愛媛県大洲市 伊予長浜
(Iyonagahama, Ozu City, Ehime Pref.)
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愛媛県大洲市長浜町沖浦、長浜 長浜大橋 重文 近代/産業・交通・土木 昭和10(1935) 鋼製跳開橋、橋長232.3m、幅員6.6m、鋼製高欄付、親柱、袖高欄及び袖柱附属 鋼製鈑桁二基(鋼製塔柱及び平衡桁を含む)、鋼製ワーレントラス五基、鉄筋コンクリート造橋脚六基、鉄筋コンクリート造橋台二基、跳開装置一式(木造上屋を含む)よりなる 20141210
Dec.2016 酒井英樹
長浜大橋は伊予灘にそそぐ一級河川肱川の河口より約500m上流に架かる道路橋
舟運による木材の集積、玉砂利運搬等に配慮し、増田淳事務所の設計に基づき可動橋として建設された。
増田淳は、明治40年(1907)東京帝国大学工科大学卒業後、アメリカに渡り10年以上橋梁の建設に携わっている。
我が国に帰国後70基以上の橋梁設計を手掛けた。
事業主体は愛媛県で、昭和8年(1933)11月起工、昭和10年(1935)8月に竣工した。
架設にあたっては、当時まだ実例の少なかった潮位差を利用した浮船架設法を採用した。
完成後は肱川下流部の主要交通路の一つとして利用され、昭和52年(1977)近傍に新長浜大橋が建設された後も、可動橋としての機能を保持しながら道路橋として利用され続けている。
桁の開閉に伴う負荷を片側の橋脚で受け持つ単葉式跳開橋で、橋長232.3m、幅員6.6mとし、橋端部には花崗岩で積んだ親柱等を配する。
下部構造は鉄筋コンクリート造の橋脚6基、橋台2基からなる。
上部構造は桁が片側に90度回転する中央の可動部と左右合計5連の鋼製ポニーワーレントラス桁からなる。
長浜大橋は、明治以降、水運と陸運の発達を背景として全国各地に建設された道路可動橋の中で、現存最古であり、かつ建設当初から開閉機能を保持し続ける貴重な構造物である。
また、アメリカで高度な設計技術を駆使した増田淳が設計した大規模な単葉式跳開橋であり橋梁技術史上においても貴重なことから重要文化財に指定されている。
長浜大橋
長浜大橋は,愛媛県西部の肱川の河口部に架かる河川交通に配慮した道路可動橋である。愛媛県を事業主体として,増田淳事務所の設計により,昭和10年に竣工した。長さ232メートルの鋼橋で,中央右岸寄りの可動部と左右の五連の鋼製ポニーワーレントラス桁からなる。可動部は,桁が片側に90度回転する形式である。
長浜大橋は,現存最古の道路可動橋で,かつ建設当初から開閉機能を保持し続けている。米国で習得した設計技術を駆使して可動橋を数多く手掛けた増田淳が設計し,先端的な工法を用いて架設された大規模な単葉式跳開橋であり,橋梁技術史上,価値が高い。
仕事で伊予長浜に行った。めったに来れるところではない。昔は栄えた港で、文久二年(1862)、土佐を脱藩した龍馬が、山中を走り、大洲から川下りをした後、ここから長州三田尻(現在の防府市)に渡った。現在は予讃本線の駅だが、向井原と伊予大洲の間は支線の内子線のほうが乗客が多い。この日は、巨大台風が四国に近づいていた。しかし、コースがずれたか、急激に衰弱したのか、一時的に小雨が降った程度で拍子抜けだった。
松山から特急宇和海で伊予大洲につき、伊予長浜経由松山行の普通電車に乗り換える。1日に10本くらいの過疎線である。一両編成のワンマンカーで客は私一人だった。地方のバスでは経験あるが、JRに一人で乗ったのは生まれて初めての経験だった。
駅名が面白い。「ごろう」、「はるか」、「はたけ」と続く。
14時37分に伊予長浜に着いた。タクシーで3kmほどの客先を訪れ、帰りはそこの車で送って貰って、駅に帰ったのが15時20分くらいだった。次の松山行の電車は16時5分なので、40分ばかり駅の近くをぶらぶらした。特に何もないが活魚店が多い。町のはずれであるようだ。港も寂しそうである。
駅に戻り、電車に乗り込んだ。乗客は私一人である。駅の擁壁の苔と座席の色調が似ている。
伊予灘を眺めながら海岸線を進む。晴れていたら、途中下車して夕焼けを見たいところだ。
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