屋建,桁行2間半梁間3間。
千宗旦の茶室「又隠」を模したといわれる四畳半茶室に,瓦敷き土間,水屋,廊下が付く。
切妻造,桟瓦葺で,表側妻に小さな切妻屋根を付け,軒先,螻羽と庇を銅板葺とする。
(国指定文化財等データベースより)
西園寺公望別邸坐漁荘(登録有形文化財)
大正9(1920)年の建築
(主屋)
木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積233㎡
木造平屋建一部2階建,屋根は入母屋造,桟瓦葺で軒先を銅板葺とする。
外壁は檜皮張。
玄関や広縁付の座敷などに面皮の柱を多用する。
1階の座敷に隣接する暖炉付きの応接室や浴室は昭和初期の増築。
上質の数寄屋風邸宅で,棟札に「設計監督則松幸十」とある。
(附属屋)
木造平屋建、瓦葺、建築面積26㎡
木造平屋建,寄棟造,桟瓦葺。桁行3間半梁間2間。
外壁は竪羽目板張で,小壁を漆喰塗真壁とし,軒は出桁造とする。
南西角に折廻した出格子が軽快である。
内部は梁行方向に通した土間の左右に6畳和室と3畳小使室を配す。
設計は主屋と同じ則松幸十である。
(門・供待及び塀)
木造、間口4m、供待5.0㎡、塀延長26m
門は腕木門で竹扉を開き,桟瓦葺の切妻屋根の軒先と螻羽を銅板葺とする。
脇塀で門に続く供待は,招き屋根の桟瓦葺。正面の塀は桟瓦葺で,中塗仕上の小壁に格子窓を開く。
供待,塀とも外側を舟板張,庭側を檜皮張とする。
瀟洒な数寄屋風外構施設の一例である。
(国指定文化財等データベースより)
幸田露伴住宅蝸牛庵(登録有形文化財)
明治初期の建築
木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積120㎡
木造一部2階建,寄棟造,桟瓦葺。外壁は押縁下見。
玄関,台所,6畳2室の主体部に小さく2階を載せ,10畳座敷部を接続する。
複雑な平面に応じた変化のある屋根形状を呈する。
座敷の切目縁は吹放ちで土庇の出が深い。
中流住宅の当時を伝える建物である。
(国指定文化財等データベースより)
芝川家住宅主屋(登録有形文化財)
明治44(1911)年の建築
木造2階建、瓦葺、建築面積165㎡
博物館明治村内の高台に建つ。
建築面積165㎡、木造2階建、瓦葺。
1階は開放的なヴェランダにボウウィンドウを開くなど洋風とするが、2階は対照的に和風としつつ、両者を破綻なくまとめている。
武田五一設計になる和洋意匠を折衷した住宅の好例。
(国指定文化財等データベースより)
長崎居留地二十五番館(登録有形文化財)
(本館)
明治22(1889)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積241㎡
木造平屋建,寄棟造,桟瓦葺で,正面と両側面に一段低く屋根を架けた板敷のヴェランダを巡らすコロニアル・スタイル。
ヴェランダの角柱は礎石立で,柱頭の持送りが桁を受ける。
隅柱を表した下見板張の外壁に両開き鎧戸付の上げ下げ窓を開く。
棟梁は堤松太郎。
(別館)
明治43(1910)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積120㎡
木造平屋建,寄棟造,桟瓦葺。切石基礎で,外壁は柱形を表した下見板張。
内部は中央洋室と床構えを備えた和室2室を組合せる。
洋室の三方に巡らせた廊下は外壁に引違い窓を入れるが,洋室側壁面に両開き戸と上下げ窓を設けて半戸外的に扱うのが特徴である。
(国指定文化財等データベースより)
北里研究所本館(登録有形文化財)
大正4(1915)年の建築
木造2階建、スレート葺一部銅板葺、建築面積360㎡、塔屋付
木造2階建の洋風建築。
天然スレート葺の腰折れ屋根に櫛形の屋根窓を置く。
玄関上には段状破風と八角小塔を飾る。
外壁は下見板張で,腰壁と軒下小壁を竪羽目板張とし,上げ下げ窓まわりに柱形を表す。
玄関車寄は縦溝付の角柱で支え,パラペットを飾る。
(国指定文化財等データベースより)
2丁目
旧札幌電話交換局舎(重要文化財)
明治31(1898)年の建築
石造、建築面積131.7㎡、二階建、桟瓦葺
札幌電話交換局舍は明治三十一年竣工、その後四十三年増築され札幌中央郵便局として使用されていたが、新中央郵便局の落成により民間に払い下げられ、昭和三十七年明治村に寄贈された。
再建は明治三十一年建立当初の規模で復原され、昭和四十年完成した。
石造建築としてすぐれた意匠になり、北海道における明治洋風建築の先駆的価値が高い。
(国指定文化財等データベースより)
安田銀行会津支店(登録有形文化財)
明治40(1907)年の建築
土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積154㎡
黒漆喰塗の土蔵造,寄棟屋根を赤味の塩焼瓦葺とする。
外観は二階建だが,内部は吹抜で営業室上にギャラリーがつく。
伝統的な土蔵造の意匠をもとに,玄関ポーチ,石積の腰壁,営業室カウンター,ギャラリーを支える円柱など,洋風意匠を巧みに取り入れている。
(国指定文化財等データベースより)
千早赤阪小学校講堂(登録有形文化財)
明治30(1897)年頃の建築
木造2階建、瓦葺、建築面積463㎡
木造2階建,寄棟造,桟瓦葺で,1階を雨天体操場,2階を講堂とする。
1階は櫛形アーチの軽快なアーケードを巡らせ,2階は隅柱付の下見板張外壁にペディメント付の上げ下げ窓を配す。
棟飾やせいの高い軒蛇腹など,明治期木造洋風建築の特色ある意匠を示す。
(国指定文化財等データベースより)
京都中井酒造(登録有形文化財)
明治3(1870)年の建築
木造2階建、瓦葺、建築面積155㎡
切妻造,平入の木造つし2階建町家。
屋根は起りのある桟瓦葺で,右手を落棟とする。
正面1階は太い格子と無双窓,2階は虫籠窓である。
内部は通り土間の左が居室,右に穀物置場,井戸と洗米所,煉瓦造蒸し竈などがあり,当時の酒造業の様子を示す遺構である。
(国指定文化財等データベースより)
旧東松家住宅(重要文化財)
明治34(1901)年の建築
桁行7.8m、梁間15.0m、三階建、切妻造、
背面寄棟屋根突出、桟瓦葺、
南面庇付、桟瓦葺、
北面庇付、銅板葺、
東北面風呂場及び便所附属
もと名古屋市中村区舟入町にあった油商の家で、現在は犬山市の明治村に移建公開されている。
三階建で一階は通り土間があり江戸時代以来の町屋と大差ないが、二、三階は数寄屋風の居住部分になり、進歩した形式を示している。
(国指定文化財等データベースより)
第四高等学校物理化学教室(登録有形文化財)
明治23(1890)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積454㎡
木造平屋建,中央玄関ホールの両側に階段教室を設けて切妻屋根を一段高く造り,左右に寄棟屋根の実験教室を延ばす。
外壁は隅柱付の下見板張で,欄間付上げ下げ窓を配し,木造洋風校舎建築の代表例である。
棟札に工事監督山口半六,設計久留正道とある。
(国指定文化財等データベースより)
清水医院(登録有形文化財)
明治30年代(1897-1906)の建築
土蔵造2階建、柿葺、建築面積48㎡
土蔵造2階建,切妻造,平入で木曽檜のこけら葺とする。
隅に柱型を付け,外壁の漆喰に目地を切って石造風に見せるなど洋風を意識した意匠をもつ。
開口部は櫛形アーチだが,窓は引込み戸である。
