福井県越前市 花筐公園
Kakyo Park,Echizen city,Fukui
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越前市粟田部町17〜19
地図
公園は、岡太神社の境内地の神苑を始まりとしている。
1895(明治28)年の台風被害により境内地が被災した際に、ヤマザクラが多く移植され、樹木の成長と伴に「粟田部の公園」と称され、サクラの名所となった。
その後、大正時代には岡太神社境内地と公園を分け、公園の名称も継体天皇に由来する世阿弥の謡曲「花筐(はながたみ)」にちなんで、「花筐公園」と呼ばれるようになった。
戦争中には、食糧増産のためサクラは伐採され畑地となったが、官民の協力により都市公園として保存整備がなされてきた。
現在の公園は、多くのサクラ類やモミジ類、ツツジ類が植栽されており、濃緑色のスギ林を背景に、色鮮やかな優美な景観が見て取れる。
公園の桜
地元では桜と紅葉の名所として知られ、春には約1000本の桜が咲き誇り、秋の紅葉も見事とされる。
また、8月(2年に一回)には世阿弥の謡曲「花筐」に因んで「花筐薪能」を開催される。舞台は、月明かりと薪の火で幻想的な雰囲気に包まれると聞く。
街なかも桜一色
参考
公園は、能楽の祖観阿弥の子、世阿弥作の謡曲「花筐」のゆかりの地として名づけられる。
継体天皇と照日の前との恋物語を著した「花筐(はながたみ)」は粟田部の歴史の象徴であり、代名詞である。
1844(弘化元)年粟田部の関甚兵衛が、大和国吉野より数十本の桜を現在地に移植し、桜ヶ丘と呼んだのが花筐公園の始まりとされる。
1895(明治28)年岡太神社本殿後方が山崩れに遭い、整地後に桜を植えて現在の上段が完成し、初期の花筐公園の姿となった。
その後数度の改良工事を経て昭和初期には県内屈指の桜の名所となる。現在は春と秋に花筐公園を愛する日を設け、公園の奉仕作業に地域住民が大勢参加している。
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