JAPAN GEOGRAPHIC

福井県福井市 朝倉一乗谷 

Asakura Ichijoudani,Fukui city,Fukui

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特別史跡・特別名勝・重要文化財の出土品
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October 7,2020 大野木康夫  source movie

国指定特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡

(国指定文化財等データベースより引用)

一乘谷城山ノ南北麓ニ在リ
今二箇所ニ其阯ヲ留ム
一ハ三方ニ腰石垣土壘ヲ繞ラシ外方ニ濠阯ヲ存ス又園池石組等ヨク殘存シテ舊規ヲ見ルヘク正面ニ唐門アリ
一ハ西南一町餘ノ山麓ニアリ諏訪舘トス義景ノ妻ノ別邸阯ト傳ヘラル園池瀧ノ石組等アリ上ノ園阯ト共ニ古園ノ形態ヲ留ム
朝倉氏舘阯ノ東方高所ニ南陽寺阯アリ
義景ガ足利義昭ノ爲メニ觀櫻ノ宴ヲ催セシ處ト傳ヘラル舊時ノ庭園ノ一部ヲ存セリ

一乗谷の地は、東西に山が迫り、その山あいを北流する一乗谷川に沿って帯状に狭い平地の連らなるところで、ここは文明3年(1471)、敏景が黒丸城より居を移してより5代103年間の戦国大名の雄朝倉氏の拠点として著名である。
 これまで朝倉館、諏訪館、南陽寺、朝倉敏景墓、城跡、上・下城戸跡が指定されているが、さらに館跡、家臣居館跡、御所跡、寺跡、神社跡、櫓跡等と平地の東西に迫る山の部分を追加指定し、これに史跡西山光照寺跡を合わせ、戦国大名の拠点の形態を総合的に保存しようとするものである。なお、これを機会にあわせて特別史跡とするものである。
S39-06-015一乗谷朝倉氏遺跡(史跡).txt: 一乗谷に拠地を構えた北陸の雄朝倉氏は、天正元年織田信長にほろぼされたが、かつては将軍足利義昭もここに庇護を求めた。南北に長い山[[間]あい]に一乗谷川が北流し、帯状の平地が続く。このような地形は、防備しやすく、中世豪族の拠地として好んで選ばれたのであって、その典型的な例が本史跡である。
 一乗谷川の右岸の[[館]やかた]跡は、すでに史跡および名勝に指定されているが、これに[[城戸]きど]跡および城跡を追加指定し、拠地の総合的な保存を行なおうとするものである。
 城戸は館の北(下城戸)と南(上城戸)にあり、谷を東西に横断する防壘である。この両城戸の間は、約1.5キロメートル、一乗谷の中枢部で城戸の内といわれている。いま一部は取り払われているが、旧観をとどめ、下城戸で巨石の石垣が[[喰違]くいちがい]を構成しているのは偉観である。
 城は館の東背部にそびえる一乗城山(標高435メートル)の頂上部に築かれた山城で、本丸等の四郭が尾根上にあり、また千畳敷、観音屋敷、調練場等の[[郭]くるわ]が配されている。
 


武家屋敷前の駐車場から上の城戸へ
  


上の城戸
                                   


中心部へ
            


米津

刀装具の製作者の屋敷跡
              


諏訪館跡

朝倉義景の妻の館跡だそうです。
国指定特別名勝一乗谷朝倉氏庭園の一部です。
                


物見台、英林塚など
                                   


中の御殿址
                                           


朝倉館跡
                                                             

朝倉氏庭園跡
    


湯殿跡庭園
               

朝倉館から南陽寺跡へ
        


南陽寺跡庭園
                    


瓜割清水
        


県道へ
   


平面復原地区を見ながら北上
   


朝倉景鏡館跡
      


さらに北へ
       


下の城戸
                              

遺跡遊歩道を南下
            


瓢町地区
        


平面復原地区へ
   


平面復原地区
                    


雲正寺地区
                    


復原町並
                                       


Sep.27,2019 蒲池眞佐子

戦国大名朝倉氏の城下町の跡がそっくり埋もれていた一乗谷、

昭和42年から発掘作業が進められ、城下町が一部復元された。

他に一乗谷朝倉氏遺跡が特別史跡、

一乗谷朝倉氏庭園が特別名勝、遺跡出土品は重要文化財の国の三重指定を受けている。

                                     

