福井県越前市 大瀧神社・岡太神社
Otakijinja/Okamotojinja,Echizen city,Fukui
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越前市大滝町13-1 大滝神社本殿及び拝殿 重文 近世以前/神社 江戸末期 天保14(1843) "本殿 桁行正面一間、背面三間、梁間四間、一重、流造、正面小屋根、入母屋造、妻入、向拝軒唐破風付 拝殿 桁行二間、梁間一間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、軒唐破風付、背面本殿に接続 総檜皮葺" 造営文書6点、絵図2枚 19840521
Sep.13,2019 瀧山幸伸
福井県越前市大滝町23−10
岡太(おかもと)神社、大瀧神社
大瀧神社は1843(天保14)年に再建された建造物で、国の重要文化財。
本殿の流造の屋根と拝殿の入母屋造妻入の屋根が連結複合し、檜皮葺の屋根の連なりが龍のごとき印象を感じさせ、今にも動き出しそうな躍動感が味わえると評価が高い。拝殿の正面や本殿の周囲に施された精緻な彫刻から窺える卓越した匠の技にも驚嘆させられるとある。
NHK「夢の美術館 世界の名建築100選」の中でも紹介されている。
武生駅からバスに乗る。本数が少なく接続の待ち時間に参る。バスを下車してから歩きとなるが桜も満開で艶やか。集落の佇まいが落ち着いた雰囲気でよかった。
大瀧神社のある「今立五箇」は、紙祖神の伝説が息づく村里で、越前和紙の里として1500年の歴史を有する伝統が脈つうつまちといわれる。
大瀧神社は、古くは天台系寺院大徳山大竜寺として栄え、近世には、越前奉書の産地である五箇郷を中心とする48か村の総氏神として崇敬を集めた。権現山の頂上にある奥の院とその麓に立つ里宮からなる。
大瀧神社 一の鳥居
県道沿いに広がる集落には大きな旧家が多い。桜はほぼ満開である。一の鳥居は、朱の両部鳥居で道路をまたいで建っている。手前に高さ3mの社標が聳える。横山大観が寄進した巨石には、大観が書いた「岡太神社・大瀧神社」の文字が見える。さらに集落内を進む。
第二鳥居と周辺
500mほど集落内を直進すると、権現山の麓にある鎮守の森に行き着く。正面に大木のイチョウやスギに囲まれた二の鳥居が聳え、その先に参道が続いている。
広い境内は、左手に由緒書の説明板が立ち、地元産の笏谷石(しゃくだにいし)を敷いた参道が奥へと導く。 境内には巨木が林立し、石灯籠が整然と並ぶ。
概説−参考
越前市に五箇(ごか)と呼ばれる里がある。五箇は、大滝町・岩本町・不老(おいず)町・新在家町・定友町からなり、越前和紙発祥の地として知られており、奈良時代以後、朝廷で格式ある用途に使う奉書紙はここで漉かれてきた。現在も良質の和紙がつくられている。この五箇に岡太神社・大瀧神社が鎮座している。
両社は大徳山(権現山・約327m)の頂に位置する奥之院・上宮と、その麓にある下宮からなる。
岡太神社は、日本で唯一"紙"の神様を祀る神社で、1,500年前に和紙漉きの技を伝えた「川上御前」を紙祖神として祀っている。
当初は別の場所にあったが、1337(延元2)年に焼失。以後、大瀧神社域内に再建された。1300年以上続く祭りが今も継承されている。
大瀧神社は、かつては白山信仰の拠点の神宮寺「大滝寺」であり、泰澄大師が権現山の麓に建立した。
現在でも大瀧神社境内には観音堂があり、木造十一面観音坐像が安置されている。
主祭神:国常立尊(くにのとこたちのみこと)と伊弉諾尊(いざなぎ) 縁起:創建は推古天皇の御代(592〜628)、大友連が勧進したのが始まり。
岡太神社は大瀧神社の摂社であるが、境内の鳥居の神額や本殿・拝殿には二社の名前が並列に記載されている。
地元でも岡太・大瀧神社と呼ぶのは、紙の神と白山信仰が交差する歴史的・場所的に重要な神社であることによる。
