千葉県香取市 佐原
Sawara,Katori city,Chiba
Feb.2006 撮影/文:瀧山幸伸 source movie
Oct.2003 撮影:瀧山幸伸 source movie
佐原の街並 国重要伝統的建造物群
Historic district
かつて水運は最も重要な輸送手段であった。江戸の隅田川沿いや神田川沿いには大名の蔵や下屋敷が並び、本所には江戸商人の粋な別荘が建つなど、川沿いは一等地であった。 首都圏で三つ川とともに発展した古い街並を挙げるとすれば、小野川の佐原、巴波(うずま)川の栃木、新河岸川の川越であろう。
今の佐原は磨けば美しくなる。旧家の跡取娘のようなものだろうか。都会人と同様、流行りの洋服を着たい、お化粧もしたいと願っても、先祖伝来の古い家に和風の顔立ち。おばあさんから往時の栄華を聞いて育ったが、物心ついた時から地味に暮らしてきた。着物であれば美しい自分の姿に本人も回りも気がついていない。いやいや継いだ家業にも気が乗らず、ため息とともに暮らす毎日といったところだろうか。
江戸時代の佐原は「小江戸」と呼ばれ大いに賑わった。今でも伊能忠敬旧宅や小堀屋本店、正文堂書店など土蔵造りの商家が点在する。
利根川図志(1855)に 「佐原は下利根付第一繁昌の地なり、村の中程に川有りて、新宿本宿の間に橋を架す、米穀諸荷物の揚さげ、旅人の船、川口より此処まで、先をあらそい、両岸の狭きをうらみ、誠に、水陸往来の群集、昼夜止む時なし」と記されているとおり、当時の最大輸送手段である水運を利用し、関東の河港商業の中核として栄えた街である。
元禄年間の洪水で利根川の流れが対岸の潮来から佐原側に移り、利根川へつながる小野川沿いに米問屋や醸造業を営む店が増えた。周辺や近隣から物資を集め江戸へ運び、江戸から呉服や砂糖・塩等の日常品を運び近隣に売り捌いたとのことである。
このような経済を背景にした関東三大祭りの一つ「佐原まつり」は多くの山車が辻で急回転する豪奢な祭りである。山車が小野川沿いの狭い道をすり抜けて行く様は大変美しい。
(国土地理院地図より作成)
【佐原の街並】
小野川沿いと香取街道沿い、下新町地区が主に歴史的な街並景観を維持している。その中でも小野川沿い、緩やかに湾曲した河川そのものと両岸の建物が一番美しい。ただし、古い家が連続しないため、残念ながら建築様式が揃った街並の連続景観は見られない。せめて三軒古い家が連続すれば、美しい街並シーケンスが形成され絵や写真に美しく納まるのだが。この「古い家の点在」は栃木も同様であり、その点では川越の連続した家並のほうが建築様式の街並としては優れている。
川沿いの建築物は寄棟妻入りまたは切妻平入り2階建ての比較的大きなものが多い。
( 佐原市資料より作成)
【小野川 伊能忠敬旧宅付近から上流を望む】
上流の景観は山の緑が借景となり美しい。転落防止柵のデザインは再考して江戸情緒を演出する工夫がほしい。
【小野川 上流から忠敬橋をみる。現在と過去の街並】
川の右岸が伊能忠敬旧宅。橋のたもと、一番重要で目立つランドマーク地点にある鉄筋建てビルが景観の阻害要因となっているのが残念だ。
過去の写真の石造アーチ橋は、町民が資金を出し合って建設したことから「かなえ橋」と呼ばれていた。現在の橋に比べ風格がある。(資料:佐原市)
【樋橋 通称ジャージャー橋】
伊能忠敬旧宅前に架かる。小野川を横切って水田に送水するためにつくられた樋橋の風情を復元し江戸の面影を今に伝えている。樋橋の落水音は午前9時から午後4時まで30分間隔で聞くことができ、この音は環境省の「日本の音風景100選」に選ばれている。
橋のたもとにある時計台は美しいのだが、時計台ではなく灯台であればなお良かった。夜間景観を演出するためにも、港の雰囲気を演出するためにも、時計台よりは和風灯台(常夜燈)であろう。
橋の下には船着場があり、そこから見上げれば目線が変わるので立体的に景観が楽しめる。
参考:広島県鞆港の和風灯台(常夜燈)
【伊能忠敬旧宅】
伊能忠敬が30年余りを過ごした店舗と、その奥の寛政5年(1793)忠敬自身が設計したといわれる母屋が残り公開されている。50歳を過ぎてから日本全国を歩いて測量し、「大日本沿海輿地全図」(伊能図)を作成した伊能忠敬の偉業に敬服する。記念館では忠敬の業績と地図に対する理解を深めることができる。
