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青森県弘前市 長勝寺

Choshoji,Horosaki city,Aomori

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弘前市大字西茂森1 長勝寺 本堂 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長15(1610) 桁行22.7m、梁間16.3m、一重、入母屋造、銅板葺、正面玄関、背面庇附属 19930817

弘前市大字西茂森1 長勝寺 庫裏 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永6(1629)以前 桁行18.8m、梁間13.9m、一重、切妻造、茅葺 19930817

弘前市大字西茂森1 長勝寺御影堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永6(1629)頃 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、銅板葺 厨子及び須弥壇1具、銘札1枚 19860122

弘前市大字西茂森1 長勝寺三門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永6(1629) 三間一戸楼門、入母屋造、とち葺 棟札1枚 19360918

弘前市大字西茂森1 津軽家霊屋 環月臺 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文12(1672) "桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、入母屋造、妻入、こけら葺表門、玉垣附属" 扁額1面、旧野地板1枚、銘札3枚 19860122

弘前市大字西茂森1 津軽家霊屋 碧巌臺 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永8(1631)頃 "桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、入母屋造、妻入、こけら葺表門、玉垣附属" 19860122

弘前市大字西茂森1 津軽家霊屋 明鏡臺 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永15(1638)頃 "桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、入母屋造、妻入、こけら葺表門、玉垣附属" 19860122

弘前市大字西茂森1 津軽家霊屋 白雲臺 重文 近世以前/神社 江戸前期 明暦2(1656) "桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、入母屋造、妻入、こけら葺表門、玉垣附属" 19860122

弘前市大字西茂森1 津軽家霊屋 凌雲臺 重文 近世以前/神社 江戸後期 宝暦3(1753) "桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、入母屋造、妻入、こけら葺表門、玉垣附属" 棟札3枚、銘札1枚 19860122


September 15, 2019 野崎順次 source movie

青森県弘前市西茂森1-13-8

曹洞宗

大平山 長勝寺

創建は享禄元年(1528)、大浦盛信が父光信の菩提を弔うため菊仙梵寿を招いて開山したのが始まりと伝えられ寺号は光信の法名「長勝」に因むとされます(光信の法名は「長勝」の二字)。当初は本城だった種里城(鯵ヶ沢町:種里城の跡地には光信公御廟所が聖地として残されています。)の城内にありましたが津軽為信が大浦城に移った際、大浦に移し、さらに慶長16年(1611)弘前城築城に際し、城の裏鬼門(南西=坤)に当る現在地に移されました。

長勝寺は弘前藩主である津軽家縁の寺院として重要視され、弘前城の裏鬼門鎮護の役割だけでなく、長勝寺を中心に構成された禅林街(曹洞宗33ヵ寺で構成されている寺町)全体が弘前城の出城的機能を持っていました。城下町と禅林街の境には土塁が築かれ、西側には堀、北側は断崖、東側は低湿地帯となっていて防衛施設として役割が期待されました。長勝寺は弘前藩主津軽家の菩提寺だけでなく祈願所でもあり病気平癒や、大飢饉による餓死者の供養なども行われ藩内曹洞宗の僧録所としての格式も持ち江戸時代には寺運も隆盛しています。安政元年(1854)には11代藩主津軽順承の仮養子で世子である津軽承祐(一門である津軽順朝の長男)が死去すると長勝寺に埋葬され、藩主以外の一族の菩提寺だった事が窺えます(藩主の墓碑は報恩寺に建立され戦後に現在地に遷されています)。

長勝寺の文化財

国重文 長勝寺本堂-慶長年間

国重文 長勝寺庫裏-慶長年間(大浦城台所移築伝)

国重文 長勝寺三門(楼門建築)-寛永6年

国重文 長勝寺御影堂(附厨子及び須弥壇)-寛永6年

国重文 環月臺(初代藩主津軽為信室:御霊屋)-寛永5年

国重文 碧巖臺(2代藩主津軽信枚:御霊屋)-寛永8年

国重文 明鏡臺(2代藩主津軽信枚室:御霊屋)-明暦2年

国重文 白雲臺(3代藩主津軽信義:御霊屋)-寛永15年

国重文 凌雲臺(6代藩主津軽信著:御霊屋)-宝暦3年

国重文 長勝寺銅鐘-鎌倉時代後期

県重宝 三尊仏及びその厨子堂-慶長8年・寛永15年

県重宝 薬師如来三門本尊-寛永5年に三門に安置

県重宝 津軽為信木像-慶長11年(伝承)

市文  長勝寺黒門(高麗門)-江戸時代中期

国史跡 長勝寺境内

(青森県歴史観光案内書ウェブサイト)

現地説明板、参道、黒門、手水舎

          

国重文 三門 江戸初期 寛永6年(1629)

2代藩主津軽信枚によって建立されたもので三間一戸、桁行9.7m、梁間5.8m、入母屋、とち葺きの八脚楼門形式、外壁は真壁造板張り、上層部には高欄と「太平山」の山号額、下層部は花頭窓付、左右に仁王像安置、構造的には岩木山神社の楼門と類似点有り。

(青森県歴史観光案内書ウェブサイト)

                       

鐘楼、梵鐘は鎌倉時代のもの

        

国重文 本堂 江戸初期 慶長年間(1596~1614年)

曹洞宗の本堂建築としては全国的に見ても最古級とされ、木造平屋建て、入母屋、こけら葺、平入、桁行22.7m、梁間16.3m、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り。

(青森県歴史観光案内書ウェブサイト)

          

国重文 庫裏 室町後期 文亀2年(1502)

大浦城の台所を移築したものと云われている建物で、木造平屋建て、切妻、茅葺、平入、桁行18.8m、梁間13.9m。

(青森県歴史観光案内書ウェブサイト)

               

室内、庫裏から本堂へ

                                

蒼龍窟と書かれたお堂の中には五百羅漢と厨子堂がある。

県重宝 三尊仏および厨子堂

この仏像は、百沢寺大堂(岩木山神社拝殿、国指定重要文化財)の本尊として二代藩主信枚が慶長15年(1610年)に寄進し、厨子は本尊安置の御宮殿として寛永15年(1638年)三代藩主信義が建立したと伝えられる。三尊仏は、岩木山三所大権現の本地仏として祀られたもので、中央峰岩木山=阿弥陀如来、東峰巌鬼山=十一面観音、西峰鳥海山=薬師如来となり、三体とも木造割矧造胡粉箔仕上げとなっている。厨子は方一間、入母屋造木瓦葺で組物は三手先詰組、軒は二軒で垂木は扇垂木である。背面を除く三面を龍や唐松の彫刻で飾り、桟唐戸に迦陵頻伽もなどの彫刻を張り、全体を極彩色に塗っている。明治初年、神仏分離により長勝寺禅堂に移された際、厨子の屋根が切断された。

(弘前市ウェブサイトより)

                         

御影堂と歴代藩主の御霊屋は公開されていない。遠くから見るだけ。

         


July 31, 2014 瀧山幸伸 source movie

A camera

                                                                                       

B camera

                                                                        

                                                          


Aug.2007 瀧山幸伸 source movie

  

参堂、塔頭

        

寺から望む岩木山

 

三門

    

鐘楼

  

庫裏

 

                

御影堂

                   

津軽家霊屋

Tsugaruke reioku

                 

 

栄螺堂 (さざえどう)

    

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