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愛知県名古屋市南区 富部神社

Tobejinja,Minamiku,Nagoya city,Aichi

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名古屋市南区呼続4-13-38 富部神社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長11(1606) 一間社流造、檜皮葺 19570618


January 18,2014 大野木康夫 movie

所在地 愛知県名古屋市南区呼続4-13-38

富部神社は名古屋市南部、名鉄名古屋本線桜駅の西側、呼続公園の隣に鎮座しています。

一帯は笠寺台地で、かつては伊勢湾最奥部の干潟「年魚市潟(あゆちがた)」が広がっていました。

慶長8(1603)年、この地に津島牛頭天王社(現:津島神社)を勧請したのが始まりで、清州城主松平忠吉が社殿を創建しました。

その後、「戸部(富部)天王」、「蛇毒神社」等と呼ばれていましたが、明治の神仏分離により、津島をはじめとする他の牛頭天王社同様、素戔嗚尊を祭神とすることとなり、「富部神社」となりました。

周辺

    

参道から拝殿

  

本殿(重要文化財)

慶長11(1606)年の建築

一間社流造、檜皮葺

一間社流造の社殿で、慶長年間の建立になり、細部には桃山時代の特徴がみられ、保存もよい。

(国指定文化財等データベースより)

松平忠吉が病気平癒の御礼に建立したものです。

             


Dec.2011野崎順次

愛知県名古屋市南区呼続4-13-38

撮影日: 2011年12月21日

御祭神

素戔嗚尊(スサノオノミコト

御相殿

田心姫命(タゴリヒメノミコト)・湍津姫命(タギツヒメノミコト)・市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)・菊理媛神(ククリヒメノカミ)

境内社

居森社・八王子社・金毘羅社・秋葉社・龍王社

御神徳

災厄疫病除け・病気平癒・福徳増長

御由緒

富部神社は慶長8年(1603)、愛知県津島市に鎮座する津島神社から勧請されたことに始まる。その後慶長11年(1606)、清洲城主松平忠吉(徳川家康四男)が病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建された。なお、天保12年(1841)『尾張名所図会』「蛇毒神社」に、当時の境内の様子を詳しく見ることができる。創建以来、「富部蛇毒神天王」「蛇毒神天王」「蛇毒神社」などと呼ばれていたが、明治に入り現在の「富部神社」と改称され現在に至る。

蛇毒神は牛頭天王(ごずてんのう)の眷属の1神とも、また八王子の1神とも言われ、牛頭天王と同様に素戔嗚尊と同体とされ、疫病退散の神として信仰された。桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車(高砂車)は名古屋市指定有形文化財に指定されている。

由緒書など、現地説明板

         

旧東海道から少し西に入ると鳥居があり、その両脇に末社の秋葉社と金毘羅社がある。

   

秋葉社

    

金毘羅社

         

参道を進む。

            

御神木

   

祭文殿の前あたり

          

市文 祭文殿・廻廊

          

瑞垣内から

     

重文 本殿 桃山時代慶長11年(1606)

一間社流造、檜皮葺

全景、左回り

            

細部、概ね左回り

                              

参考資料

富部神社HP

国指定文化財等データベース


Dec. 2011 酒井英樹

撮影:2011年9月

<本殿>

  

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