愛媛県西条市 土居構跡
(Ruins of Doikamae Castle, Saijo City, Ehime Pref.)
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県史跡、江戸初期の庭園 | |
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愛媛県西条市中野甲1743
県史跡 土居構跡
土居構とは古い城郭の形式である。此処は、約六百余年の昔、新居宇摩二郡を支配した河野通直が築造したと伝えられる。主峰高峠を中心に麓(ふもと)に加茂川の急流を繞(めぐ)らした城塞の拠点として、偉容を誇った高外木城主の平生の居館の跡である。
時代は移って石川氏がこれに拠(よ)ったが、天正十三年(一五八五)の兵乱に建物等一切焼亡して僅(わず)かに石垣芝生の犬走等のみ残存している。
寛永十九年(一六四二)久門政武が中野村庄屋として入居し、子孫継承して今日に至っている。
寛文のはじめ建築した家屋は、其の後改造を累(かさ)ねながら猶(なお)旧態を保っている。書院の庭園は江戸初期民家の代表的のものとして推奨されている。
本邸を囲む巨木老樹を含む植物群は、旧時よりの居住者の生活様式を類推し得る意義深いものがある。
昭和五十六年三月十八日 西条市教育委員会
(現地説明板より)
久門家住宅庭園 江戸初期
本庭は書院の裏庭であり、約五十二坪の面積であるが、東、北、西、の三方を土塀で囲み、東西にやや細長い長方形の地割とされる枯山水である。
中央北部に築山を設け、東西二つの築山の間に枯滝石組を設けてあるが、この枯滝石組の手法も、よく寛文期の枯山水手法を見せている。その前に巨石の臥石を用いて礼拝石とし、また西の築山の麓にも巨石を組み、あるいはまた、東北角にも敷石の石組がある。
西の築山から西部へ組み降ろした石組も美しく、かつ、なかなか全庭の石組手法が豪健であって、西南の巨石石組に至るまで、よくこの時代の手法を語っている。庭内にはツガ、モッコク、ハクチョウゲ、シャリンバイ、クサタチバナ、クロマツ、その他の庭木も多く、少々繁茂し過ぎている。旧家民家の庭として、元禄期以前の庭は少ないから、民家の庭として貴重な存在である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」久門氏庭園より)
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