【小野川沿い 忠敬橋下流の街並】
建物は比較的大きい。川に面して下屋が出、二階壁面が後退しているので圧迫感が無い。川、石垣、一階、二階と徐々にセットバックして美しい景観を演出する。古い建物が連続すれば申し分ない景観となるであろう。
川を往来する船から見上げる街並はさらに美しい。電柱は見苦しいので撤去してほしい。
【正上醤油店】
江戸時代より醤油の醸造をしていた店で、今は佃煮(いかだ焼)の製造販売をしている。店舗は天保3年(1832年)の建築で、下屋庇の敷居、格子戸、揚げ戸(鎧戸)、内部に千本格子障子が残り、江戸時代の面影を残している。袖蔵は、明治初期の建築。
【旧油惣商店】
店舗は、木造寄棟妻入二階建、桟瓦葺で、間口三間半、奥行き5間半の、佐原では珍しい総2階の建築。
土蔵は、切妻平入2階建、桟瓦葺で屋根裏を含めると3階、棟札に「寛政十(1799)戌牛歳九月立之大工佐吉立之」とあり佐原最古の土蔵。
【現在1階部分を修復中の商家の例】
和風の店のほうが客の入りが良いのか、全国至る所で伝統的な建築様式の店舗を保存復元する運動が盛んである。店舗は経済合理性が働くが、民家の保存復元はさらに難しいので、各自治体単位で多額の補助金を出して奨励すべきである。地域住民が価値を理解する以前に朽ちて壊されていく建築は多い。
【修復した商家の例 建物修復の前と後】
【小野川沿いの宿泊施設】
このような川沿いの和風宿に宿泊する心の余裕が欲しい。特に朝は見下ろす川の景色が美しい。夜景も美しくなれば申し分ないのだが。
【悲しいランドマークを考える】
美しい景観を阻害する通信会社の建物と鉄塔、デザインに配慮されていない橋など、公共公益施設の立地とデザインには景観的な配慮がほしい。
【照明を考える】
背の高い街灯は江戸時代には無かった。このような明かりは不要だ。夜間の照明として和風の足元照明を連続して設置することにより、シーケンス景観と船からの俯角景観を演出する。例えば、富山の八尾、岐阜の郡上八幡に見られる石造りの足元照明であり、眩しさがなく、情緒の演出に貢献する。
【佐原街道、忠敬橋から西の街並】
【中村屋商店】
忠敬橋たもとにある荒物・雑貨・畳商。変形の敷地であるため、母屋の角の柱を五角形断面にし、内部の架構に工夫を凝らし、間取りも変形平面の部屋を設ける。 安政2年(1855年)の建築
【正文堂書店 】
昇り龍下り龍を配した看板があり「正文堂」の文字は巌谷修の書(明治29年)。大黒柱には欅材、2階の窓には土塗の開き戸、さらに横引きの土戸に板戸と三重の扉を持つ土蔵で明治13年(1880年)の建築。土蔵造りの書店は全国でも珍しい。
【最初の写真中央部、三軒連続する歴史的建築】
( 手前から小堀屋本店(蕎麦)、福新呉服店、 旧千葉合同銀行佐原支店)
小堀屋本店: 創業天明2年(1782年)、蕎麦作りの秘伝書や道具類が土蔵と共に残っているとのこと。 店は明治33年(1900年)の建築で江戸時代の形式そのままに作られている。
福新呉服店: 明治25年の火事で焼け、建て替えられた店。奥の土蔵は古く明治初期の建築。
旧千葉合同銀行佐原支店: 昭和初期に建築された。現在は小堀屋の所有。
【過去の街並】
同じく忠敬橋から西側の景観。二階壁面は一階より後退し、街路に圧迫感を与えない。 連続した下屋が美しい連続景観を創り出していた。(資料:佐原市)
【香取街道、忠敬橋から東の街並】
【中村屋乾物店】
明治25年(1892年)頃の建築。店は当時の最高技術を駆使した防火構造で、壁の厚さが尺五寸、完成に2年以上かかったという。
【佐原市三菱館(旧三菱銀行佐原支店)】
レンガ造り2階建てで内部は吹き抜けになっており、2階周囲にギャラリーがある。屋根は木骨銅板葺きで、正面建物隅にドームを持つ。 大正3年川崎銀行佐原支店として建設され、現在は佐原市に寄贈されて観光案内に使われている。
【香取街道の現在と過去の街並】
忠敬橋から三菱館(東)向きの景観を過去の写真と比較してみる。昔は軒先がそろい、連続し、広がりのある空間を創り出していた。(資料:佐原市)
早く昔の姿に戻ってほしい。
【香取街道、忠敬橋方向を望む】
