秋田県横手市 大鳥井山遺跡
Otoriiyama iseki,Yokote city,Akita
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Apr.25,2016 瀧山幸伸 source movie
小吉山、大鳥井山と称される2つの小独立丘陵上に立地しており、『陸奥話記』により、清原氏の一族大鳥山太郎頼遠の本拠地と考えられ、安倍氏の鳥海柵とともに確実性が高い柵のひとつです。
調査により、土塁・空堀が二重に巡る防御性の極めて強い柵であることが明らかとなっています。土塁・空堀は、外側から内側に向かって、土塁—空堀—土塁—空堀の順で配され、この内側、すなわち居住域の外縁には柵列も作られています。柵に沿って物見櫓と考えられる小規模な建物も存在します。また外側の堀には土橋が架かる場所も検出されました。これら施設で画された内部には掘立柱建物跡や、竪穴住居跡などが作られており、掘立柱建物跡は1間×2間あるいは1間×2間と比較的小規模です。竪穴住居跡にはカマドはありませんでした。
出土遺物は、10世紀後半〜12世紀代とやや幅がありますが、この間断絶することなく遺物の変遷を確認できることは非常に重要です。もちろん出羽側でこのような状況の遺物出土はなく、陸奥側においても、10世紀後半から特に11世紀代は資料の少ない時代であり、安倍氏・清原氏が支配していた時期の土器の検討資料として非常に貴重な存在といえるでしょう。これらの遺物の出土の意味は、10世紀代の払田柵との関係、11世紀代の奥羽の様相、12世紀代の藤原氏との関係を考える上でも基準資料となっていくことは明白と思われます。
(横手市)
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