愛知県名古屋市中川区観音寺(荒子観音)
(Kannonji, Nakagawaku, Nagoya City, Aichi Pref.)
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名古屋市中川区荒子町字宮窓138 観音寺多宝塔 重文 近世以前/寺院 室町後期 天文5(1536) 三間多宝塔、銅板葺 19210430
所在地 名古屋市中川区荒子町宮窓138
観音寺(浄海山圓龍院観音寺)は荒子観音寺とも呼ばれ、尾張四観音の一つに数えられています。
また、円空仏が多数あることでも知られています。
名古屋市西部の荒子は、加賀前田家が尾張の土豪であったときの所領であり、観音寺は前田家の菩提寺でもありました。
山門
安置されている仁王像は円空仏です。
本坊、鐘楼等
多宝塔(重要文化財)
天文5(1536)年の建築
三間多宝塔、銅板葺
名古屋市内最古の建築物です。
本堂
本尊聖観音は秘仏で、33年に1度公開されます。
神明社
愛知県名古屋市中川区荒子町宮窓183
天台宗系
浄海山 観音寺(荒子観音)
撮影日: 2012年11月9日
江戸時代の終わりにお寺の由来を記した「浄海雑記」四巻によれば、荒子観音として親しまれている観音寺は、古く奈良時代、聖武天皇の天平元年(729)に泰澄和尚によって開基された。
泰澄和尚は北陸の霊峰白山を開いた名僧で、北陸、近畿、東海を遊歴して、各地に寺院を建立した。当観音寺もその一つで、御本尊の聖観世音菩薩像は泰澄和尚の作と言われる。
その後、寺は戦乱に巻き込まれるなどして荒廃したようだが、中世にはこの地方きっての天台宗葉上流の学問道場であった春日井市密蔵院に属する大寺として、多数の僧徒を要し学問が盛んであったようである。
天文五年(1536)には観音寺の塔頭常住院の賢俊上人によって多宝塔が再建された。本堂は、天正四年(1576)に前田利家が再建した。
利家は荒子城主前田利昌の四男に生まれ、織田信長に仕え、後、豊臣秀吉から加賀の国を与えられた戦国武将である。荒子観音より南西約300mの天満天神宮境内に利家生誕の碑が建立されている。
修験、遊行僧であったという円空は、観音寺十世円盛と親しく、たびたび寺を訪れ仁王像を初め、約1240体もの円空仏が残されている。
広い境内には、本堂、仁王門、鐘楼、六角堂、護摩堂、本坊などが建っている。本堂は平成九年11月に新築された。
仁王門、仁王二体は円空作。
国重文 観音寺多宝塔 室町時代後期 天文五年(1536)
三間多宝塔、こけら葺、高さ 11.5m。
当時の住僧常住院賢俊の再建で、大工棟梁は熱田の岡部甚四郎といわれる。
全景、南面
全景、東面
全景、北面
上重は、亀腹が板張り、高欄に四個の擬宝珠がつく、組物は四手先、軒は見事な扇垂木とすべて唐様になっている。
下重は、高欄のない縁をめぐらし、正面の中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間蟇股、脇間間斗束と和風である。
鐘楼、水子供養、六角堂、秋葉大権現、本堂
本坊、入口に円空仏の説明や参考資料が掲示されている。
隣接する神社など
お寺から南西約300mの前田利家生誕地
参考資料
尾張三十三観音巡礼の旅HP
日本の塔HP
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