愛媛県西予市 宇和
Uwa,Seiyo city,Ehime
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西予市宇和町卯之町3-110 旧開明学校校舎 重文 近代/学校 明治 明治15(1882) 木造、建築面積169.4㎡、二階建、正面外廊下及び玄関附属、寄棟造、桟瓦葺 銘札1枚 19970529
September 24, 2021 野崎順次 source movie
愛媛県西予市宇和町卯之町三丁目110番地
開明学校
四国最古の小学校である。重要伝統的建造物群保存地区として選定されている宇和文化の里(宇和町卯之町)の施設のひとつ。
開明学校の前身は1869年(明治2年)に左氏珠山の門下生や町民の有志により建てられた私塾・申義堂であった。1872年(明治5年)、申義堂を校舎として開明学校が開校。1882年(明治15年)に現存する校舎が竣工した。その後、校名や用途をたびたび変更し、1976年からは教育資料館として、戦前の教科書と学校経営資料など約6000点を展示している。
旧開明学校校舎は、木造2階建、桟瓦葺きで、窓枠をアーチ状につくるなど、わずかに洋風の意匠を取り入れた擬洋風建築である。地元の大工によって建築された擬洋風建築であり、建築史上、教育史上に価値が高い。また、屋根裏から発見された「開明学校新築始末書」という銘札によって、建築の時期と事情が明らかである。
(ウィキペディア「開明学校」より)
パンフレットとアプローチ
市文 申義堂
明治2年(1869)坪ヶ谷の地に建てられた郷校。同5年(1872)11月、明治新政府の学制改革により、この建物を開明学校(初代校舎)として新たな近代教育が始まった。同16年(1883)坪ヶ谷から現在地に移され、新開明学校の校舎の一部として使用され今に至っている。木造平屋建て、屋根は切妻桟瓦葺きで、右手に玄関があり、その奧床の間付き10畳の座敷が教場に当てられた。座敷の隣には6畳2室と3畳の部屋などがあり、講師の住居として計画されたものと思われる。
(西予市ウェブサイトより一部編集)
歴史民俗資料館(考古)(旧開明学校第二校舎)
国重文 旧開明学校校舎 明治十五年(1882年)
木造、建築面積169.4m2、二階建、正面外廊下及び玄関附属、寄棟造、桟瓦葺
(文化遺産オンラインより)
建物外部
1階内部
2階内部
教科書の変遷
机、いす、オルガン、階段
宇和民具館
江戸時代末期から、昭和初期にかけて実際にこの町で使用されていた民具約6,000点を収蔵展示しています。祭り・暮らし・商いに関する昔の人々の智恵や想いを今に伝える民具の博物館です。常設展示の他、1階町家では「おひなさま」「端午の節句」などの企画展をしています。写真館を再現した展示室で、昔の服を着て写真撮影したり、ロビーで昭和歌謡曲のレコード鑑賞、大正12年製の足踏みミシン体験をしたりと、実際に触れて楽しむコーナーも充実しています。古き良き時代の懐かしさに出会える場所です。
(卯之町お散歩絵図より)
建物、内部のコンクリート打放し部がしぶい。
民具の展示
卯之町の歴史と町並み
写真とパンのコーナー
September 24, 2021 野崎順次 source movie
愛媛県西予市卯之町3丁目
宇和文化の里
重要伝統的建造物群保存地区 宇和町卯之町
かつて宇和島藩の在郷町・宿場町として栄えていた佇まいを、現代にとどめる情緒ある町並み。白壁や格子窓などが特徴の江戸中期から昭和初期の建築物が軒を並べ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。伝統的な和風建築のなかにアーチ窓や赤い屋根の教会などの洋風建築もあり、時代の移り変わりの景色を楽しむことができる。現在も江戸や明治時代から続く老舗旅館や造り酒屋、醤油屋などが営業し、地元住民や観光客で賑わっている。町並みを散策していると、往時の様子を偲ぶことができる。
(四国ツーリズムウェブサイトより)
パンフレット、現地説明板、Google航空写真
JR卯之町駅から東へ、クラブやスナックが多い。「ミスターゴードン」、「ほたる」、「かぁーちゃま」など店名がよい
国道56号線を横切って少し行くと重伝建地区である。南東方向に細い路をたどる。
県史跡 高野長英の隠れ家
蛮社の獄で幕府の怒りに触れ入獄するも、獄舎火災のため一時釈放、そのまま逃亡。卯之町に住む学友・二宮敬作の自宅裏の離れ二階などに潜んだ(現在地)。
北東方向の広い道に出て、旧池田屋酒造の住宅・酒造場跡。
先哲記念館、宇和町の先哲(偉人・先人)を紹介する施設。
コロナ蔓延防止のため市外の人は入場禁止。エントランスホールだけ撮影できた。
卯之町の中心部、宇和島街道(江戸時代)を西北方向に進む。
松屋旅館、未だ現役の旅館で、建物は1804年築で改修を重ねている。来館者には末廣重恭・後藤新平・犬養 毅・浜口雄幸・若槻礼次郎・尾崎行雄・浅沼稲次郎など。宿泊者には前島蜜・新渡戸稲造など。
それから
市文 末光家住宅
明和7(1770)年に建てられた「平入り」の建物。蔀(しとみ)や格子など卯之町らしいデザインが残る町並みの代表な町屋。大正時代初期まで酒造業を営み、大正8(1919)年に「卯之町醤油株式会社」を設立し、昭和12(1937)年まで醤油製造・販売を営んでいた。
(卯之町お散歩絵図より)
少し道なりに進むと、左手に開明学校、光教寺への坂道がある。重伝建地区の西端である。
帰途、JR車窓からの眺め。伊予石城駅(西予市宇和町)近く、黄金色の田にマンモスの親子がいた。このわらマンモスは平成23年(2011年)にれんげまつりを盛り上げようと東京の武蔵野美術大学と地元有志が協力して制作したのが始まりとのこと。
その他
Jan.18,2017 瀧山幸伸
旧開明学校校舎
撮影:2011年8月
木造、建築面積169.4㎡、二階建、正面外廊下及び玄関附属、桟瓦葺
外装漆喰塗大壁、窓アーチ状外枠漆喰造出、内枠は矩形木枠硝子引戸
明治時代[明治15年(1882)]
校舎玄関
外廊下
教室
開明学校
富士廼家
Fujinoya
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source movie観光案内所の親切な人々
We should learn from them about hospitarity
Dec.2003 瀧山幸伸 source movie
シーボルトの娘イネと高野長英ゆかりの心豊かな町
卯之町の街並
Unomachi townscape
宇和の中心部、卯之町は宇和島藩の在郷町として、豊かな米作りに伴う物資の集散で栄えた。ここには江戸から昭和にかけての商家が多く、漆喰壁、うだつ、半蔀(はじとみ)、格子など伝統的な建築様式の街並を形成している。
日本初の女医となったシーボルトの娘イネゆかりの地としても名高い。観光案内所はじめ、町の人々のホスピタリティには特筆すべきものがあった。
開明学校 国重文
つけものづくしの料理もある旅館
作り酒屋を改造したスペース
案内所前を通る若い遍路修行者
案内所の人々
*取材メモ
2003年12月
案内所の人たちが非常に親切だったのが強く印象に残っている。案内所のスタッフは、全く愛想がないか(たぶん旧型の公務員なのだろう)、ホスピタリティに溢れているか、どちらかだが、ここの人たちは素晴らしい。
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