 

 


December 1, 2018 野崎順次 source movie

福井県福井市城戸ノ内町

一乗谷朝倉氏遺跡

(The Ichijodani Asakura Clan Historic Ruins, Fukui City, Fukui Pref.)

戦国大名・朝倉孝景から5代103年にわたり越前を支配した朝倉氏。5代目当主の義景は浅井氏と同盟を組み織田・徳川軍と激突。1573(天正元)年の刀根坂の戦いで大敗後、義景は自害。朝倉家繁栄もここで幕を閉じました。文化人としても優れていた義景の時代に、一乗谷文化も花開き栄えました。義景が住んだ館跡や館跡庭園など、一乗谷朝倉氏遺跡は見どころ満載です。国指定特別史跡・特別名勝では当時の繁栄を偲ぶことができます。

(中略)

一乗谷は福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代朝倉氏五代の城下町の跡がそっくり埋もれていました。遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、昭和46年には一乗谷城を含む278haが国の 特別史跡 に指定されました。また、平成3年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園を含む4,205m2が 特別名勝 に指定されました。平成19年6月朝倉氏遺跡出土品のうち、2343点が、重要文化財指を受け、国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)となりました。

(朝倉氏遺跡保存協会 ホームページより)

掘り出された豪華剛健の庭園をじっくり鑑賞にきた。天候には恵まれず、曇り時々雨であったが、コントラストの低い明細な写真が撮れたと思う。

パンフレットと現地説明板

           

アプローチ、琵琶湖の夜明け、JR一乗谷駅

                  

復元町並遠望

        

特別名勝 湯殿跡庭園

本庭は、桃山時代初期永禄年中(1558 - 1569)に作庭されたもので、日本庭園の中にあって、石組の剛健性を見せる最高の庭園であり、朝倉義景という、当代北陸地方に勇武を誇った武将の庭園であって、武家好みの豪華を代表する庭園の一つであり、後述するように、この地には、上部に御湯殿址の庭があり、下部に諏訪館址の庭があり、さらに仕立てには南陽寺址の庭園がある。

(中略)

御湯殿書院は室町期から発展した湯殿を中心とする豪華な書院建築で、殿内には六華を飾り、茶の湯を催し、能楽を催す施設があった。このような書院の前庭であったから、本庭は書院に対して前面に鑑賞式の池庭を設け、山畔を利用して巨岩を組み、上部に軽く滝を作り、池庭には護岸と鶴亀石組が剛健な感覚で組まれている。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」朝倉館址御湯殿庭園より)

全景

          

鶴石組

            

三尊石組

   

滝石組

   

中島(亀)

   

さらに周囲から見ていく。

                 

米津(金工師工房跡Novemberなど)

            

特別名勝 諏訪館跡庭園

本庭は蓬莱式の池泉鑑賞式となっている。中央には蓬莱と枯滝兼用の巨石を立て、左方に石橋を架け、豪華極まりない石組によって構成され、中央部山畔から軽く水を引いて滝を落とし、池畔の護岸石組は、特に豪華を極めている。同じ桃山期の庭園の中にあっても、このような永禄天正期の石組の中では、特に剛健性を見せていて、日本庭園の石組の中では、この時代ほど剛健なものはなく、驚くべき迫力をもって迫ってくる。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」朝倉館址諏訪館庭園より)

                                   

さらに登ると、英林塚(初代孝景公墓)

             

朝倉義景館

                                       

特別名勝 義景館跡庭園

                 

南陽寺跡

               