木造の建物とモダンな商業店舗が混在し、建物の高さも様式も揃わず、街並は美しくない。
【ゆっくりと進む保全修復工事】
渾然とした中にも磨けばきらりと光る建物がある。それらを大切にしたい。
【修理前(左)と修理後(右)の比較】
【下新町の街並】
醸造所、比較的規模の大きな土蔵や住宅が建ち並び、閑静なたたずまいを残している。
【まとめ 佐原のプロモーションを考える】
佐原は大変大きなポテンシャルを持っている。川越ほど知られてはいないし、賑わってはいない。都心から小田原ほどの距離であるが、遠い印象がある。 街並は川越のようには揃っていない。栃木と同様歯抜けで、ぽつぽつと古い建物が散在している。特に香取街道沿いの街並は、修復復元を待っていたのでは何十年もかかるであろう。
祭りで人を呼ぶのも良いが、それでは年のうち数日しか活気が出ない。毎日人々が訪れる街にするためにはどうするか。
車社会から離れて、のんびりと安心して終日江戸情緒に浸りたい、夜景が綺麗なので一泊してみたい、というレトロ型時間消費型の街づくりが良いのではなかろうか。
【小野川を活かしレトロ型時間消費型の街に】
【スチルウォーターの利点】
川越、栃木、佐原、どこが一番川を愛しているだろうか。どこが一番川のポテンシャルを持っているだろうか。
残念ながら川越はその発展の基盤となった新河岸川をフィーチャリングしていないし、川も汚れている。栃木では巴波川に10万匹の鯉を放し、川の水質、水生植物 水鳥など、川のある景観を大切にしているが川の流れが早い。
佐原の利点は、近江八幡、柳川、サンアントニオ、ベニスなどと同様、小野川が 「流れがほとんどない川(スチルウォーター)」の利点を持っていることである。手漕ぎの船で、ゆったりと情緒ある遊覧散策が楽しめる。
ただし現状では訪問者を満足させられないので、改善してもらいたいことを列挙してみたい。
【和船のフィーチャリング】
エンジンつき乗り合い船はあるが、差別化がなされていない。当然だが、格安の料金で、毎日の便数を多くし、乗り場を増やし、手軽に舟遊びができるようになってほしい。
エンジン付き和船は情緒もサウンドスケープも時の流れる速度も乱れるので廃止し、全て艪漕ぎにすべきであろう。艪のきしむ音は美しい。
乗り合いの和船も良いが、小型のセルフ艪漕ぎ和船をレンタル用に多数用意して、格安で提供することも必要であろう。艪の操縦はそれほど難しくない。船頭の姿は景観演出に良いし、素人が艪漕ぎをマスターすれば、友人や家族を乗せても鼻が高いであろう。観光地のレンタルボートと同様、気ままに楽しめる。倉敷には乗れる船がないし、柳川、近江八幡は乗り合いのエンジン船である。
小野川は片道2.5キロであり、往復すれば5キロ。好きなところで係留し上陸できれば十分時間が消費できる。市域を縦横に流れる川を小船が通れるように整備すればなお良い。
<近江八幡>
【小野川沿いの両面遊歩道】
船に加えて遊歩道も整備すべきだ。利根川から小野川最奥部まで約2.5キロの両岸の道路を歩行者専用にする。小野川沿いの道は佐原で最も美しい道であるが、このような狭い道を車が歩行者に優先することは残念だし、川を往来する手漕ぎの和船とも似合わない。 車椅子も乳母車も安心して通れないし、車やバイクを気にして人が並んで通れないのでは悲しい。
川越、栃木、佐原、この三つはどれも川に沿った道があるが、どこが一番安全に散策が楽しめるであろうか。栃木が少しだけ安心だが、皆似たり寄ったりだ。積極的な車両締め出し策が必要であろう。 この道を遊歩道にすれば、昨今はリタイア層も多く、平日首都圏からの訪問者も見込めるであろう。
そのほかにやるべきことを挙げればきりがないが、例えば
【川沿いに連続する無料床几台】
高齢者や家族向けにもやさしい無料の休憩飲食スペースとして、和風ボードウォークとベンチ、いわゆる床几台を連続して設置すること。
【名物のフィーチャリング】
和風でおしゃれな飲食施設を設けること。川越が「さつまいも+漬物」をフィーチャリングしているのに対抗し、佐原もおいしい食べ物を作り出す努力が必要であろう。女性向け、お土産向けに五感の重要要素「舌」を喜ばすチャレンジが必要だ。
【夜の景観】