この神社が重要である証明が勇壮な本殿・拝殿である。
この本殿・拝殿は江戸後期の1841 〜43(天保12〜14)年までの3カ年をかけて造営された。
この造営工事請負人は大久保勘左衛門である。勘左衛門は永平寺の伽藍の整備・維持を行う永平寺門前大工集団の棟梁で、唐門も手掛けた。
大久保勘左衛門は本殿と拝殿の屋根を接続した社殿とし、複雑な形式と装飾彫刻を施して建物全体を一個の彫刻のようにまとめあげ、全国的にも珍しい本殿・拝殿の屋根をつないで一棟とするダイナミックな造りにしている。
一間社流造の本殿とその前面の入母屋造、妻入りの拝殿からなり、本殿屋根正面上部に入母屋造、向拝付きの小屋根、向拝屋根に軒唐破風を付け、拝殿も向拝屋根に軒唐破風を付け、折り重なる屋根をさらに特長づけている。
本殿と拝殿の床の高低差は約2m、背の権現山から流れるような屋根の形状が、この場所の象徴的な意味合いをより強めている。
境内を散策する。
観音堂
神門と回廊
国重文の本殿・拝殿を区画する柵も無かったので、氏子の要望により、石垣や内側の奏楽殿が1987(昭和62)年に建設された。
神門と回廊は1992(平成4)年に新たに造営された。
神輿庫
神社では、毎年春と秋の例祭に、「お下り」神事と「お上り」神事が行われる。お下り神事は奥の院から下宮まで神霊を神輿でお連れし、お上り神事は例祭が終わった後、神霊をまた神輿で下宮から奥の院に戻すという行事。神輿は神輿殿と奥の院の間を行き来する。春の「神と紙の祭り」では神輿の争奪戦で町中が熱くなる。この祭礼は福井県の無形民俗文化財に指定されている。全国の紙関係者が襟を正して参列する。
拝殿・本殿に移る 拝殿・本殿共に国重要文化財である。
大工の大久保勘左衛門が心血を傾注して練り上げたとされ、近世社寺建築の粋を集めたとされる社殿である。 本殿の会長は33年毎に行われる。
新門から見た正面社殿
拝殿は正面2間、側面2間および向拝1間で後方の本殿に接続している。本殿は正面3間、側面3間および向拝1間で、凝灰岩切石の基壇・亀腹の上に建つ
拝殿正面の彫刻 獅子や龍、鳳凰、草花などが精緻に彫られている。
本殿正面の彫刻 重なっているので全部が見えない
屋根
屋根を見上げると、一間社流造の本殿の屋根が入母屋造・妻入りの拝殿の屋根に覆い被さるように連結されている。思い思いの表現で語られる重なりである。
本・拝殿の屋根は檜皮葺。うねって重なっているようだと表現される屋根は4段、破風は小が1つ、大が2つ。
横から見た本・拝殿
本殿の屋根が拝殿の屋根に連結されている様子が分かる。本殿の床下構造:石積み基壇+石の亀腹+腰組みからなっているので拝殿とは床高さが違う。
本殿と拝殿を連結した複合社殿である。複合社殿の前例は、北野天満宮や日光東照宮などにも見られるが、本殿と拝殿の間に「石の間」を持ち、これを介して連結されているのが通常であるが、石の間は置いてない。
側面に移る
拝殿の側面
本殿の側面
本殿の側面・背面の板面や袖板戸に彫られた丸彫り彫刻
右側板面
左側板面
北側板面
何れも中国の故事を題材に彫られた見事な彫刻である。板材はケヤキである。木目の流れが今も残っている。
無形民俗文化財「神と紙の祭り」
凡そ1300年続いている行事とされる。
春と秋に、紙祖神をまつる岡太神社と大瀧神社の祭礼が行われる。
5月5日の春季例大祭では、権現山の頂上にある奥の院に祀られた神様をふもとの里宮にお迎えし、和紙の里である五箇地区を巡幸して再び上宮にお送りする神事が行われ、千数百年の伝統があり、福井県の無形民俗文化財に指定されている。
当日は地元の小学生による浦安の舞や、紙漉きの里ならではの紙能舞と紙神楽等の伝統芸能が奉納され、一般客も見る事が出来る。
祭礼の期間中は和紙の里通りで様々なイベントも開催され、祭りと一緒に紙漉きの里の雰囲気が味わえる。
大瀧神社 奥の院
大瀧神社の境内から参道が続いている。権現山(大徳山 327m)に鎮座する奥の院までは中部北陸自然歩道を兼ねた参道を歩く。
