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愛知県弥富市 服部家住宅

Hattorike,Yatomi City, Aichi

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弥富市荷之上町石仏419   服部家住宅(愛知県海部郡弥富町) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸前期 承応2(1653) 桁行一九・五メートル、梁間一〇・〇メートル、入母屋造、茅葺、南面・北面及び西面庇付、南面式台、西面便所、北面突出部及び西渡廊下附属、桟瓦葺 土塀 一棟 主屋東南方折曲り延長六・五メートル、便所附属、桟瓦葺 文庫蔵 一棟 土蔵造、桁行六・七メートル、梁間五・九メートル、二階建、切妻造、南面庇付、桟瓦葺 古図 二枚 各天保十一子年の記がある 普請文書 二冊 本家普請諸入用壱巻(文政三年辰正月) 一 明治廿四年以来建物初修繕記載簿 一 宅地 二、八四九・五八平方メートル 地域北面及び西面の掘割りを含む 離座敷 江戸後期 安永9(1780) 桁行一四・五メートル、梁間六・八メートル、西面入母屋造、東面切妻造段違、南面庇付、北面便所附属、桟瓦葺  表門 江戸後期 18世紀後半 長屋門、桁行一五・六メートル、梁間三・八メートル、入母屋造、茅葺 土塀 二棟 表門東方延長折曲り延長一六・二メートル、桟瓦葺 表門西方延長折曲り延長二八・五メートル、桟瓦葺


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所在地 愛知県弥富市荷之上町石仏419

服部家住宅は弥富市北部の荷之上町に位置しています。かつて服部家は尾張 市江島にあった荷之上城を根拠として長島一向一揆に参加した服部党を率いていましたが、一向一揆滅亡後に帰農し、荷之上城の跡に屋敷を建てて現在に至っています。
市江島の庄屋として、代々尾張津島天王祭の朝祭の先頭を進む市江車の主催者でした。
服部家住宅は主屋及び表門は昭和49(1974)年に、離座敷、土地等は昭和55(1980)年に重要文化財に指定されています。今でも十四代目の御当主が現住されており、年2回春秋に予約制で公開されており、特別なイベントの際にも公開されています。公開時には建物の外観の撮影をすることができますが、主屋内部は現在も生活の場であるため撮影禁止です。
11月9日は秋の公開でしたが、あいにくの雨で参加者は13名でした。

パンフレット

  

旧弥富町の農業集落排水の人孔鉄蓋

 

説明板

 


表門(重要文化財)
18世紀後半の建築
長屋門、桁行一五・六メートル、梁間三・八メートル、入母屋造、茅葺
形が美しい茅葺の長屋門です。主屋と表門の茅はかつては木曽川河口の海茅を使用していたため、葺き替えの際は北上川の海茅を使用したということでした。

                                                

土塀(表門西方、重要文化財の附)
折曲り延長二八・五メートル、桟瓦葺

           

土塀(表門東方、重要文化財の附)
折曲り延長一六・二メートル、桟瓦葺

      

西側、北側の堀割は重文指定の土地に含まれていますが、かつての荷之上城の濠であったそうです。

 

文庫蔵(重要文化財の附)
土蔵造、桁行六・七メートル、梁間五・九メートル、二階建、切妻造、南面庇付、桟瓦葺

       

道具蔵

 

主屋(重要文化財)
承応2(1653)年の建築
桁行一九・五メートル、梁間一〇・〇メートル、入母屋造、茅葺、南面・北面及び西面庇付、南面式台、西面便所、北面突出部及び西渡廊下附属、桟瓦葺
重要文化財指定上は江戸前期の建築とされますが、南北の増築部を除いては天正4(1576)年、市江島帰農時の建物を受け継いでいるということでした。
構造的には大黒柱がなく、二本の支柱の上に水平に梁がかかる鳥居建てになっています。南側の入口は4か所、右から勝手口、仏間に通じる入口、正式な式台玄関、神職が入る入口と決まっているそうです。

                                           

義直公拝領と伝わる名古屋城築造時の石
「丸に十一」の刻印があります。

  

駕籠置石
式台ではなく西側の神職が入る入口の前にあります。

  

離座敷(重要文化財)
安永9(1780)年の建築
桁行一四・五メートル、梁間六・八メートル、西面入母屋造、東面切妻造段違、南面庇付、北面便所附属、桟瓦葺
【国指定文化財等データベースから引用】
主屋、表門、土塀がすでに指定されているが、屋敷は木曽川の氾濫に備えて座敷や蔵を一段高くするこの地方特有の構えをよく残している。 宅地を含めて屋敷構え全体を保存する必要がある。

以前は内部も公開されていましたが、参加者が内部の茶室を損壊したため、現在は公開時にも入ることはできません。高くなっているところに建てられており、洪水対策で建てられたようです。

                   

茶室
江戸時代の建造物ですが、重文指定時には借家であったため指定からは外れたようです。

   

妙見社

 

あいにくの雨でしたが、長年見学したいと思っていたところを撮影できました。

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