キプロス
Cyprus
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Jan. 2011 池田謙一
撮影:Apr.2004
2004年の4月に訪問しました。入国経路は、羽田−関空−ドバイ−キプロスです。地中海に行くにはこれが最短経路です。
キプロス共和国はギリシア系中心、北キプロス共和国はトルコ系になります。分断は両民族のトラブルが原因ですが、この島は8000年前から諸種の紛争が続きつつ、多民族が共存もしてきたところです。
こんなところに行った理由は、南のキプロス共和国が2004年にEUに加盟を許され、その機会にここで「ヨーロッパ政治学コンソウシアム」が開催され、それ に参加したためです。
この会合はユニークで、いわば合宿の集合体みたいな集まりです。40近いグループ(各15人程度)がそれぞれの論題を元に論文を各人 が持ち寄り、3日間徹底討論するという特異な集まりです。
それを機に訪れたニコシア周辺の写真をお届けします。学会の合間に、また討論した仲間とドライブしたときの写真です。仲間はスペイン人、ハンガリー人、アメリカ人とぼくでした。
現在、南のEUに加盟したキプロス共和国はギリシア系住民が大半で、ギリシア正教が重んじられています。
北キプロス共和国の方はトルコ系イスラム教の人々が住み、トルコにしか承認されていません。
北の方がはるかに貧しく、また紛争前にはキリスト教教会であった場所をモスクに転換したりしています。
彼らのかなりの人たちは、紛争時に南ニコシア地区から北部に移り、南の元の住居は廃墟になっています。
北は南がトルコ系住民を迫害したと避難しますが、南は北を教会まで勝手にモスクにした上に、多くの破壊を行ったと非難しています。
分断された北キプロス共和国には1日ビザで入国できます。
ただし、午後5時までに戻ってこないとまずいことになりますから、歩ける範囲で見聞することになります。
職業的な関心から言えば、見ない理由はありません。
紛争の痕跡を見ようと軍事博物館を見に行ったのですが、たまたま閉館。
しかしその統括の軍人と話をすることができました(イギリスに5年間も留学していたらしい)。
彼はこの国は民主的に開放されていると主張しました。
「きみが1日ビザで北ニコシアを歩いても、誰もきみをつけて監視していないだろう、そういう良い国なのさ」、というのです。
空港から首都ニコシアへの途上、証券取引所の傍らを通る。日産のディーラーも。左通行のキプロスは右ハンドル人気。
ニコシアの城壁を見る:11画形の星形になった城塞都市の1頂点
ニコシア・インターカレッジがヨーロッパ政治コンソウシアム会場:ギリシア風の屋外集会場にて
ニコシア 市庁舎(以下、全て旧市街の城壁内)
ニコシア 市庁舎横の花壇
ニコシア 市庁舎横の駐車場
ニコシア 市中心部に掲げられた分断された都市の表示
ニコシア 市中心部にある分断線グリーンラインにおける歩哨所。すぐ向こうが無人の非武装中立地帯
ニコシア 分断箇所歩哨所から眺めた非武装中立地帯の標識。奥に北キプロス側のちやちなカベが見える
ニコシア 聖ヨハネ教会 大主教像
ニコシア 聖ヨハネ教会
ニコシア城壁内の路地
ニコシア 1973年キプロス紛争の慰霊碑
ニコシア 1973年キプロス紛争の慰霊碑。ギリシア語で書かれている
ニコシア 豪商の家
ニコシア キプロス紛争の後、廃墟となったトルコ系住民の住宅
ニコシア 非武装地帯から北キプロス共和国への道
ニコシア 非武装地帯から北キプロス共和国への検問・臨時ビザ発行所
ニコシア 北キプロス共和国内のニコシア地区 トルコ国旗と北キプロス国旗
ニコシア 北キプロス共和国 選挙中だった
ニコシア 北キプロス共和国内のニコシア地区 廃墟で遊ぶ子どもたち
ニコシア 北キプロス共和国内のニコシア地区 廃墟は生活の場
ニコシア 北キプロス共和国内のニコシア地区 うらぶれたお店
ニコシア 北キプロス共和国内のニコシア地区 キリスト教教会をモスクに転用
ニコシア 北キプロス共和国内の骨董屋さん あまり古くない
ニコシア 北キプロス共和国軍将校と軍事博物館前で
ニコシア キプロス共和国内に戻る
ニコシア郊外山中のキコス修道院(ギリシア正教)
南の海岸にて地中海を望む
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