愛媛県松山市 渡辺家
Watanabeke,Matsuyama City,Ehime
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松山市東方町1238-1 渡部家住宅(愛媛県松山市東方町) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸末期 慶応2(1866) 桁行23.1m、梁間12.0m、一部二階、入母屋造、四面庇付、本瓦葺、便所及び北面突出部附属 棟札2枚、土塀4棟 19700617
松山市東方町1238-1 渡部家住宅(愛媛県松山市東方町) 表門 重文 近世以前/民家 江戸末期 18世紀中期 長屋門、桁行19.7m、梁間6.1m、入母屋造、北面庇付、本瓦葺 19700617
松山市東方町1238-1 渡部家住宅(愛媛県松山市東方町) 米倉 重文 近世以前/民家 明治 明治41(1908) 土蔵造、桁行13.7m、梁間8.2m、二階建、切妻造、本瓦葺、西面庇付、桟瓦葺 19700617
松山市東方町1238-1 渡部家住宅(愛媛県松山市東方町) 倉 重文 近世以前/民家 明治 明治24(1891) 土蔵造、桁行13.8m、梁間7.2m、二階建、切妻造、本瓦葺、西面庇付、桟瓦葺 棟札1枚 19700617
feb.23,2019 酒井英樹
渡部家住宅
渡部家住宅は松山市の中心部より約10キロ南東にある。
渡辺家がこの地に住み着いたのは天保15年に分家してか庄屋となってからであった。
現在の主屋はこの初代が江戸時代末期の慶応2年(1866)に建築したもの。
表門は同じころの19世紀中頃の建築で、倉は明治24年(1891)、米倉は明治41年(1908)の建築と以降明治期にかけて屋敷構えが整えられた。
<主屋>
一部二階建ての入母屋造、正面本瓦葺、背面桟瓦葺の建物。
棟に煙出し櫓風に茅葺の越屋根を載せ、正面には本瓦葺の庇を廻らす。
平面は東側に土間があり、土間の裏側に板敷の茶の間が張り出す。
茶の間の板敷きの上に竃突が築かれており、この形式は松山地方の各家でかつては見られた。
表向きの部屋と内向きの部屋が正面側と背面側に画然と分けられている。
表向きは、上手から「表座敷」「神前の間及び控え」「玄関広間」「内玄関及び帳場」で玄関広間に式台が付く。
内向きは、上手から「裏座敷と産部屋」「仏間」「寝間」「居間」「茶の間」と並ぶ。
≪内部≫
<表門>
二階建の長屋門で、入母屋造、本瓦葺。
二階には座敷を備えている。
<倉>
<米倉>
Dec.2007 瀧山幸伸 source movie
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