JAPAN GEOGRAPHIC

愛知県名古屋市守山区 志段味古墳群

(Shidami Tumuli Group, Moriyama-ku, Nagoya City, Aichi Pref.)

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March 17, 2018 野崎順次 source movie

愛知県名古屋市守山区上志段味

国史跡

名古屋市内には、おおよそ200基の古墳が確認されていますが、市内で最も古墳が集中して残っているのが、名古屋市の北東端にある守山区上志段味です。上志段味は、岐阜県から愛知県へと流れる一級河川・庄内川が山地を抜けて濃尾平野へと流れ出る部分にあたります。上志段味にある多くの古墳はまとめて志段味古墳群と呼ばれ、国の史跡に指定されています。

志段味古墳群は尾張戸神社が鎮座する市内最高峰の東谷山の山頂から山裾、庄内川に沿って広がる河岸段丘上に分布します。古墳群の範囲は東西1.7km・南北1kmです。

現在確認されている古墳の数は66基で、33基が現存しています。古墳の形(墳形)で分類すると前方後円墳が2基(現存は2基)、帆立貝式古墳が5基(現存は5基)、円墳が50基(現存は21基)、方墳が1基(現存は1基)、墳形不明のものが8基(現存は4基)です。大きさは長さが100mを超す前方後円墳から直径10m前後の円墳まで大小あります。

志段味古墳群では4世紀前半から7世紀にかけて、古墳が築かれない空白期間をはさみながらも長期にわたって古墳が造営されており、空白期間を境として、4世紀前半から中頃、5世紀中頃から6世紀前半、6世紀後半から7世紀の3つの時期に分けることができます。

(歴史の里しだみ古墳群ウェブサイトより)

今回は平野部の古墳群だけで、東谷山には登っていない。自然な勝手塚と白鳥塚がやはりよい。

以下の説明主文は歴史の里しだみ古墳群ウェブサイトより引用させていただいた。

勝手塚古墳、帆立貝式古墳(墳長約55m)6世紀初め

勝手社の境内に、墳丘が良好な状態で残存しています。墳丘のまわりをめぐる堤が北側を中心に残っており、愛知県下で唯一堤の高まりが残っている点で貴重です。後円部の平坦面にはすき間なく埴輪が並べられていました。

                                    

大久手4号墳、古墳または江戸時代の塚

        

大久手3号墳、方墳(一辺約14m)、5世紀後半

志段味古墳群で唯一確認されている方墳です。発掘調査によって、低い方形の墳丘の南側でL字形に折れる周溝が見つかり、方墳であることが明らかになりました。周溝からは須恵器の壺などが出土しています。

               

西大久手古墳、帆立貝式古墳(墳長約37m・後円部径約26m・前方部長約13m)、5世紀中頃

墳丘は、大きく削られています。南側のくびれ部付近からは巫女形埴輪・鶏形埴輪・須恵器が、前方部の前面からは馬形埴輪が出土しています。西大久手古墳の巫女形埴輪は、東日本で最も古い人物埴輪と評価されています。

      

東大久手古墳、帆立貝式古墳(墳長約39m・後円部径約27m・前方部長約12m)、5世紀末

後円部1段目の平坦面ではすき間なく並べられた埴輪列が見つかりました。この場所は、円筒埴輪は突帯が2条めぐる3段構成のもので、須恵器と同じく灰褐色で硬く焼成されているものが目立ちます。

                  

竹林など

   

大久手5号墳、帆立貝式古墳(墳長推定約38m)、5世紀後半

戦後の大久手池の拡張工事により、後円部の南側が削られています。後円部1段目の幅広の平坦面で、少し間隔をあけて並べられた埴輪列が見つかっていま

         

大塚2号墳、円墳か?、5世紀末から6世紀初め

      

上志段味ふる里広場の石碑と石仏

                 

名古屋市最高峰の東谷山

    

志段味大塚古墳、帆立貝式古墳(墳長約51m・後円部径約39m・前方部長約13m)、5世紀後半

大正時代に梅原末治によって、東海地方で初めて古墳の学術的な発掘調査が行われました。その時調査された粘土槨からは5世紀後半を代表する最新の武器・武具・馬具が出土しています。北側のくびれ部の平面L字形に張り出した造り出しでは、小型の土製品を配置する近畿地方の大型前方後円墳と共通する祭祀行為が確認されました。墳丘斜面の葺石は、隣り合う石と石との間に隙間がある貼り石風の葺石で、近畿地方の古墳に類例がある珍しい施工方法です。

                                 

白鳥塚古墳、前方後円墳(墳長約115m・後円部径約75m・前方部長約43m)、4世紀前半

愛知県下第3位の規模を誇り、県内で最初に造られた大型前方後円墳です。墳丘の形は、後円部に比べて前方部が細くかつ短いのが特徴で、大王墓の奈良県柳本行燈山古墳に似ています。後円部頂部に石英が敷かれ、斜面の葺石の上には多量の石英がまかれ、墳丘が飾られていました。石英で白く輝いていた外観が、白鳥塚の名称の由来となったと言われています。

                                  

東谷山白鳥古墳、円墳(径約17m)、6世紀末〜7世紀初め

横穴式石室が、志段味古墳群の群集墳のなかで唯一、ほぼ完全な状態で残っています。石室の形は、石室の幅が奥から入口に向かって徐々に狭まっていくもので、床面に並べた人頭大の石の石列で、被葬者を納める玄室と、通路の羨道を分けています。

              

東谷橋から東谷山を振り返る。

   

高蔵寺駅近くの魚屋直営おっ魚っ魚にて

       

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