青森県平川市 清藤氏書院庭園・盛美園
Seidou shoin garden, Seibien,Hirakawa City,Aomori
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Sep.10,2021 瀧山幸伸
許可を得て撮影
盛美館内部 (一部は許可を得て撮影)
御宝殿 (許可を得て撮影)
清藤氏書院庭園は休止中
盛美園
青森県平川市猿賀石林1
国名勝
盛美園は、武学流の神髄を示したものといわれ、我が国における明治時代三名園の一つに数えられています。武学流の起りは、江戸時代初期、都落ちしてきた公卿が京都風の仏教文化に地方的な古神道文化を取り入れてつくった事が始まりといわれています。
盛美園は、清藤家24代盛美が、小幡亭樹宗匠を招き、明治35年より9ヶ年を費やしてつくったもので、その広さは3600坪(1.2ヘクタール)あります。
庭園のつくりは、池を中心に「真」「行」「草」の三部から出来ています。庭園の中央は池泉と枯池の二段とし、池泉には神仙島を浮かべその上に逢菜の松を植えています。「真」を表す築山、「行」を示す築山をつくり、松・かえで・つつじ等を添えて趣きを豊かにしています。「草」は平庭になっていて、天地創造の神々をつかさどったイチイの大刈込みが見事です。洋館から一望しますと中央は開いて津軽の田園と遠くの山々を借景にした遠大な景観を眺めることが出来ます四季折々で景観が楽しめる、国指定名勝をぜひご覧においでください。
(盛美園ホームページより)
アプローチ、津軽尾上駅から歩く。
パンフレットと現地説明板
入口あたり
盛美館
庭園を眺めるために建てた和洋折衷洋式の建物です。和洋と洋風、判然と異なった様式が上下に重なる建物は珍しく、我が国では他に例がないといわれています。
この建物は建築家西谷市助によって明治41年に建てられました。一階は、純和風の数奇屋造りで、贅を凝らした書院から眺める景観が素晴らしいです。二階は、ルネッサンス調を漂わせ、漆喰の白壁に、展望室のドーム屋根、尖塔、棟飾りなどが見事です。この建物は、日本庭園と融和した独特の美しさを保ち、本州の最果てに咲いた明治文明開化の面影をしのばせています。
(盛美園ホームページより)
建物外部
内部
清藤氏庭園盛美園 明治時代 池泉回遊鑑賞式
今本庭を一覧すると、本屋書院の南庭と、洋館の北庭の二庭に分かれていて、書院南庭は枯山水で江戸末期に野本洞園が作庭したものであり、洋館の北庭は明治三十年から着手されて同三十九年に完成し、これは大部分小池亭月の作庭である。
(中略)
清藤氏庭園は何といっても洋館北庭であり、全面積は約二千二百五十坪という広大な庭園であり、小池亭月は弟子の亭樹と共に、明治三十年から同三十九年まで長い年月をかけて完成したのであった。したがって本庭は武学流としての明治中期を代表する庭園であることはいうまでもない.
今本庭を一覧すると、この洋館は本屋の北部に離れて建築された別館であるが、この洋館付近が一段と高く、北に向かって次第に低くなり、下部に凸字式の池庭があって、池中には中島三島があり石橋を架けてある。したがって本庭は大池泉を中心とする大回遊式であるとともに、また鑑賞式の庭でもある。洋館の前の広場には飛石を配し、正面の神拝石、西の手水前、東の二神前に飛石が分かれていて、これは武学流庭園の定型であって、いずれの武学流にも見られるものである。そしてこの付近には大刈込を多数配してあって、ソナレの二十五尺幅の円形の大刈込とされている。そして庭前には亀形刈込もある。
ここから一段下ったところが池庭前部であり、西部に栗石の浜を作り、中島の北には巨大な出島があり大築山を兼ねていて、これに豪華を極めた枯滝石組が三段式に石組されていて、中心部の豪華な石組を誇っている。そしてこの池庭に出る向かって右手にも枯滝石組の外に、築山部の蓬莱式の石組がある。巨石を立てて豪健な手法を見せている。全庭豪華な石組で充満し、武学流の桃山風の手法が美しい。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」清藤氏庭園より)
盛美館前から見た全景、飛石に導かれて礼拝石と手水前
枯池
池泉は改修工事中、えい州島
三段の枯滝、最上部に遠山石
真の築山あたり
神仙島と蓬莱の松、方丈島
庭園の右側に戻って、草の平庭
行の築山へ
登り口の豪快な石組
枯滝石組
盛美神社あたり
September 15, 2019 野崎順次 source movie
清藤氏書院庭園
青森県平川市猿賀石林1-6
国名勝 書院庭園 江戸末期 鑑賞式枯山水
書院の南面にある約600平方メートルの平庭枯山水である。東南隅に滝石組があり、枯池の岸は低く平らかな石組をめぐらし、池中に数個の小石を据える。西方には蹲踞があり飛石を配し、間の奥塀際に大石を点在させ、イチイ、カエデ、ツツジ、アカマツなどを植裁する。
作庭年代は明らかでないが、江戸時代末期と考えられる。津軽地方に伝承されているいわゆる武学流の形式による作庭の初期に属するものとして貴重である。
所有者の同意が得られた敷地全体を指定地に含め、庭園と建物の一体的な保護を図ろうとするものである。
(文化遺産オンラインより)
書院南庭は枯山水で江戸末期に野本洞園が作庭したものであり
(中略)
本屋書院南庭の枯山水は約百坪で地割は長方形であり、一部に枯滝石組があって、武学流式の豪華な石組が保存されている。しかしたびたび改作されて、最後に書院が完成したのは明治二十年であったから、その頃また改作されている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」清藤氏庭園より)
説明書および現地説明板
本屋書院(本邸)、玄関に桐の紋があるのでよほどの名家、屋根の葺き替え工事直前とか。
書院庭園、左から右へ
枯滝組と遠山石
その他細部、礼拝石、守護石、蹲踞
清藤氏書院庭園
Seidou shoin garden
盛美園
Seibien
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