大徳山は、桧皮の森に指定されている。
次世代に引き継ぐべき重要文化財及びこれらに準ずる建造物などの修復・保護等に必要な檜皮(ひわだ)屋根の資材確保を目的に、文化庁が優良な資源を提供できる森林を、伝統技術を持っている団体と連携・協力して守り育てていくために設けた。全国で60数ケ所指定されている。
権現山の頂上付近には神の依り代である大杉があり、そこに奥の院が祀られている。
奥の院の大瀧神社は江戸時代中期に建てられた一間社入母屋造平入りの建物と、岡太神社は江戸時代前期に建てられた一間社流造りの小さな本殿がある。
案内-川上御前のおはなし
岩野翁顕彰碑
岩野平三郎は越前和紙職人の名跡。越前和紙古来の紙漉き模様である「打雲」「飛雲」「水玉」の技術を継承する。
初代岩野平三郎が中国伝来の麻の研究をし、越前和紙による日本画用紙「雲肌麻紙」を発明。竹内栖鳳や横山大観ら日本画の大家たちに愛用された。
大徳山頂上までは約1kmの距離。歩き始めてすぐに出会う満開の桜が美しい。
参道は幅も広く整備されている。春・秋のお祭りに神輿を担いで上がり下がりする。所々に石柱が立ち昔からのいわれをとどめている。展望台もある。
石柱の一例:神馬・神くらの化石
神聖な山であるため、神代の時代から神馬に乗った神がいつもここに立ち、山を守り村里を守っておられた。いつの間にかその馬が化石となったと伝えられる。
鳥居が現れる
ぜんまい桜
主幹の根廻り8.1m、目通り4.8m、高さ約23m(年度は不明) 2年毎に花をつけると聞くが未確認。
地上から約3mのところで二股にわかれ、枝張りは東西19.2m、南北21.2mに達する。幹には古いキヅタが一面にからんでいる。
「ぜんまい桜」という名称は、地元の人がぜんまい摘みに行く道すがら、いつもこの山桜を見て帰ることによる。エドヒガンの大木である。
隣りに植わっているさくら 紅白花
大徳山は里人がお峯と崇め、山全体が神体山である。大きな木々が目立ってくる。 この社叢は福井県の天然記念物に指定されている。
神域に入る。大杉やブナの大木が社殿を守るように包む。
社殿配置
奥の院岡太神社本殿
大龍神社奥の院本殿
青みがかった地元産の笏谷石(しゃくだにいし)で出来た石段をのぼる。
八幡社
拝殿
大木 仰ぎ見る枝葉の先は新緑で、幹が青々とした天空の中に突き刺さって伸びている。境内は神々しく深閑としている。
奥の院があるお峯の一帯には大滝城跡が残る。南北朝の乱の終焉(1341暦応4年)の地としても知られる。森は深い。
帰路、参道より見たぜんまい桜
少し疲れを感じつつ山を下りた。
一の鳥居
境内
本殿及び拝殿
本殿と拝殿の複合建築で、複雑な屋根、細かい木彫、本殿下部の木組みなど、興味深い建築物です。
2012.7.29撮影
所在地 福井県越前市大滝町13-1
大滝神社は越前市東部の大滝地区に鎮座しています。
権現山に上宮、山麓に里宮があります。
本殿及び拝殿(重要文化財)
天保14(1843)年の建築
本殿 桁行正面一間、背面三間、梁間四間、一重、流造、正面小屋根、入母屋造、妻入、向拝軒唐破風付
拝殿 桁行二間、梁間一間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、軒唐破風付、背面本殿に接続
総檜皮葺
大型の一間社流造本殿とその前面に建つ入母屋造妻入の拝殿を連結させた複合社殿である。
複雑な屋根構成は他に類例のないものであり、各所に嵌め込まれた丸彫彫刻などの仕事も優秀で、北陸地方の近世社殿の優品として重要である。
(国指定文化財等データベースより)
里宮の本殿及び拝殿で、大滝神社、岡太神社の両社を祀っています。
まるで大きな生物がうずくまっているような印象です。
July 2011 瀧山幸伸 source movie
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