1階は通り土間式平面,2階は数寄屋風座敷と内部は和風である。
(国指定文化財等データベースより)
旧山梨県東山梨郡役所(重要文化財)
明治18(1885)年の建築
木造、建築面積286.4㎡、二階建、両翼一階建、桟瓦葺
明治十八年山梨県日下部(現山梨市)に建てられたもので、昭和三十九年明治村に移された。
山梨県は、県令藤村紫朗の意向があって、その当時としては、ハイカラな、いわゆる擬洋風建築がたくさん造られた。
そのうちでは、この建物は代表的である。
(国指定文化財等データベースより)
1丁目
旧三重県庁舎(重要文化財)
明治12(1879)年の建築
木造、建築面積883.3㎡、二階建、桟瓦葺
三重県庁舍は県土木掛の清水義八の設計になり、明治十二年落成した。
昭和三十九年新庁舍が落成し、旧庁舍は明治村に寄贈されて、同四十一年移築を完了した。
明治初期の県庁舎庁舍として唯一の遺構であり、当時の様式手法を示すものとして貴重である。
(国指定文化財等データベースより)
大井牛肉店(登録有形文化財)
明治20(1887)年の建築
木造2階建、瓦葺、建築面積98㎡
神戸元町に牛肉販売・牛鍋料理店として建築。
木造洋風2階建で白漆喰塗の外壁に胴蛇腹と軒蛇腹を廻す。
各階隅の角柱と2階ヴェランダの独立円柱にコリント式柱頭を飾る。
窓は半円アーチ欄間の上げ下げ窓。
玄関庇にはむくり破風の和風意匠を用いている。
(国指定文化財等データベースより)
三重県尋常師範学校・蔵持小学校(登録有形文化財)
明治21(1888)年の建築
木造2階建、瓦葺、建築面積365㎡
木造2階建,桟瓦葺,外壁は玄関部が漆喰塗,教室部が下見板張。
軒先持送りと胴蛇腹の下に飾りパネルを付け,簡素な上げ下げ窓を配す。
玄関部と1階廊下にトスカナ式円柱を配し,入母屋破風とポーチ扁平アーチを植物意匠で飾る。
設計は三重県技師の清水義八。
(国指定文化財等データベースより)
近衛局本部付属舎(皇宮警察坂下護衛所別館)(登録有形文化財)
明治21(1888)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積197㎡
切石の基礎上に建つ木造平屋建,寄棟造,桟瓦葺の建物で,軒蛇腹を廻す。
内外壁を平滑な白漆喰塗とし,欄間付きの両開き戸の出入口と上げ下げ窓を開く。
正面アーケードの柱頭高から半円アーチに沿わせた細いコーニスが意匠の中心となっている。
(国指定文化財等データベースより)
あじさい
旧日本聖公会京都聖約翰教会堂(重要文化財)
明治40(1907)年の建築
煉瓦及び木造、建築面積206.7㎡、二階建、銅板葺
聖ヨハネ敎会として知られている。
京都五条に明治四十年(一九〇七)建設され昭和三十九年明治村に移された。
米人ガーデナーの設計で美しいゴシック様式を示している。
(国指定文化財等データベースより)
旧西郷従道住宅(重要文化財)
明治10年代(1878-1886)の建築
木造、建築面積253.2㎡、二階建、銅板葺
もと東京上目黒の西郷山にあり、昭和三十九年移築された。
明治十年代の建物であって、明治初期の洋風上流住宅の好例である。
(国指定文化財等データベースより)
園内での撮影時間はおよそ3時間、それでも駆け足だったような気がします。
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
JR在来線で大阪から行ったが、大垣あたりで雪が降り始め、明治村に着いたときは吹雪だった。村内バスでSL名古屋駅に行ったが、それ以降はバスがストップ。SLで東京駅に行った。それ以降、SLもストップ。吹雪はさらに激しくなった。
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸 source movie
1 第八高等学校正門
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
2 大井牛肉店
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
3 三重県尋常師範学校・蔵持小学校
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
4 近衛局本部付属舎
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
5 赤坂離宮正門哨舎
6 聖ヨハネ教会堂《重要文化財》
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
7 学習院長官舎
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
8 西郷從道邸《重要文化財》
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
9 森鴎外・夏目漱石住宅《旧東京都旧跡》
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
琵琶の演奏
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸 source movie
10 東京盲学校車寄
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
11 二重橋飾電燈
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
12 鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車《鉄道記念物》
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
13 三重県庁舎《重要文化財》
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
レンガ通り
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
明治村食堂
14 千早赤阪小学校講堂
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
15 第四高等学校物理化学教室
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
16 東山梨郡役所《重要文化財》
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
17 清水医院
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
18 東松家住宅《重要文化財》
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
19 京都中井酒造
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
20 安田銀行会津支店
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
21 札幌電話交換局《重要文化財》
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