特別名勝 南陽寺跡庭園

本庭は小池泉庭園であるが、池畔の護岸石組は特に豪華を極めていて、数十個の立石は鑑賞者として、その迫力に驚き、桃山初期の石組に堪能することができるであろう。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」朝倉館址南陽寺址庭園より)

              

それから、瓜破清水

       

雲正寺地区

     

平面復元地区

                     

朝倉景鏡館跡

             

下城戸

          

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館

(Ichijodani Asakura Family Site Museum, Fukui City, Fukui Pref,)

source movie

福井県福井市安波賀町4−10

パンフレットと現地説明板

       

建物外観

        

内部と中庭の展示

             


Sep.3,2017 瀧山幸伸

Edited Movie Download YouTube

source movie

  

下城戸

                

瓢町・道福谷

                    

平面復元地区

                                                                                                                             

諏訪館跡へ

                

諏訪館跡庭園 特別名勝

                                  

中の御殿跡へ

                           

湯殿跡庭園 特別名勝

                           

義景館跡と庭園を俯瞰する

                                   

南陽寺跡庭園 特別名勝

            

瓜割清水

             

義景館跡、庭園(特別名勝)、朝倉義景墓所

                                                                                                         

上城戸

     

御所・安養寺付近

   

一乗谷朝倉氏遺跡資料館

     


May.2005 瀧山幸伸 HD(1280x720)

S46-01-021一乗谷の地は、東西に山が迫り、その山あいを北流する一乗谷川に沿って帯状に狭い平地の連らなるところで、ここは文明3年(1471)、敏景が黒丸城より居を移してより5代103年間の戦国大名の雄朝倉氏の拠点として著名である。  これまで朝倉館、諏訪館、南陽寺、朝倉敏景墓、城跡、上・下城戸跡が指定されているが、さらに館跡、家臣居館跡、御所跡、寺跡、神社跡、櫓跡等と平地の東西に迫る山の部分を追加指定し、これに史跡西山光照寺跡を合わせ、戦国大名の拠点の形態を総合的に保存しようとするものである。なお、これを機会にあわせて特別史跡とするものである。

S39-06-015 一乗谷に拠地を構えた北陸の雄朝倉氏は、天正元年織田信長にほろぼされたが、かつては将軍足利義昭もここに庇護を求めた。南北に長い山[[間]あい]に一乗谷川が北流し、帯状の平地が続く。このような地形は、防備しやすく、中世豪族の拠地として好んで選ばれたのであって、その典型的な例が本史跡である。  一乗谷川の右岸の[[館]やかた]跡は、すでに史跡および名勝に指定されているが、これに[[城戸]きど]跡および城跡を追加指定し、拠地の総合的な保存を行なおうとするものである。  城戸は館の北(下城戸)と南(上城戸)にあり、谷を東西に横断する防壘である。この両城戸の間は、約1.5キロメートル、一乗谷の中枢部で城戸の内といわれている。いま一部は取り払われているが、旧観をとどめ、下城戸で巨石の石垣が[[喰違]くいちがい]を構成しているのは偉観である。  城は館の東背部にそびえる一乗城山(標高435メートル)の頂上部に築かれた山城で、本丸等の四郭が尾根上にあり、また千畳敷、観音屋敷、調練場等の[[郭]くるわ]が配されている。

(文化庁)

      

  

 佐倉の歴史民俗博物館に詳しい模型と解説があるが、実物のスケールを体験することにより、戦国の町づくりの知恵と当時の社会が理解できる。貴重な歴史ミュージアムだ。

 2004年の豪雨で施設が冠水してしまった。町の上下を天然の砦でふさぐと言うことは洪水に弱いということ。戦国の街並も最近まで洪水で泥の中に埋もれていた。今も昔も防災の知恵が足りなかったようだ。

  

街並立体復元地区の資料館

     

下城戸

 

朝倉館

   

 

街並立体復元地区

        


事務局用

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