柵を兼ねた低い和風石造りの照明灯を連続させるなど、高山のように、「美しく川面がゆらめく」夜の景観を演出することにより、一泊の需要が喚起される。宿泊により滞在延べ日数が倍になれば経済効果も大きい
【道路と河川整備】
電柱を撤去すること。遊歩道の舗装を改善すること。小野川の水質をさらに浄化すること。
【和風植栽で四季を演出】
殺風景な風景を植栽で修景すること。具体的には、和風景観の演出、リピーター増加のために季節感の演出、ピクチャースポットを多数創設して思い出造りとクチコミ、マスコミ効果を意識したい。
川端の足元周りは和風の花で、石垣は常緑のツタなどで、川面に張り出す枝垂れまたは蔓性の植物(枝垂れ梅から始まって桃、桜、山吹、テッセン、在来バラ、カエデなど)で修景することなどを検討したい。
<近江八幡の植栽>
> <足利のフジ>
<佐原水生花園のアヤメ、スイレン>
これらは比較的短時間で実施可能だ。マスタープランを作製し、実施できることから初め、完成の都度首都圏向けにアナウンスすることが重要である。
平日の「街並散策」に興味を持つ観光客が増えれば、付随的に和風をフィーチャリングした店舗も増える。現状はあまりにも殺風景である。
【スポンサー制度で早期の実施を】
こ れらの資金源としては、環境を謳い文句にしている企業スポンサーを募集することも可能ではなかろうか。花火大会などに協賛している企業は、このような「日本の伝統と文化を守るプログラム」への協調度が高いのではなかろうか。
【古い町並みは無料のオムニバステーマパーク】
古い町は高齢者や家族向けだけにあるのではないと考える。若いカップルの語らいの場にもふさわしくなるかもしれない。東京はどこへ行っても洋風の街で、屋内のレトロテーマパークに飽きた若い世代も時には違ったテイストを体験したいのではなかろうか。
【広域の水郷めぐりで相乗効果を】
佐原を広域の時間消費型プログラムに位置づけるのはどうしたらよいであろうか。
少し足を伸ばせば東洋一の佐原水生植物園や香取神宮、潮来や鹿島神宮があるので、広域の内水面周遊が可能である。
小野川区域では小船で、利根川と潮来などを結ぶ船は中型の動力付き和風艇でと、広域の水郷めぐりを充実させてほしい。ニューオリンズのミシシッピ川クルーズと同様のポテンシャルがあるのだから、高速のボートで気ぜわしく遊覧するのではなく、2日ほどかけてゆったりと時間を過ごす水郷めぐりを企画してほしい。
霞ヶ浦の有名な帆掛け舟をフィーチャリングした船で土浦の港まで周遊したり、利根川を河口の銚子港まで巡り魚市場で海の幸を楽しむコースもできれば、さらにスケールが大きくなる。そのような内水面の船旅を提供するところは世界でも多くは無い。
もっと人気が出てくれば、日本橋から江戸川を通り、野田、佐原、潮来へと一日かけてのんびりと周遊する屋形船風のツアーも可能であろう。
都心から近く交通便も良い佐原は、これからが楽しみな街だ。柳川や近江八幡は気楽に出かけるには遠すぎる。大切な人と一緒に朝夕の散歩を楽しむ思い出作りの街になってほしい。江戸情緒はこのような無料のテーマパークで体験したほうが面白い。
佐原のアセスメント 合計 3点
電柱と電話鉄塔 -2
街並と建築物 +2
小野川 +2
伊能忠敬フィーチャリング+1
撮影: 2003年10月の休日、未明
大戸神社 六十年に一度の神幸祭
Ooto shrine, parade once in 60 years
Oct. 2003 source movie
*取材メモ
2003年10月
佐原の祭りを避けて、朝早く旧市街を訪問した。車の通りが少ないので早朝の散歩は心地よい。
大戸神社は小さい神社であるが、60年に一回という大祭であり、旧式な祭りの儀式の流れと風習を楽しむことができた。
前回の祭りは戦争の時期で、写真などの資料を見ると、兵士を送り出すパレードのごとく、大いに右傾化していたようだ。次回60年後、さらにその60年後に今回のビデオと比較してみると面白いだろう。そのとき私はこの世にいないが、ビデオは次世代に残せる宝物だ。
2003年6月
あの、水郷潮来あやめ祭りの帰りに立ち寄った。佐原の水生花園のほうが静かで広く、種類も豊富で楽しめる。
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