22 蒸気動車《鉄道記念物》
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
23 京都七條巡査派出所
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
24 京都市電
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
25 北里研究所本館・医学館
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
26 幸田露伴住宅「蝸牛庵」
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
27 西園寺公望別邸「坐漁荘」
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
28 茶室「亦楽庵」
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
29 品川燈台《重要文化財》
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
30 菅島燈台付属官舎《重要文化財》
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
汐留レンガ迷路
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
31 長崎居留地二十五番館
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
32 神戸山手西洋人住居
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
33 宗教大学車寄
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
34 第四高等学校武術道場「無声堂」
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
35 日本赤十字社中央病院病棟
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
36 歩兵第六聯隊兵舎
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
37 名古屋衛戍病院《愛知県有形文化財》
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
38 シアトル日系福音教会(旧シアトル住宅)
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
39 ブラジル移民住宅
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
40 ハワイ移民集会所
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
41 六郷川鉄橋
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
42尾西鉄道蒸気機関車1号
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
43 蒸気機関車12号・9号・三等客車
Jan 2007 撮影:野崎順次
44 鉄道寮新橋工場・機械館
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
45 工部省品川硝子製造所
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
46 宇治山田郵便局《重要文化財》
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
47 小泉八雲避暑の家
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
48 本郷喜之床
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
49 呉服座《重要文化財》
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
50 半田東湯
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
51 聖ザビエル天主堂
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
52 金沢監獄正門
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
53 小那沙美島燈台
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
54 天童眼鏡橋
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
55 隅田川新大橋
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
56 大明寺聖パウロ教会堂
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
57 川崎銀行本店
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
58 皇居正門石橋飾電燈
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
59 内閣文庫
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
60 東京駅警備巡査派出所
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
61 前橋監獄雑居房
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
62 金沢監獄中央看守所・監房
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
63 宮津裁判所法廷
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
64 菊の世酒蔵
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
65 高田小熊写真館
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
66 名鉄岩倉変電所(岩倉ホール)
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
67 帝国ホテル中央玄関
Sep.2008 撮影: 柴田由紀江
Jan 2007 撮影:野崎順次
Aug. 2006 撮影:瀧山幸伸
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